除草の気持ち(2024年9月27日の日記)
・今日は夜の散歩のルートを変えてみた。普段はなるべく人気のない方ない方へと導かれていたが、昨日通りがかった駐車場に人が2人いたのだ。眼鏡の度が低いのでよく見えなかったが、2人が黙ってこちらを凝視している雰囲気は感じられ、気まずかった。察するに深夜に駐車場で話し込んでいたところ、暗闇から人影が近づいてきたので黙ってしまったというところだろうか。歩きながら腕を上げたり下げたりする効果不明の運動をしていたので動きが不審だったのは申し訳ない。しかしどうか話を続けてほしい。こちらも不安なのだ。眼鏡の度が低いせいで、人かと思ったら違ったみたいなことがよく起こる。大体見間違いなのだが、時々人影のようなものが視界の端にサッと現れて消えるといったこともある。今回はずっと人型に見えていたが、わたしが通り過ぎるまで身じろぎひとつしなかったので、本当は人間じゃなかったのかもしれない、という疑惑は今もあるのだ。
・さすがに今日はいないだろうけど何となく足がそちらに向かず、大通りを目指して歩いた。
・大通りはさすがに深夜といえどほどほどに車通りも人気もある。街灯もあって明るい。たまには悪くないなと思っていたら、ある居酒屋の前に「店の外で嘔吐や立ち小便をするのは禁止です」という看板が立っていて、もうここを通らないようにしようと思った。先にも書いたが、何しろ眼鏡の度が低いのだ。家の中で生活するぶんには問題ない。あまり強すぎると目が疲れてしまうと眼科で言われたのでそのようにしているが、そのぶん夜目は効かず、もともとの注意散漫や不注意もあって夜道の仔細は見えていないのだ。もし足元に吐瀉物や排泄物があっても気付かないだろう。人が歩くような道のど真ん中で粗相をする人も少ないかもしれないが、アルコールで前後不覚になっている人は何をするかわからない。わたしの親戚にも、酔っぱらいすぎて家電に向かって放尿した人がいるのだ。本人はそこがトイレだと思っていたらしいので、家族に止められてもわけがわからず、怒って放尿をやめなかった。アルコールにはそういう力がある。
・大通りは歩道がしっかり車道と分けられている。街路樹や植え込みがきちんとしているので、逆に蜘蛛の巣がたくさん張っていてかなりマイナスだ。こうして道を横断するように巣を張る蜘蛛のことは仕方ないと思うが、巣の残骸をたくさん引き連れて帰宅すると思うと微妙な気持ちだ。家主を家に連れ帰っている可能性もある。普段の散歩ルートはなるべく蜘蛛が巣を張る余地の無い道を選んでいるので、今日は余計に気になった。
・街路樹。街路樹はまあ、いいだろう。でも植え込みって必要なんですかね?蜘蛛の巣を発生させているのは大方この植え込みである。車道と歩道を分けて接触リスクを下げる効果と緑化運動が親和性を持った結果なんだろうけど、何だかなあ。管理があまり行き届いていないところでは歩道の8割を浸食していることもあって「うわあ~」となる。「商品が見えないから」という理由で除草剤を巻いた自動車販売店がニュースになっていたが、そうしたいと思っている人は案外多いのではないだろうか。次からはまた前のルートに戻そう。
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