見出し画像

自分の肉は食べてもいい?(2024年6月25日の日記)

・数日ぶりに散歩をした。今日は風があって涼しい。湿度も低めだ。

写真が下手

・あじさいって急に現れるな。

・少し長めに歩こうと思っていたが、1時間でワイヤレスイヤホンの充電が切れたので帰ることにした。歩いている途中はAudibleやネットラジオなどを延々流して、自分の思考を端に端に流すようにしている。そうしないと余計なことをたくさん考えてしまうからな。少し前までは考えることも出来ない時間が長かったので、本当に無になっているか、そこまで考えを煮詰まらせることも無かったのだが、今はもう放っておくとぐつぐつに煮詰まって味の濃~い思考が出来上がってしまうのだ。そして大体それらはマイナスの思考である。


・眠れないので「ヴィーガンズ・ハム」という映画を見ていた。売れない精肉店の夫婦はうっかりヴィーガンを殺害してしまうが、隠蔽処理の途中で死体をハムにして売ってしまう。ところがあまりの美味しさに肉は大人気となり、夫婦は売り上げのためにさらなる肉を求めて狩りに向かう、という物語だ。

・何となく洋画が見たかったのと、以前Xで話題になっていたので興味があった。さすがに殺人なので最初は実行を渋っていた夫が、ある時を境に迷いを振り切ってからは逃げ惑うヴィーガンを夫婦でガンガン殺害していく。もう少し静かに殺せよと思うが、このスケール感で殺してもアメリカなら広いから気付かれなそうな気もする。さすがにそんなことは無いか。コメディなので昼夜問わず行われる殺害シーンにも陰惨さが薄く、特に支障なく見ていたが、終盤に差し掛かり夫婦の犯行が徐々にほころびを出し始めたあたりから動悸がしたので一旦見るのをやめた。おそらくこれから夫婦は多方向から追い詰められるのだろうと思うとどきどきしてしまう。肉から出てきたペースメーカー、花屋だと嘘をついたヴィーガンに肉屋だとばれる、娘のヴィーガンの彼氏、ヴィーガンになりつつある娘、店の肉を愛する警官、事件として知られるようになったヴィーガンたちの失踪、もはや至るところに結末に向かうためのピースはまきびしのようにばらまかれている。先に結末を知っておけば安心して見られるかもな。

・めちゃくちゃ成金の同業者夫婦も嫌だったけど、娘の彼氏が一番嫌なやつだったな。肉屋の娘がヴィーガンに宗旨替えするのは喜ぶのに、その両親が考えを改めたと言ってヴィーガンのイベントに参加するのは許せないのか。娘は好き好んで肉屋に生まれたわけじゃない、と言えばそうだが、別に肉屋の夫婦が人生哲学を入れ替えることだってあるだろう。しかし生活基盤は肉屋なのだから、そうやすやすと畳むわけにもいかない。そんな中で彼らが真実、このまま肉屋でいるべきか、ヴィーガンになるべきか、もしくは何か共存の可能性を探れないか前向きにイベントへ参加していたのだとしたら、彼の態度はそうした試行錯誤をしている人間にとって大きな障壁となるだろうし、巡り巡って彼自身の信条を阻害することに繋がる。まあ、実際夫婦は今夜の獲物を探していただけだったのだが。

・おそらくこの映画を見た人が大体思っていることだろうけど、実際どうなんですかね。確かに牛豚鶏などの家畜たちは、厳選された単一の食事を取ることで肉の味を良くしている。通常の人間は肉も魚も野菜も食べる雑食系なのであまり味は良くないらしい(これもどのような情報なのか定かではない)が、ヴィーガンの人たちのように野菜を中心に食べ続けていれば、家畜と同じ要領で肉の味が整っていくのだろうか。他人の肉を食べれば罰せられるだろうが、自分の肉は食べたところで罪にはならないだろう。「1年間野菜のみを食べ続けてから太ももの肉を食べてみた!」というレポ記事ってBANされるのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?