一部を救い一部を救わず(2023年12月27日の日記)
・これ最近よく飲んでいる。朝数分家を早く出られた日は、通勤途中のファミリーマートに寄ってこれだけ買う。暖かくて甘い飲み物はこれから向かう労働への嫌さを少しだけ軽減してくれる気がする。とはいえ朝飲み物を飲みすぎると職場に着く前にお腹が痛くなるので暖かいままで飲めるのはほんの少しだ。
・仕事の納品データが一通り完成し、定時直前に保存しようとしたら「データが破損しています。保存できませんでした。」とポップアップが表示されてヒュッとなった。とりあえずまだデータは開けて動いていたから、急いで全部コピーして新しいファイルにペーストしたら保存できたので事なきを得た。古いファイルは一度閉じたら二度と開けなかった。怖〜。仕事が納まらないところだった。
・年末に劇団四季でも見に行こうかと思ったら、見たい公演は根こそぎ売り切れていた。それはそうだよな。元旦一発目は空いてたけど、さすがに元旦は実家にいないと不況を買ってしまう。2年前くらいまでは嫌で仕方なかった。年越し元旦こそ遊びたいだろ!と思っていたが、最近は一年ずっと好きにしているのだから年末年始くらいはいるか……という気持ちになっている。大人になったのか?単純に年末年始を過ごしてくれる知人が減ったのが大きいかもな。
・佐渡島もずっと行ってみたいと思っている。冬もそれなりに楽しめるようではあるけど、やはり船に乗ったりするからには春〜秋がいい気はするな。
・本当はもっと早い時期から色々計画して休みに突入するのがよかったんだろうけど、もうそんな暇もなく結局仕事納めの前日に調べ始めている。そしてもはや、どこに行っても高いこの時期に遠出をするのと、そこそこ近場で豪遊をするのとどちらが良いのだろう。こんな風に悩んでいるうちに正月休みが終わる気がする。
・ちびまる子ちゃんのまる子が道に迷った時に出くわした女子高生2人組に対して、「ブスは無視して美人に話しかけよう」と言っているシーンがXにポストされて話題になっていた。わたしはこの話を漫画で読んでいるので先を知っているんだけど、まる子は結局美人に話しかけ助けを求めるが、美人は彼氏と予定があり、まる子がブスと思ったもう一人の女子高生に後を託されてしまう。うろ覚えだがこの時まる子は「美人は彼氏と予定があるがブスは暇……!」というかなり失礼なモノローグをしている。その後女子高生は優しくまる子に話しかけ、一緒にバス停に行ってくれる。まる子はそれに対し「このブス、ただのブスだと思ったら結構良いやつじゃないか」と思う。終始失礼だが、ここまでなら人は見た目ではないというエピソードになったはずだ。しかしここで女子高生のモノローグに移る。彼女は「こんなガキ相手にしているんだから、『優しい子だな』って素敵な人が見ていてくれるかしら……」、「優しいわたしの最後の瞬間をみんな見て!」と思っているのだ。打算100%だ。打算込みで人助けをすることが悪いことだとは全然思わないが、単純にいい話では終わらせないところと、作者の人の容姿に対する根深い闇が見える。
・これに対してルッキズムや美形至上主義への偏見に対する憤りなど色んな意見が散見されるが、まあそもそもちびまる子ちゃんという作品はもともとこういうダークなネタが非常に多い漫画だ。連載されていた時代もある。「昔もOKだったわけではない」という意見にはおおむね同意するが、ドラえもんしかり、あまりに国民的アニメに昇華されすぎて、知らず人の意識に清廉潔白なイメージを持たせている漫画は多い。
・過去もOKだったわけではないが、時代全体の雰囲気の中で許容されていた表現というのはたくさんある。許容範囲の変わった時代から、過去のものを後追いで糾弾し始めるときりがないよなあとは思ってしまう。逆に言えば、今許されている表現が30年後にも許されている保証はないのだ。しかしそれは今時点では知る由もなく、あくまで今の倫理観に基づいて創作をするしかない。未来の見えない常識に配慮し始めたら何も生み出されなくなるだろう。常にだれかを傷つけないかと考え続けることは重要だが、考えすぎてもがんじがらめになる。そもそも創作とは、一部を救い一部を救わないものだと思っている。何事もすべてを救うことなど出来ないのだ。
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