見出し画像

つまり今処刑中(2022年10月29日の日記)

・外が明るい!!!!!

・久しぶりに午前中寝た~と幸せいっぱいで目覚め、冷凍パスタを食べてから日記書こうと思ったのに気付いたら18時になってて夜の予定に遅れたぞ!!!!!人間廃棄物がよ!!!!!!!!

・土日の前はちゃんと夜に日記を書いてしまった方が良い。仕事の昼休みに書く頻度が爆裂に上がってしまったせいで土日もそうしてしまいがちだけど、土日は昼休みみたいに決まった時間が無いし、予定が詰まってると余裕で23時になっている。

・そんでもう土曜日が終わっちゃった。いや、しかし今週は木曜日も休みだ。締め切りが無ければ金曜に有休を取って4連休にしたかったな。締め切りが無ければ。


・ゴッホのひまわりトマト事件を皮切りに、色んな美術品が汚されている。どれもガラス板をしてあったから本体に影響は無いけど、無いからと言ってやっていいわけではないし、わりと逮捕されているようだ。ゴッホのひまわりの時も「暴力的な破壊に近い行為をしないと伝わらない種類の主張だったのか」と日記に書いたけど、これについての言及を見ていると「思想や主張というのはある程度暴力的な態度をもって提示しないと、人々は興味も示さない」というような意見もあり、それは確かにそうかもと思ってしまう。普通に街頭演説したのでは、ほとんどの人は通り過ぎるだけだ。「事件」にしてしまうことでしか、人はその言葉に耳を傾けることをしない。それも、自罰的な暴力ではなく、あくまで他者に損害を与える方向でなくてはいけない。焼身自殺をした人が、燃え盛る火の中で叫んでいたことよりも、絵画にマッシュポテトをぶつけて叫んでいる人の声を我々は耳にする。わたしが生きてきた20数年で、公衆の面前で焼身自殺を図った人は何人かいたが、その人が今わの際に叫んでいたことをほとんど知らない。飛び降りるでもなく、自分に火を付けて、というのは並大抵の覚悟では出来ないはずだ。

・いや、しかしそれも「わたし」が知ろうとしていないだけなのだろうか。街頭演説の前を通り過ぎる時のように、燃えながら叫ぶ人の声を、わたし自身が無いものとして扱っただけなのかもしれない。

・書きながら思ったが、テレビで放送出来るかどうかも重要な気がする。人が燃えているところなんて放送できないし、動画サイトでも削除対象になる。絵画にトマトスープチームは何の年齢規制も無いから叫んでいるところまで放送されているもんな。結局はメディアに出せるかどうかで、主張の結果が変わってくるのか。

・それはそれとしてモネにマッシュポテトチームが「人々は飢えている!」って言ってたのは全然納得できないぞ!じゃあ何で今食べ物を粗末にしたんだ。


・ココスでね、またおばけのケーキが出てたので頼んだ。

画像1

・これが模範的なおばけ。

画像2

・これが出てきたおばけだ。ちょっと違うけどかわいい。同じものを頼んだ知人が「ああ、このミントって耳だったんですね」と言っていて、わたしもそう思っていたが、模範作品を見ると手であることがわかる。

画像3

・何かフィーバーしちゃってるな。テンションが上がることがあったのかもしれない。ハロウィンだしな。

画像4

・視線が気になるので目を最初にもぐ。

画像5

・今回は中に脳みそは無かった。外に出ているマカロンがそうなのか。本体の脳は地下の培養液に浸かっていて、霊体としておばけが地上に出ているタイプのやつかもしれないな。

・ダンガンロンパだったら、霊体を使って殺人をし、完全犯罪を見せかけたところで地下の本体がばれ、またたく間にトリックが明かされ、処刑シーンで霊体と本体がいっしょの皿に載せられ、ハンマーで叩き潰される。つまり今処刑中ってことか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?