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手持ち花火のバアー(2024年8月18日の日記)

・今日はちょっとえらい人たちに囲まれて高い野菜や肉などを食べた。たぶんここ1年で位の一番高い食事だったのではないか。全部うまかったので口に入れるたびに脳細胞が開眼して視力が良くなっていく感じがした。結果的には奢ってもらえたのだけど、運ばれてくる食事の説明を聞きながら「このくらいあれば足りるだろう」と思って来た財布の中身を思い出し「大変なことになった」と思っていた。どのくらいの価格帯の店なのか深く調べずに来てしまったが、おそらく自分で支払うとなったら足りなかっただろう。

皿がでかすぎる

・とてもおいしい料理や食材に対して「これを食べたら他のものは食べられない」みたいな話を聞く。確かに今日食べた料理はどれも本当においしくて、店員さんの説明からもすごく良い食材が使われていることはわかったんだけど、例えば今日食べた鴨の肉が鴨界で最高級のものだったとして、今後それ以下のものが食べられなくなるかというとそんなことは無いなと思った。たぶんわたしは料理の味に関する記憶容量が少ないんだと思う。「今日〇〇の店でおいしい鴨肉を食べた」ということは覚えていても味の情報として残るのは「おいしかった」のみだ。今後鴨肉を別の場所で食べることがあっても、その時に今日の体験がよみがえることはない。

・あ、でも「あの店の方がおいしかったな」と思うことはたまにあるな。味の記憶容量が少ないんじゃなくて、単にわたしの舌がグレードアップしないだけなのかもしれない。「舌が肥えない」のか。いや「あの店の方がおいしかったな」と思うということは肥えているのか?細かいディティールを覚えていなくても、好きに選んで良いのだったら良い店の方を選ぶよな。「Aの店の方がおいしかったけど、Bの店もおいしい。金額を気にせず選べるならAの店」となる。そんなのみんなそうなんじゃないのか?こういう「他人よりも鈍い」というアピールをすることで、自虐しているように見せかけてその実、自己の独自性を見せつけるだけの行為をしてしまった。嫌だな。しかもその独自性はかなり一般的なものに過ぎないのだ。嫌すぎ。

・「これを食べたら他のものは食べられない」というのは、良い食事に対しての賛辞のひとつに過ぎず、それを言う人が本当に他のものを食べられなくなるわけじゃないのかもしれないな。ちょっと誇大に言っているだけか。


・そのあたりのことは置いておいても、高い食事というのは、そのへんで食べるものよりも情報が多く与えられるよな、と思う。店員さんも毎回「この食材は〇〇産の最高級の△△で~……」という説明を入れてくる。これによって「へえ、そんなに良いものなんだ」というバイアスが少なからずかけられる。実際それらはバイアス無しでもおいしいんだけど、この情報があることでさらに拍車がかかるだろう。もしかしたらマクドナルドでも店員さんが配膳してくれて「このバーガーのパティは〇〇産で……」と説明を入れられたらよりおいしいと感じるのかも。でもマックではそんな過程をぶち抜いて「炭水化物うめ~」となりたい。


・夜に散歩をしていたら、前を通りがかったアパートの一室で窓に映った明かりが忙しなく点滅していた。暗闇で溶接でもしているのかと思ったが、交差点の信号と一緒に点滅していることに気付いた。反射か。

・民家の前を通ったら、換気扇から「バアー」という音が聞こえて「噴射だなあ」と思った。どこかで聞いたことがあると思ったら、勢いが強いタイプの手持ち花火の音とほぼ一緒だった。今年はまだ花火をしていないな。

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