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走馬灯.zip(2022年6月27日の日記)

・尼崎市のUSB事件、数年後には「ずさんなセキュリティの一例」として情報の教科書に載って「こんなことあるわけないじゃん!」と笑う子どもに「実際にあったことじゃよ」と髭を撫でながら言って驚かれるまでがセットの話になってきているな。

・少し前に職場でも秘匿性の高い情報をメールで送る場合どうするべきか、という話が出たな。暗号化したzipファイルをパスワードと分けてメールで送るという案が出たけど、すぐさま「1通目も2通目も傍受されたら終わりだろう」と論破されていた。まあ実際そうだろう。

・以前すごい大金をうっかり個人に振り込んでしまった事件の時もそうだけど、世間を震わせるほどのばかでかいミスを見ると、それを起こした張本人のことを想ってしまう。わたしもミスばかりの人生だが、こういう事件を見ると「他人事ではない……」とシリアスな心持ちになる。「わたしはまだここまでではない」という安心と「明日にでもこうなるかもしれない」という危機感が頭の中でシーソーを漕いでいるのだ。

・確実にこの人の人生の中で一番のハイライトになるんだろうな。走馬灯確定事項だ。

・わたしが走馬灯を今見るとしたら、何を見ることになるのだろう。よくフィクションで見る走馬灯は、人生の幸せだった時間のことを思い出していたりするけど、本当かな。人間は幸福な記憶よりも不幸な記憶の方が記憶の消費期限が長いというし、何十年分の人生のハイライトを作るとしたら咄嗟に思い出せることは印象の強い嫌なことな気がする。

・というか走馬灯ってあの一瞬で脳が作っているのか?即興の動画編集だったら内容がおざなりでも共感はできる。急に言われても無理だもんな。

・それか脳のどこかに「走馬灯」という名前のフォルダがあって、何か出来事があると「これは走馬灯で流そう」と脳が保存していって、ときおり「新しいの入れるからこれはやめよう」と厳選が行われているのだろうか。それだったら、幸福な走馬灯が見れそうな気がする。わざわざ嫌なことを死に際に思い出したくは無いからな。

・フィクションの走馬灯でも、たまに第三者視点の自分が流れるタイプのがあるけど、あれ何なんだ?自分の走馬灯なんだから自分視点の記憶しかないはずだろ。

・結婚式のムービー作りで知人たちから写真を募るように、走馬灯もクラウドサービスで親兄弟知人の脳から記憶を吸い上げて共有された思い出から作っているのか。

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・テクスチャが複雑な雲。

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