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即席寂寥埋葬装置(2023年12月25日の日記)

・今日を抜いたら仕事納めまで3日しかないのか。納め日は大掃除もあるから実質2日半だ。終わるのか?わからん。とりあえず仕事はいつでも辞めたい。

・知人が仕事を辞めようとしていたら、繁忙期の真っただ中に1人先を越されて退職したらしい。結局のところ仕事をいち早く辞める時って残される人のこととか考えずに、愛のままにわがままに行くべきなのかもな。これで知人はより辞めづらくなったんだろうか。


・帰りがけに見かけたケーキ屋が混雑しているのを見て、やっぱりちょっとクリスマスの気分は味わいたいな!と思いケーキを買った。個人店のケーキ屋じゃなかったから小さいケーキもいつも通り並んでいた。近所の個人店は外から除いた限りでも、予約のものと思しきホールケーキしかショーケースに入っていなかった。

・ケーキ屋には機嫌の悪い客があまりいない、とはよく聞くけど、クリスマスは輪をかけてみんなにこにこしている。チョコのロールケーキをひとつ頼んだら、聞き間違えられてしまいふたつ用意されていた。大学生のアルバイトっぽい女性に笑顔で「こちらでよろしいですか?」と箱にふたつ並んだケーキを見せられながら聞かれて「ひとつです」と言えるわけもなく、意味なくケーキをふたつ手に入れてしまった。

・いや、意味はある。ケーキを一度にふたつも食べていいなんて贅沢じゃないか。しかしそれなら別の種類がよかったな。


・まだ正月の過ごし方を決めかねている。2日くらいまでは実家にいないといけないから、3日以降か。わざわざ雪深いところに行くのもどうかなと思うが、かといってあまり南の方に行ってもあちらも順当に冬だろうから微妙だ。何日か東京に滞在して色んな展覧会やら演奏会やらをぶらつくのもいいかもな。

・年末年始をある程度好きに過ごせるのはひとりの特権だなと思うけど、逆に寂しさでもある。これで結婚して家庭があり子どももいれば、親戚巡りをしたあとに子どもの行きたい場所、配偶者の過ごしたい内容に合わせないといけない。それはそれで大変だけど、充足でもあるはずだ。

・ただわたしが家庭があることへの羨望みたいなものを一瞬だけ感じる時、そこにはただ「家族」という絶対的な関係性のみを見ており、そこに発生する義務や責任を考えていない。世の中の人々の過ごし方がクリスマスと同様にある程度画一的になる中で、少しだけ感じる疎外感を埋めるためだけに「家族」を求めているに過ぎない。浅はかだ。

・自分自身がその「家族」という関係性に縛られて、いまだに心臓がひりつくような苦しみを感じることがあるのに、それでもちょっとの寂しさに負けてこんなことを思ってしまうなんて呆れてしまう。誰かと一緒にいたいなら、それこそ実家にずっといればいいのだ。でもそれに対しては「好きに出かけたいしな」と思ってしまう。家族が欲しいというよりは、寂しさを即席で埋めてくれる都合の良い存在が欲しいのだ。まだまだわたしはひとりだろう。

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