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あの日見た真顔を意味を僕たちはまだ知らない(2024年6月29日の日記)

・暑いな!!!!!!!!

・急~に暑い。

いつも怖さを感じる


・昨日でかい図書館で『今日は誰にも愛されたかった』という本を借りた。本の冒頭には、詩人の谷川俊太郎さんと歌人の岡野大嗣さん、木下龍也さんが4か月かけて作った36篇の連詩が掲載されている。そのあとに3人がそれぞれの詩について対談をしている様子が書かれているのだ。まだ途中までしか読んでいないが、ただ作った詩が載っているだけでなく、それを何を思って、どうやって作ったのか、が作家本人の口から語られるのはかなり面白い。詩という、理屈ではすべてを語り切れないイメージがあるものにも、ある種の法則だったり、作家の中には感性以外の理論や計算があることがわかる。そういうのが知りた~~~い。


・でかい図書館では他にも何冊か本を借りたが、さくらももこさんのエッセイ『たいのおかしら』も借りた。さくらももこさんのエッセイは、小学生の時に通い詰めていた図書館でめちゃくちゃ読んだ。図書館に置いてあったエッセイをすべて読んだ頃、本屋で新刊『ひとりずもう』が出ているのを発見した。図書館に入るのはしばらく先だろうと思いお小遣いで買って読んだが、『ひとりずもう』はさくらももこさんの思春期のエピソードを中心に構成されており、奇しくも思春期ど真ん中だったわたしは、さくらももこさんの良さでもあった歯に衣着せぬ、悪く言えばあけすけな内容と表現にかなりいたたまれなくなった記憶がある。今読めばなんてことはなくおもしろいのだが、当時はガツガツ書かれる二次成長期の話を読んで「何かとんでもないもの買っちゃったな」と親からエロ本を隠す中学生のような気持ちになっていた。実際中学生だったわけだが、これを読んで慌てていたわたしはちょっとおもしろいくらい純粋だったな。

・似たような話で、たぶんこの思い出は一生残るだろうというのがある。小学生の頃に好きだった漫画があった。基本的には健全なファンタジー漫画だったのだが、主人公たちが高校生だったのもあり、時々ギャグ要素としてエッチなシーンが挟まることがあったのだ。4~5巻くらいに普段のギャグではなくシリアスな雰囲気でかなり攻めたシーンがあった気がする。ヒーローが助けに来る前のお約束みたいなところだし、小学生だったので「悪いやつに暴力を受けてるなあ」くらいに思って読み飛ばしていた。今思い返せば完全に強姦未遂のシーンなのだが、おそらく母がそれを見たのだろう。そこまでの表現があったのは全巻通してもあの巻の数ページだったはずなのに、よくピンポイントでそこを見たなとは思うが、普段漫画を読まない母がその巻を持っていたのを覚えている。

・すでに連載が終わった古い漫画だったので、ある日ブックオフで続きの巻を買おうとしたところ、棚でタイトルを探すわたしに母がうしろから「それおもしろいの?」と聞いてきたことがあった。「おもしろいよ」と答えた気がするが、そのあとのことをあまり覚えていない。怒られたとかではなく、ただ遠巻きに見られていた記憶だけがある。この時のことを思い出すたび、母親の姿がどんどん遠くに行く。本当は声が届くくらいだったし、ブックオフは狭いから、半径1メートル以内にはいたんだと思うが、今では5メートル向こうから声をかけられたように思い出されてしまう。たぶんあの時にうっすら感じた心の距離が、時間経過と共にどんどん広くなっているのだろう。母はそんなことはとっくに忘れているだろうし、わたしもさすがにそれがトラウマになっているわけでもない。ただ、後日母に見られたであろうシーンの本当の意味を知って、わたしの思春期が大爆発を起こしたのは言うまでもない。もしかしたら母はあのシーンを見たわけではないのかもしれない。何も他意はなく「それおもしろい?」と聞いてきたのかもしれない。それでも、脳内では「そんなエッチなシーンがある漫画がおもしろいと思っているの?」と変換されてしまった。

・そう思ってしまった背景として、母は『クレヨンしんちゃん』をあまりよく思っていなかったのだ。親としてその感覚が並なのか多少は過剰だったのかは不明だが、「クレヨンしんちゃん禁止令」が出ていた家はそこまで珍しくも無かったことを大人になってから知った。エロも下品も含めた、大きなくくりとしての「下ネタ」に少々厳しかったのはあると思う。あと『ボボボーボ・ボーボボ』のことも良く思ってなかったな。ボーボボはもう「良く思う」とか「悪く思う」の次元を超えた何かだから仕方ない。

・『ひとりずもう』はその出来事のあとに買った本だった。母は漫画以上に本を読まないので、一生目に触れることはないだろうとわかってはいたが、何となく隠したくて本棚の一番目立たない場所にしまった。内容をまったく想像させないかわいらしい表紙に感謝した。エロ本みたいな扱いを受けていたと、今は亡きさくらももこ先生が知ったらどう思うだろうな。どうも思わんか。


・一部苦い思い出になったあの漫画は、最近愛蔵版になって再出版されていることを知った。今も好きだしまた買おうかな、と思っている。母が家に来た時に「この漫画覚えている?」と聞くのもいいかもしれない。すっかり忘れている可能性の方が高いが、もしかしたら覚えているかもしれない。さすがに今は恥ずかしいという気持ちは無いので、あの時本当は何を思っていたのか答え合わせをしたい。

・そういう「本当の意味もわからずおもしろがってしまい親もしくは家族の空気が最悪になる」という思い出は誰もがひとつは持っているはずだ。お笑いトリオ「我が家」のネタが下ネタだと知らずに連呼してしまい親が真顔だったこともわたしは一生忘れないだろう。

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