戒名に追い課金(2023年12月19日の日記)
・寿司の気運が高まったのでくら寿司に行ってきた。この間はま寿司に行ったら寿司が小さくて悲しくなっちゃったんだよな。味はうまいけど。
・いつもカウンターで食べているから、隣の人との距離が近い。必然、注文した寿司が届く時のアナウンスで何を頼んだのか見えてしまう。わたしは比較的寿司屋では3種類くらいをローテーションで食べて冒険をしないので、他人が何を頼むのかちょっと気になる。
・えびブロッコリーだった。
・えびブロッコリーって何?そんなのあった?
・サラダか!皿が遠くてブロッコリーの緑は見えたけど、横目で見ているだけなのでそれ以上覗き込めなかった。ブロッコリーとえびの比重が狂ってそう。
・遺骨をサービスエリアに捨てる人が増えているらしい。
・何となく他人事ではないな。捨てる側ではなく捨てられる側だが。このまま独り身で死んだとして、何事もなければ80歳くらいまでは生きてしまうのだろう。兄とは歳が近いから、もしかしたら兄より早く死ねるかもしれない。その場合兄が元気なら処理を任せればいいだろう。考えておかないといけないのは、兄が生きていても認知症とか寝たきりだったり、もしくはすでに亡くなっている場合だ。その時、親族としてお鉢が回ってくるのは兄の嫁子どもになる。良好な関係を築いていればいいが、今のところ年始など最低限でしか会っていないので、今後どうなるかはわからない。仲が悪いわけではないが、特に関わりの薄い人という認識になる可能性が一番高いか。
・できれば連絡してほしくはないけど、身寄りがなく死んだ場合、行政からは確実に連絡が行くし、そもそも入院していたらその時点で誰かを身元引受人や保証人にしておかないといけないだろう。
・葬式はしなくていいから、実家の墓に入れてもらう。しかし、最低限それだけのことにも火葬代やら、寺へ払う金やらがかかる。その費用と手間賃くらいは残しておきたい。何の恩恵も受けていないのに、死後金だけ払わされるなんて割りを食うのは嫌がられるだろうし、最悪ニュースのようにサービスエリアへ打ち捨てられることになるのだ。まあ捨てられても別にいいんだけど、その行為を背負わせたくないんだよな。
・骨かあ。正直祖父が亡くなった時、四十九日まで祭壇に置かれた骨壺を見て「ちょっと食べようかな」と思ったんだよね。せめて何らかの成分として体内に残しておきたいと思ってしまった。骨壺の蓋が簡単に開くことは入れる時にわかっていたから、誰も見ていないところで欠片をひょいと口にいれて飲みこむ想像をしたし、実際やってもいいことなのかネットで検索した。
・ネットには、「気持ちはわかるがあまり健康的ではない」というようなことが書いてあり、さらに大量に食べると焼却時に発生した人体以外の成分も一緒に摂取してしまうので体に良くないと書いてあった。まあ骨を食おうって時点で衛生面とか気にしてるわけはないけど。
・結局しなかった。わりと本気で考えてはいたが、何となく実行には移せなかった。祖父の骨は、誰でもない祖父のもので、わたしの悲しみの溜飲を下げるために利用してはいけない気がした。
・葬式関連で驚いたのは、戒名が寺に渡すお布施よって長くなるということだ。死後の名前の立派さを金で買うことができるのか……と思った。特別に寺院などに貢献した場合につく特別なものもあるそうだが、一般人につくことは無い。祖父は一般的な長さの戒名に収まり、特に追い課金はされなかった。富豪が死んだらめちゃくちゃ長い戒名になるんだろうか。あの世では戒名の長さがステータスのひとつになっていそうだ。
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