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ちいちゃいごはんが生まれたよ(2022年11月29日の日記)

・スーパーで売られているお得用の薄皮ソーセージを買ってみた。いつもは香勲のウインナーを買っているけど、これがうまければ圧倒的に安いしな〜と思った。

・うん。

・ウインナーは値段だ。

・というかこれソーセージだからそもそもウインナーとは違うものかも。どちらかというと魚肉ソーセージに近い。魚肉ソーセージだと思えば普通にうまいけど、ウインナーだと思うと落胆するな。指食ってるみたいだ。食ったことないけど。

ちいちゃいごはんが生まれたよ

・ごはんを炊いた。何となくの目測で分けたら最後にちいちゃいごはんが出来てしまったな。お前をどうしてやろうか。

・世の社会人の初任給は、最終学歴によって異なるのが一般的だ。身近に、はっきりとは言わないが己が大学卒であることにこだわりを持ち、何かと差を望もうとする人がいて考えさせられる。たしかに、高卒と大学卒であればスタートにそれなりの差があってもしかるべきとは思うが、永遠に追い抜けないくらい差があるのはどうなんだろうな。少なくとも、大学に行かなかった4年の間には大学初任給に到達していてもいいのではと感じる。学校には行かなかったとしても、その職場でのノウハウは年数分のアドバンテージとして存在するわけだし、例えば4年勤めて大学卒の同級生が入ってきた時に、大学卒の方が給与が高いのはやり切れないものがあるのではないか。

・しかしその知人はそれでも大学卒の方が上であるべきという考えを持っているようだった。これは意見の割れる問題だな。

・どういう経緯で大学に行ったのかも、この感覚には関わっているのかもしれない。奨学金を借りてバイトをし学費生活費を捻出して大学に通った人は、就職後何らかのプラスアルファがあれば報われたと感じるだろうか。

・わたしは大学卒だが、ありがたいことに学費も生活費も両親が負担してくれた。在学中は実家暮らしだった。学校の合間を縫ってバイトをする必要もなく4年間を過ごせたのだ。そういう人間からすると、大学卒というだけでそう言ったアドバンテージが発生するのは何だか申し訳ないなと思ってしまう。在学中に勉強を頑張り特殊な資格などを取得していたなら、それに対するプラスはあってもいいと思う。大学を卒業することで誰もが特別な能力を習得するなら、大学卒の給料がいいのも納得できる。しかし、わたしが大学卒のラベルを持っているのは、わたしの力ではない。

・実務能力に応じた報酬を得たいなら、歩合制の仕事に就くのがいいのだろう。定額+残業代+各種手当といった変動の少ない給与の職場では、やはり学歴が幅を効かせてくる。

・諸般の事情で大学に行けなかった人もいる、やむなく中退した人もいる、そういう人がただ大卒であるというだけで何か偉いのだと思い違っている人間に負けないような世になればよいのにと思う。

・しかしそれも、ただの傲慢だとも感じる。わたしの出生家庭は経済的には恵まれている方であり、そういうところから出てきた人間が唱える平等観は吐き気がするほどおぞましい。当事者からすれば戯言に過ぎない。

・結局、自分には関係ないけど、そうなればいいのにねというただの第三者的な傍観でしかないからだ。わたしは今、目の前にいる学歴史上主義の人間をこらしめたくてそう考えているだけで、本当に実力社会となった時、淘汰されるのはわたしも同じだ。そうなっても、わたしは本当に「これでよかった」と思うだろうか。

いそべあげ

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