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カロリーの階段(2022年10月22日の日記)

・電車に乗っていたら、目の前に女性が座っていた。マスクをしていない。マスクをしていないこと自体は別にそこまで気にしない。最近はしなくてもいい、みたいな流れが出来つつあるようだし、そっちはしてなくてもこっちはしてるしね。

・ただ、これ本人はマスクをしていないことを忘れてるんじゃないか?

・というのも、ずっと口周りの筋肉を鍛えているのだ。口内で舌を上下左右に回し、ほうれい線などの顔のたるみを改善する運動だ。おそらく女性の口の中で縦横無尽に動き回っている舌の様子が、頬から、口の上から下からぽこぽこと肉を押す様で見てとれる。正直人の顔の内側で何かが動き回っている姿を見るのは忍びない。というよりは見てはいけないものを見ている気になる。こういうのって家でやるものという意識がわたしにはあったが、案外そうでもないのか?

・あと、席がわりとガラガラなのにサラリーマンの男性の隣にぴったりとくっ付いているのは、知人だからかと思っていた。しかし一切話さない。話さずに、口の中で舌を回している。時折天を仰いで目を瞑り、ある種恍惚とも言えなくもない表情で舌を回している。体を前方によじり、足を組み替える。

・新手の痴漢かと思ってしまうほどに異様な雰囲気だ。しかしこうやって目の前の他人を観察し、あまつさえこうして日記に書いて発信しているわたしも同類だろうか。

・やがて女性は降りて行った。サラリーマンとは結局一言も会話をしていなかった。降りて行く時に、彼女の持っていた小さな紙袋の角が、わたしの頭に当たった。


・高校生くらいの時に、教科書か問題集で読んだ評論でおもしろいなと思い、今も覚えているものがある。

・冒頭、筆者は電車の中で化粧をしている女性を見かける。批判をするわけではないが、ただ、その行為を見ていることへの居た堪れなさ、自身の内的な決まり悪さを感じる、しかしそれは何故か、という書き出しだ。

・筆者は幼い頃、自身の祖母が鏡台の前で化粧をする様を盗み見たことをひどく叱られる。その時に祖母が「化粧をしているところなんて、虫に見られたって恥ずかしい」と言ったことが強く記憶に結びつき、筆者の中で「化粧をしているところを見られる」=「恥ずかしい」という図式が完成する。自身が化粧をしている女性を見て感じる決まり悪さは、そうした「見てはいけないものを見ている」感覚と、祖母が「虫に見られたって〜」と言っていたことから、目の前の女性にとって化粧を見ている自分は虫以下だから無関心なのである、という虚しさから来るのではないかというまとめをされていた。

・まあ、なかなか自意識過剰にも思える。この論説に感じる違和感は、「女性と祖母の価値観が同じである」としているところだろうか。女性も化粧を見られることを虫でも恥ずかしいと思っているかはわからない。むしろ、特に恥ずかしいと思っていないからこそ電車という不特定多数に見られる状況で化粧をしているのではないか。そこで「自分は女性にとって虫以下」とするのはなかなか乱暴だ。人前で鼻をかめる人とかめない人がいるように、恥ずかしさの度合いはそれぞれだ。さらには、生活環境も生きてきた時代も違うふたりの女性を同じ土俵に乗せるのも難しい。恥ずかしさレベルのスタート地点が違うのだ。


・結構昔の記憶だから、だいぶ内容が違うかもしれないな。結論はこんな感じだったと思うが、虫だったかも定かではないし、猫だった気もする。教科書や問題の評論は一部の切り取りだから、この後筆者がどういう結論を出しているのかは知らない。調べたら出てくるだろうか。

・何が言いたいかというと、わたしはこの評論を「極端だな〜」と思いつつも、やはりこういう目の前の人間をあまり気にしない人に出会うと「わたしは虫以下……」と思ってしまう時がある。無関心の対象として挙げられているのだとすると、確かにわたしは彼女にとって虫以下の存在なのかもしれない。道を這う虫のことを3秒後には忘れているように、今日すれ違った人のことも3秒後には忘れている。

・それは違うだろ、と思っている意見でも、こうして記憶に深く根付いているということは、少なからず共感している部分がわたしにもあるからなのか、共感できないからこそ根付いているのか、よくわからないな。

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・階段にカロリーが書いてある。

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