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モツ鍋への憧れ(2024年7月23日の日記)

・最近人に褒めていただくことが多くて恐縮している。昔から褒められると恥ずかしくなってしまうのと自己評価が低いのが相まって「お世辞だ」と思って「いやそんなことはなく」と必要以上に謙遜してしまうことが多い性格だった。しかしそれなりに大人になった今は「褒めた側もやたら謙遜されたらその後の対応がだるいだろうな」「褒められていることについては素直に嬉しい」と思うようになり素直に「感謝申し上げる」と言うことの方が多くなった。

・そんな感じでここ数年は「感謝申し上げる」の方向に舵を切っていたのだが、また「褒められているが本当はそんなこと微塵も思われていないんじゃないだろうか」と思うようになっていることに気が付いた。完全に労働の弊害である。ここ1年ちょっとであまりにも「いいよ(いいとは言っていない)」みたいな事案に遭いすぎて、矯正されつつあった思考がまた捻じれてしまった。「本当はそう思っていないんじゃないか」「そう言うことでむしろまったく逆のことを伝えようとしているんじゃないか」考えてもまったく意味が無いのはわかっていても思考は止められない。困ったな。


・眠い。ずっと変な時間に寝ているな。

・病気になってからというもの、わたしがたまに投稿するXのポストを見た知人から連絡をもらったり、食事の誘いをもらっている。あくまでわたしの状態が、という話ではあるが、いくら知人と言えど明らかに精神に傾斜を来たしている人間に遭って話をしようとすることって、それなりに勇気や心の準備が必要な気がしてしまう。そこを乗り越えてまで連絡するところに漕ぎつけてくれた人がひとりでもいてくれたことは本当にありがたい。

・そんなことで明日は牛モツ鍋を食べるらしい。頼んでもらったコースの中に入っていた。コースか……自分の取り分を食べられるかは不安があるが、無理なら知人に食べてもらおう。

・正直モツは苦手だ。焼肉では安いので民意で頼まれがちだが、手は付けない。もともとぐにょぐにょした肉が好きではないので、鶏肉も部位によっては苦手だ。ただ、数年前に職場の食事会で食べたモツ鍋がかなりおいしくて、鮮烈に記憶に残っている。鍋のモツはふわふわですぐに溶けてしまい、モツの嫌な要素がすべて消えていて最高だった。あれは何だったんだろう。結構前のことなので、記憶は淡くなってしまっているが、あの日の鍋のおいしさだけがいつまでも輝いている。ただ幻だった可能性も捨てきれず、あれ以来モツ鍋を食べたことは無い。平常時であれば苦手な食べ物なので、店で頼んで嫌だったら始末に負えない。

・しかし今回はコース内に入っているので、勢いでモツ鍋が食べられる。かなり期待している自分がいるが、胃弱の状態で食べても大丈夫だろうか。まあ大丈夫か。

奢リゾット

・真ん中に良いチーズの塊が入っているのだが、完全に混ぜるタイミングを間違えて最後の方がかなりチーズ過多の重め味変になってしまった。リゾットはうまい。奢りのリゾット、奢リゾット。

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