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再生した肉の塊(2024年3月23日の日記)

・親知らずを抜いたところが一切痛まなくて拍子抜けています。

・術後麻酔が切れてきた頃にうっすら痛んだけど、それも大したものでもなく、今日に至ってはまったく痛くない。舌で触ると抜けた歯茎は穴が空いて柔らかくなった肉が露出しているのを感じる。でも全然沁みないんだよな。もう表面に何らかの薄膜が張っているのだろうか。歯医者では強く口をゆすぐと、再生してきた肉が吹っ飛ぶのでやりすぎないでくださいと言われたが、一回くらいなら肉をふっ飛ばしてもみたい。自然に再生した肉の塊を見てみたいしな。

・わたしは今上の親知らず2本を抜いたことで完全に親知らずを舐め腐っている。このくらいの痛みで済むなら下も抜いちゃおうかなと思っている。

・しかしすでに下を抜いたことのある知人に聞いたら下は上の万倍やばいらしい。何でそんなことになっちゃうんだ。怖すぎる。まあ今のところ下は上ほど磨きづらく無いし、フロスも通せるからそのままかな。


盛りが下手

・結婚式の写真を見返していたら己の強欲さを感じる写真があった。わたしのいたテーブルではわたしが一番ケーキを食べていたが、隣のテーブルの知人は3皿食べていたと聞いて上を行く強欲にめちゃくちゃ嬉しくなった。そうこなくっちゃな。


・日本語表現の難易度調整について話題になってる。

・わたしも正直「琴線に触れる」って感情の神経質な部分に触れてしまうと捉えていた時があった。逆鱗と混同している人のことは笑えない。かと言ってこういう間違いが起きるから使わないようにしようとは思えない。誰にでもわかりやすい文章表現はもちろん大切だけど、本来存在する言葉を撲滅してまで平易にする意味はあまり無いし、積極的に言語レベルを下げていった先に有用な発展は無いように思う。

・たぶんこういう「有用な発展」みたいな言い方も、ある一定の層にはあまり好かれないのかもしれない。

・言葉を知る機会は本に限らないとはいえ、そもそも本を読む人にとっては「本を読む」ということ自体が当たり前に自分に根付いているんだよな。わたしの家族は誰も本を読まなかったけど、絵本を読むような時期には母が図書館に連れて行ってくれていたと思う。そこで本が好きになって成長してもひとりで図書館に通ってはたくさん借りて読んでいた。家族の読書状況から見ても、母親が連れて行ってくれなければわたしも最低限読むのは国語の教科書だけで、その後も本に触れずに生きる人生だったのかもしれない。

・本を読まない人に読めとは思わないし、勉強しろとも思わないけど、自分のわからない言葉を「使うな」というのは暴論だ。ただ知っている方も、必要以上に難しい言葉を使って人を馬鹿にするのは良くない態度だし、言葉を知っている自負があるのなら、状況に応じてわかりやすい表現を使うことも出来るはずだ。他人を馬鹿にせずお互いに歩み寄りましょうね……小学校のまとめみたいだな。でもネットで炎上しているようなことって結局この結論に集約されていくものが多いように思う。

・なんか怒られそうな気がするぞい。

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