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ゴリラのプロレスラー(2023年12月26日の日記)

・やっとふるさと納税をした。今日はそれくらいしか書くことが無いぜ!

・控除額の上限を算出するのに、自分の年収を改めて計算したらちょっと悲しくなってしまった。いや、田舎だからこんなもんなのか?一回転職したことでちょっと基本給が下がったのはあると思う。それでも前の会社よりは良いんだけど。どういうことだよ。

・実際現状この年収で生活に困っているわけでもなく不満やひもじさも感じてないから、収入の身の丈にあった生活が出来ていて、かつ自分自身の感覚もこの生活のランクにチューニングされているんだと思う。

・あれだな。同級生たちに教員が多いからいつも頭にそれがよぎるんだろうな。でもそれは自分で選んだことだから羨むのはお門違いだろう。免許はあるし今からでも全然なれるけど、教員はあまりに嫌すぎる。

・何か最近羨みの話しかしてなくない!?やべえよ~~~~!!!!!

・ふるさと納税の仕組みをいまだにはっきり理解していると思えなくてちょっと怖い。ワンストップ申請とやらの〆切も来月の10日だ。これを逃したら普通に満額請求されるってことであってる?怖いぜ。

うまいぜ


・Audibleで「ゴリラ裁判の日」を聞いた。わたしはゴリラが好きだ。巨大な体に備わった規格外のパワー。そのパワーに反した穏やかな性格。ホモサピエンスに近い遺伝子情報と高い知能を持ちながらも、人間とは明確に分けられているところ。

・あらすじにもある、ローズが夫を殺された1回目の裁判のあとに「司法は人間に支配されている」と言ったシーンでは、そもそも司法は人間社会のルールであり、そこに則った罰則を望んだのなら当たり前だろうと思って多少白けた気持ちになった。支配されたくないのならジャングルのルールで全員ぶっ飛ばせばいいのだと。

・しかしこの裁判の結果は、ローズが人間であったならもっと違っていただろう。夫が家に入ってきた子どもと遊んでいたら突然銃殺される。人間であったなら、こんな理不尽が許されるわけはなく、許されてしまったのはひとえにローズも夫もゴリラ、「動物」だったからだ。

・さらに、この物語の中では「何を持って人間たりえるか」という点も論争にあがる。ローズはアメリカ式の手話が完璧に使えるゴリラだ。例えば動物園の柵を越えてしまった子どもが最初に出会ったのがローズであったなら、特にトラブルなく動物園の関係者と意志疎通し、銃殺されることなく子どもを引き渡せただろう。しかしローズの夫は人語で意思疎通が図れなかったので、子どもの安全のためやむなく銃殺された。ローズは本人の素養もあるが、勉強ができる環境におかれたが故に手話を覚え人間的な思考を身につけることができた。そしてそれは人間と同じである、という記述にはっとさせられた。今でこそ人間の教育や識字率は向上しているが、かつては身分や生まれによって言葉を持てない人々は今よりもっとたくさんいた。それによって理不尽な死を与えられた人もいただろう。彼らは人間だったはずだ。でも言葉を与えられず殺される。それは動物と、ゴリラと何が違うのか。また逆に言葉を持った動物は、ゴリラは、人間ではないのか?人間と意志疎通が図れる動物は人間ではなく何と言えるのか?彼らが人間ではないとして、なら我々ホモサピエンスを人間とする定義は何なのか?ただホモサピエンスという種族というだけで、動物より優位に立てるのだろうか。言葉を持たずとも?

・考えさせられる作品だったが、途中でローズがプロレス協会にスカウトされてプロレスラーになったところではめちゃくちゃ笑ってしまった。人間社会に進出したゴリラに一番させちゃいけないことじゃないか?いや、させちゃいけないことなんかないのか。ゴリラのプロレスラーは見たすぎるからな。

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