キウイおじい

「いっせー!!」

 声がした方を見ると、おじいさんがレジの中に立っていた。制服を着ているって事はこの人はコンビニ店員さんか? 初めて見る顔なので新人だと思うけど、どう見たって70歳を超えている。多岐にわたるコンビニの仕事を、こんなおじいさんが出来るのか?

「いっせー!!」

「ふっろごーしょか!!」

 おじいさん店員は滑舌が良くなかった。たぶんこれは『いらっしゃいませ』『袋はご入り用ですか?』って言っている。

 それと袋詰めが遅いし下手だ。おにぎりの上にペットボトルのお茶を突っ込んでくる。故意ではないと信じたい。

 軽くイライラした僕が無言で商品を受け取ると、おじいさん店員は満面の笑みとともに、店内に響き渡るくらいの大声で言った。

「あいしたー!!」

 突然の愛の告白かと思ったけどそうじゃない。たぶんこれは『ありがとうございました』だ。居酒屋じゃないんだから。声が大き過ぎるだろ。

 おじいさん店員は痩せていて、産毛みたいな短い白髪が生えていた。何かに似ていると思ったらキウイフルーツだ。なので僕は密かに彼を『キウイおじい』と名付けた。


「おはよう。昨日お願いした件、どうなった?」

 遠藤が僕の机にやってきた。

「あ、はい。あ、いえ」

「ん?」

「あ、すいません。まだあの、ちょっと……」

「あぁそう。まぁ今すぐじゃなくて大丈夫。でも今週中にはよろしくね」

 遠藤の姿が見えなくなるのを横目で確認してから、僕は大きなため息をついた。

 遠藤は入社5年目の先輩で、半年前に入社した僕の教育係だ。言葉は丁寧で物腰も柔らかく、とにかく優しい。でもそんな遠藤とすら、僕は良好なコミュニケーションが取れていなかった。僕は人とのコミュニケーションが苦手なんだ。

 さっき遠藤に言われた仕事も、ただ顧客に電話して二、三の事を確認すればそれで済む。でも僕にはそれが簡単には出来ない。すごく勇気のいることだった。


「いっせー!!」

 キウイおじいがこの店で働くようになって数週間が過ぎた。キウイおじいはとにかく笑顔で声が大きい。この人も僕と同じ新人なのに、何でこんなに元気なんだ。もしかして小学二年生?

 僕はキウイおじいのこの元気が苦手だった。毎朝沈んだ気持ちで会社に向かう僕にとって、元気の押し売りをされているようでウザかった。

 でもそれもあと一ヶ月の辛抱だ。店の入り口に貼り紙があった。この店は一ヶ月後に少し遠い場所に移転するらしい。この店が無くなるのはちょっと不便だけど、これでキウイおじいに会わなくて済む。

「あいしたー!!」

 いつもは軽くイラッとするその大声も、今日は許せた。


 それから一ヶ月。今日はコンビニの最終日だ。

「会えなくなるの寂しいわー」

「移転先にも行くからねー」

 驚いた。コンビニを訪れるお客さんが次々にキウイおじいとの別れを惜しんでいた。キウイおじいはみんなから好かれていたらしい。

「今までありがとねー」

 僕の前に並んだおばさんもキウイおじいに声をかけた。その前の人も、そのさらに前の人もだ。

 こうなると、僕もキウイおじいに何か言わないといけないような気になってきた。

「いっせー!!」

「ふっろごーしょか!!」

 キウイおじいが袋詰めを終えて商品を差し出してきた。どうしよう。言うなら今だ。何か言うか。でも何を言えばいいのか。今にも心臓が飛び出しそうだった。

 キウイおじいは差し出した商品を持ったまま、僕を不思議そうに見ていた。僕が一向に商品を受け取らない事に合点がいかない様子だった。

 僕は覚悟を決めて、大きく深呼吸した。

『あの……移転先でも、頑張ってください」

 キウイおじいは微動だにしなかった。僕は黙って差し出された商品を受け取った。

「あいしたー!!」

 たぶん僕の言葉はキウイおじいには届かなかった。キウイおじいの耳が遠かったのか。僕の声が小さ過ぎたのか。


 仕事が始まると、遠藤が僕ところにやってきた。

「おはよう。今日はこの仕事頼める?」

「あ、はい」

「ありがとう。じゃ、よろしく」

「……あいしたー」

「え?」

「あ、いや、何も」

 遠藤は不思議そうな顔をしてから、曖昧に笑って席に戻っていった。

 僕の声は遠藤には聞こえなかった。遠藤の耳は遠くないから、きっと僕の声が小さ過ぎたんだ。でもそれでいい。聞こえたかどうかは問題じゃない。


 それから数日後の出勤時。ジョギングしているキウイおじいを見かけた。本当に元気なおじいだ。

 僕はリュックを背負い直し、前を向いて会社に向かった。

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