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【無料公開⑩】会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 9話 ~会社売却・事業承継の勘所~

M&Aアドバイザー(FA) ~2018年3月25日~②

さらに、樫村の説明は続いた。

樫村 「今後のプロセスとしては、平井社長のほうで先へ進める決断ができましたら、まずは弊社と平井社長個人との間で機密保持契約と業務委託契約を締結させてください。その後、平井社長と弊社チームで、貴社の事業について勉強させていただくプロセスを設けます。必要に応じて、セルサイドDD(詳細は『会社売却とバイアウト実務のすべて』第三部 6-1参照)も実施します。まずは貴社事業の魅力や数値データを完全に理解したいと思います。ここで貴社のことを我々が深く理解することは非常に重要です」

平井 「セルサイドDDって聞いたことがないんですが、どういうものなんでしょうか?」

平井が疑問を投げかけた。

樫村 「セルサイドDDとは、売り手自身が対象会社に対して行うDDです。ビジネス面、財務・会計面、法務面などを調査するのは買い手側のDDと同じですが、セルサイドDDではこれに加えてオーナーチェンジ後に買い手のもとで期待できる実質的なEBITDAを把握したり、自社の情報を整理し売却戦略を検討したり、価値の訴求ポイントを探したり、事前に処理できる問題を抽出したりといったことを行います。場合によっては、主張できるEBITDAが決算書上の数値の2倍くらいになることもあります。ちなみに、法務面のセルサイドDDは清水先生にお願いすることになりますかね?」

樫村は清水に視線を向けた。

清水 「そうですね。一般的なセルサイドDDの概要は理解しているので、できると思います」

日本ではM&Aイグジットの際に、売却者側がきちんと専門家をアサインしたセルサイドDDを行っている事例はまだ少ない。特に小規模のトランザクションであればなおさらだ。
平井が口をはさんだ。

平井 「さきほど出てきた『実質的なEBITDA』についてですが、たとえば決算書上の営業利益が100あって、僕の旅費交通費が20あるとします。僕は飛行機ではよくファーストクラスを使うのですが、これが大きくコストを引き上げているというのが現在の状況です。普通はうちくらいの規模の会社であればせめてビジネスかエコノミーを使うという規程になっていることも多いので、仮にすべてビジネスかエコノミーを前提に旅費交通費を計算すると10くらいになると思いますし、おそらく買い手が買収したあともこれくらいのコスト感になると思うんです。この場合、差額の10が本来不要なコストということになり、110を実質的な営業利益とする…という考え方はできると思うんですが、このような考え方はしてもらえるのでしょうか? こういうコストは結構あるように思っていまして」

樫村 「そういうことです。もちろん正式な決算書は買い手に渡すのですが、買収後に想定できる実質的なEBITDAは、売り手側でシミュレーションしておき、先方に主張すべきです。この実質的な利益の分析を含めてセルサイドDDをやるとやらないのでは買い手さんへの話し方も変わってきますし、自社の深い理解をベースに交渉できることは交渉相手からの信用にもつながります。交渉相手から信用を得るというのはM&A取引において非常に重要です」

ここで一呼吸置いてから、樫村は言葉を続けた。

樫村 「自社のことを理解できたら、必要資料の作成へ移りますが、まずはティザー・メモランダム(詳細は『会社売却とバイアウト実務のすべて』第五部 1-6参照)ですね。実務ではよく「ティザー」と略して呼ばれます。これは貴社の名前を「X社」等として社名がわからないようにしたものです。FAが買い手候補に対する最初の打診の際に使うものです。これがすごく重要なんです。たとえば平井さんが、自社を売却したいと思って多くの買い手候補に打診したら、御社が売りに出ているという情報が一瞬で広まってしまいますよね。もちろん、一定程度の買い手候補に打診しないとフェアな価格での売却はしにくいですからそのように幅広く打診することも重要です。ここで、うちのようなFAを利用してティザーで打診していくメリットが出るわけです。社名が書いていないが事業の魅力はわかるように最適化されたティザーを私どもが潜在的な買い手候補に開示していくことで、御社の名前を知られずに幅広く当たれるということになります。要はチャンスをつかめる幅が広がるということですね」

平井 「それはたしかにそうですね。私の知人も言っていましたけど、やはり売却価格最大化を考えると複数の買い手候補へ話を振ってみるかというのも大事なんですよね?」

平井は回答をほしそうに樫村の目をみて答えた。

樫村 「必ずしも多くに打診したからよいのかというとそうとも言えないのですが、たしかにその要素はあります。よってティザーを作成して複数の買い手候補に話を聞いてもらうことは重要です。先方も企業ですからね。『どういった会社を買収したいか』というニーズはすぐに変化しますし、発言力のある役員がたまたま前の週に『このような会社を買収したい』と思ったらそれだけで話が動きやすくなるといったこともあります」

平井 「オーナー経営者ならよくあることかもしれませんね。僕だっていきなり医療ビジネスですもん」

平井は樫村の説明を聞いて納得した。

樫村 「ですよね。上場会社でもオーナー色の強い会社は多いですからね。ですので、たとえ上場会社であっても開示情報だけではその会社が本当に興味あるターゲットを推測しにくい場合があります。多くの場合、実際に打診してみなければわからないんです」

平井 「でも打診先というのはどうやって決めていくといいんでしょう?」

樫村がこれに答えた。

樫村 「これは非常に重要なプロセスです。一定のスクリーニングは必要ですが、なによりも『本当にほしい』と思ってくれているところを探す必要があります。まさにシナジーの観点ですね。あとは、できるだけ大きな資金・資産を保有していてM&A経験が豊富な会社がよい買い手候補となりやすいといえます。

 これは感覚的にもわかりますよね? 仮に買い手は10億円を提示していて、平井さんは15億円で売却したい場合を想像してください。資金を1,000億円もっていてM&Aに慣れている会社と20億円しかなくて経験の浅い会社では、この買い手の提示額と売り手の希望額の差である5億円という金額についての感じ方はまったく違いますよね? おそらく資金1,000億円の会社のほうが、交渉に乗ってもらえる余地は大きいでしょう。実はこの資金量や資産量の観点とM&Aの慣れの観点は、ファイナンス理論上も割引率や評価等に影響を与えます。言い換えると、これらの属性の違いは買収可能額を理論的に左右しうるといえるのです。

 また、世の中には風評のよくない会社や、M&A後に頻繁に売り手とトラブルを起こしたり、少しのことでも損害賠償を求めてきたり…といった会社も存在します。FAがこういった情報をもっているケースも多いので、こういう会社への打診は一定の注意を払うべきです。話を戻すと、御社の事業領域であるIT・ネット業界は私も非常に得意としていますので、有力な買い手候補がどういった事業を買収したいのかという情報や買い手さん固有の性質にかかる情報はすでに社内に多く蓄積されています。弊社ではこの業界に興味ある買い手候補とばかり話をしていますし問い合わせも多くきますので、常に最新の情報がアップデートされています。これらの情報を使わない手はありません。あとは具体的なシナジーの可能性はもちろんのこと、買い手候補の資金量や資産量だったり、直近の実績、M&Aの傾向等をチェックしたうえで最終的な打診先を絞ります。

 ただ、さっき申し上げたとおり、実際どれだけ興味をもってくれるのかは打診してみないとわかりません。一般のビジネスの議論でも、顧客ニーズのレベルが『切迫していて喉から手が出るほどほしい』というレベルなのか、『あれば便利だよね』というレベルなのかによってビジネスの勢いが変わってきますよね。これはM&Aの世界でも本当に一緒です。こういった背景があるかないかで買収価格が驚くほど変化してきます。よいサービスでもマーケティングを誤れば市場に浸透しないのと同じで、M&Aによる売却活動も似たようなものです。ベストともいえる買い手企業候補を見つけるのは、なかなか難しい作業です」

平井 「なるほど。実際に興味を示す買い手さんが現れたらどう進めるんですか?」

(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)


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