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家計簿黒字化計画

数年前から家計簿をつけている。始めた理由は、どんぶり勘定過ぎて、いつのまにか「おや?はてさて?」となることが多かったからだ。社会人成りたてならば、「えへへ」で許されるような気もするが、もう許されない。これではさすがにまずいと思い、一念発起したのだ。始めてはみたものの、現状、活用まではできていない気がしている。「お金はお足が付いている(お金は出ていくものだよ)」という曾祖母の教えを「本当、そうだな!」と肌で実感する日々である。ちなみに、いつも収入の記録を忘れるため、我が家計簿は黒字になったことがない(あくまで帳簿上の話)。……まあでも、出金の記録をする習慣はつきつつあるので、第一段階としては合格としよう。

さあ、その中身である。私は、どちらかと言うと、堅実であり浪費家ではないと思っている。物を買うときは時間をかけて考えるので滅多に衝動買いはしない。でも、時々、衝動に駆られる。多分、これが大きい。このジャンルがということではない。……あれ?これを衝動買いと呼ぶのかな。

けれど、衝動に駆られて進んだものに間違いはなかった、と思う。何故か知らないけれど、どうしても気になるもの、気になること、気になる人、そういう感情を無視せず進む時は、決まってその先に道が拓かれた気がするのだ。もちろん、「あ、違った」というものもある。けれど、それは進んだからこそわかることである。進まなかったとしたら、いつまでも「やればよかった、進めばよかった」と引きずられたかもしれない。それよりはマシだ。

少し、遡って考えてみる。

衝動に駆られて参加を決めた文章講座に通わなかったら、今ここで書いている自分はいない。旅行に出かけなかったら(旅行先で文章講座のチラシを見つけた)、文章講座の存在すら知らなかった。何故か気になる人に出逢いに行かなかったら、私の文章を褒めてくれる人に出逢うことはなかったし、文章を書くことが好きなことを思い出せなかった。完全に閉じこもっていた私が何故か気になる場所に行かなかったら、尊敬して止まないあの人に出逢うことはなかった。もしも、違う選択をしていたら……どうなっていただろう?

多分、違う選択をしていたとしても、私はそれなりに楽しく暮らしているはずだ。けれど、衝動、いや、直感に従って進んできたことに後悔はない。いつからかルールを決めた。思考が強めの私をぶち破るほどの強い感覚があるなら、それは迷わずGOだ、と。

お金は自由を与えてくれる素晴らしいものだ。どうしようもない衝動に駆られた時、その想いに応えられる自分でありたい。そのためにも、今年は、将来設計含めて、お金について学ぶことで、どんぶり勘定を卒業しようと思っている。

文:彩音
編集:アカ ヨシロウ
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