職探しと自己肯定感と
※あてんしょん!
※今回めっちゃ脱線するけど、これがあったからこう考え直してすごく前向きになれたって話なので長いしとりとめないしまとまってないです!
※それでも暇だし読んでみるかって人だけどうぞ!
と、いうわけで。
よく意識高い高い界隈で
「自己肯定感はありのままの自分を認めること!」
とか言われてますけど、
まぁその原理で行くと中の人は自己肯定感ありよりのなりひらなんですけど、
じゃあそのありのままの自分が就活に役立つんかいってのは別の話なんですよね。
ただ、切り口を残すのは大事なことだと言うのを昨日ハロワで気付かされまして。
言われて嬉しかったんで具体的に書くんですけど、どうやら自分、剣道二段持ってるんです。
剣道二段持ってた気がするけど今その表彰のやつないし、いつ取ったか見返せないし、
そもそも自分なんかが本当に二段取ってたっけ?(人生の半分以下の時の記憶なんてそんなもんです)
まぁ事実取ってるんですけど、
何で自分が持ってるかどうか忘れているのかという話は後にして、一旦嬉しかったことを。
中の人「高校の時の資格ってもう身についてないので書いてアピールになりますかね?」
ハロワ「でも今体力あるのはこの時剣道してたからですよね?」
そう! そうなんですよ!
この時の嬉しいポイントは実はめちゃくちゃあって、
でもまず一番大きいのはやっぱり、
●自分がぼんやり思っていたことが、他者から見ても強みに活かせると思ってもらえた
ですかね。
就活って結局「ありのまま」なんて綺麗事じゃなくて他者からどう見えるかですしね。
ぶっちゃけいろいろ脳筋エピソード上げてますけど……、
正直さらっと書いてるから読んでる人からしたら
「本当に体力あるのかどうかよう分からんけどなんかめっちゃ歩いてるのは分かった」
みたいな曖昧な感じしかないじゃないですか。
あと就活においてエピソードの羅列は蛇足なので……、
(面接での苦虫噛み噛みを思い出してまた同じ表情なるマン)
それが、
剣道二段という資格を提示されることで、体力アピールへの切り口になると言ってもらえたのは、めちゃくちゃ嬉しかったですね。
いやそれ!
ほんま自分体力あるんですよ!
持久力あるんですよ!
で、
自分が持久力やら根性やらが身についたのは確実にこの嫌嫌やってた剣道のお蔭だというのも自覚してるわけですよ!
だから、その、
嫌嫌ながらも続けていたことが、この二十年も経って肯定されることがある?!
ていうのがめちゃくちゃ今回強かったですね。
ちなみに剣道好きです。
高校でいろいろあって辞めましたけど。
(これも人間関係リセット症候群ですね、今思えば)
小学校の時はマジで嫌でしたね。
兄貴と常に比べられるし、
そもそもやりたいなんて言ってないのに兄貴が通うからって毎週通わせられるし、
自分がはっきり「比較級で褒められることはない(ここでは兄貴)」と悟るに至った原因を作ったものですからね。
根深いよー。
小学校一年生から剣道やらされてたから本当に根深いよー。
中学校と高校は自分の中の偽善者魂(これを人は正義感と呼ぶこともある)で済し崩しに入ってしまったのであれなんですけど、
中学はマジでまた兄貴と比べられたり「弱い」「簡単な級も取れてない」のレッテル貼られまくって、剣道自体は好きだけど、
「スポーツなんて評価されないと意味ない」という認識を植え付けられた時期でしたね。
高校では比較されることなくなったし、
あと兄貴は初段なんですよ。
中の人はね、周りを見返すためだけに二段挑戦したんですよ。
だって初段取った時に
「そんだけ長いこと続けてたら初段くらい誰でも取れる」
なんて、
それが事実であっても子供が初段取ったなら褒めろよぉ!
そもそも兄貴より初段取るの遅いとか、
年下!
一個下!
剣道歴一緒だとしても一個下なの!
この初段事件でめちゃくちゃもやっとして二段挑戦したんですよね。
(そしてこの初段事件からの二段挑戦は覚えているんですけど、自分のようなポンコツが本当に二段を取れたのか? という猜疑心の方が強くて、記憶が曖昧になっているという……、)
剣道に関しては本当に好きだったんですけどそれに付随する体験記憶がマジでもやっと案件多すぎるので普段は考えないようにしてるんですけど、
こうやって掘り返してみると、
「本当に今の自分剣道での経験なかったら存在しないぞ?!」
てくらい、自分の中ではデカい経験でしたね。
ここで就活に絡めて剣道での経験で得ていたけど自覚できてなかったものを挙げていくと、
・継続力! (小1から高2まで)
・体力!
・会話力!
・周りに比較されても自分の結果を自分で見る能力!
他にもありそう。
特に最後の二つは強いです。
中学校の部活マジでいろんな人間居て辞めてぇって感じでしたが、
そこでいろんな人と喋っていたことで自らの蝙蝠の実力を発揮し、相手に合わせて会話するってことを知りましたね。
これ、割と大人の大半が持ってないです。
喋ってて、めっちゃ感じる。
持ってないくても大丈夫です、中の人、だいたいなら相手に合わせて会話するスキルはあります。
中学校ちゃんと部活行ってよかった!
マジで会話するスキルは部活でいろんな癖強な子と喋ってたからだよ!
あと物事は比較級で考えるとよくないのもこの時には悟っていたのもよかったですね。
これはどちらかと言うと今まではネガティブな要素だったんですけど、
メンタルヘルス界隈に興味出てきて調べると、比較級でしか捉えられなくて病んでるエピソードが山のように出てくるので、
例え周りが比較級で物事を捉えていても、
自分は自分の中で芯を持ってそれを大事に物事進めていこう、
という所謂「自分軸」の考えが剣道通して身についていたのは助かりましたね。
剣道の話すると割とマウント取られるんですよ。
中の人の世代あるあるなんですが、
剣道って実は「本気出してやってる人は少ないけどやってる人はそこそこいる」ので、
「でも俺はここまで頑張ってた」の話に発展しやすいんですよね。
中の人は試合では滅多に勝てないし、
見るからに不利(筋肉が付きにくい体質且つチビ)、
まぁ資格は他人と競うものではなくて個人の技量(姿勢の美しさなどなど)なので置いといて、
そうやった時に「自分はこうだった!」という話題にされた時に向こうが上ってのはままある話です。
昔はめっちゃ相手ヨイショしてましたけど、
ある時「(相手は自分の方が強いアピールしてたのはそれはそうとして)でもそんだけ続けたんやん、自分は途中で辞めた」て話をしてくれて、
物事の基準なんて、どれを取るかで変わるんだよなぁと思って、
じゃあ自分は自分の基準を激推ししていこ!
と、考え方を改めて、ヨイショを辞めました。
(今、創作でお世辞言わなくなったのもこの辺りの考え方の変化が影響してるのかも?)
ただ、この「比較級だけじゃない」考え方はめっちゃ人と衝突します、いやマジで。
創作だと分かりやすいんですけど、
誰だってたくさんの人にいいね貰ったら嬉しいし好きな人から褒められたらめっちゃ舞い上がるじゃないですか。
(あ! 最近小説の感想で好きな創作者さんからすっごく素敵な言葉をもらえてめちゃくちゃ嬉しかったんですよ!)
で、まぁ、創作とかって、
「周りに比べて自分は……、」てなる人めちゃくちゃ多い!
それに対して、
「そんなことない私はあなたの作品が好きなのにそれを作者本人が否定するな馬鹿ー!」
みたいになって、結果人間関係切れたりはよくあります。
いや本当、よくあるんですよ。
ただ、まぁ、自分はどうやっても
「比較級じゃなく」「それそのもの」を見て感じたことでしか物事を測れないので、
(創作においてはね、だって創作は感性だもん、感性は比較級じゃないからね)
(ちなみに仕事はやや比較級で考えてます、給料が発生してるから生産性を見るのは厳しいけど仕方ない話なのでね)
(ただ、だからこそ生産性という結果で測るべきであって、特性や属性で測るのはナンセンスだと思ってますけどね!)
この比較級じゃないよってって考え方に限らずなんですけど、
考え方って個人が「無意識のうちにめっちゃアイデンティティ持ってる部分」なせいで、
こちらが「まぁ私はこういう考え方してるけどね」ていうのを、
「否定された」って捉える人が割と多くて、
じゃあもう何も会話できんやん!
という愚痴は置いといて、
その相手の考え方を否定せずに「こういう視点もあるよ」の可能性を提示するの、めっちゃ難しいんですよ。
このnote自体の一番の軸、
「あくまで個人の感想です」にも繋がってるんですけど、
ここに書いてあることや私が喋ってることはあくまで「私」の意見だから!
その言葉に感銘受けたとか、傷付いたとか、そうじゃなくて!
合っても合わなくても「こういう考えの人もいるんだなぁ」でいいと思うんですよね。
どの人間関係でも。
(ただまぁ、これは特大ブーメランにもなりますが、明らかに周りから見ておかしいをやんわり指摘された時に自己否定されたと喚き散らすのは、よくある話なので、そうならないようにはしたい、したい、願望)
めっちゃ脱線したな……。
何の話だっけ……、
昨日ハロワで「体力はこの時の」の話……、
嬉しいポイント!
●肯定されてめっちゃはっぴー!
ですね。
これ何でもそうですけど、
肯定されてここまで嬉しいってことは、自分の中でここまで頑張ったという事実があって、
それを肯定されたから嬉しいんでしょうね。
自分にとってどうでもいいこと肯定されても「いや今それ関係ないやろ」みたいになりますもんね、関西人のさんさんよんくらい関係ないですからね。
(虎党の何でもさんさんよんネタは好きだぞ! どんどん関係ないことにツッコミ続けてくれ!)
嫌嫌剣道やってたの話をすると、
「やってみて好きだったけど強制されたり比較されるのは違う」という当たり前体操な話であって、
剣道自体はめっちゃ楽しい!
ぶっちゃけ刀ジャンルいた時に
「何で後輩や顧問がウザいという要因で剣道辞めたんだ!」
型くらいちゃんと覚えてそこから居合いなり選択肢があったじゃないか!
て思うくらいには、好きでしたね。
それに一応人間関係リセット症候群で辞めたけど、それさえなければ続けていたという「継続力」のことも、
自分ではめっちゃ頑張って続けたんやん!
て思ってたんですけど、
「高校途中で辞めた」のレッテルで継続していたそれまでがなかったかのように扱われてくることが多かったんですよね。
(誰とは言うんですけど親、アンタだよ)
そら親からしたら「そんな状況で剣道捨てた」に思うんかもしれんけどさぁ……、
防具だって買ってもらえないまま……、
身長低いからどうしても面打ちの時に金具に当たって竹刀の消耗激しいのをボヤかれ……、
あと自分だけが悪者になっている弱小部活で何で続けないかんねん、
ていう。
ここら辺は友達と美術部の先生にマジで感謝してます。
ある日ぷつんと切れて剣道部行くの辞めたんですけど、
それで美術部に逃げられたからこそ、
「創作してる人」と身近でいられたわけですし、
「逃げる場所はちゃんとある」っていう成功体験になったわけです。
美術の先生が、
「逃げてるの知ってたから隠してるけど、怖い顧問に『来てないか』って言われる度に板挟みで……、」とか言ってくれたんですけど、
思えばその時に、
「本当にもう無理ってなっても助けてくれる他人がいる」
っていうラッキーのお蔭で、今の自分があると思ってます。
んで、その時美術部に逃げたお蔭で、
「公式とは違うから妄想だけにしとこう」と思っていたけど、同人誌でやりたい放題なのを見て、
私も好きカプ幸せにするんじゃ!
と、二次創作始めていたりもします。
まぁ、形になり始めたのは個人サイト作った大学生からですけど。
(好きなものの絵を描くのはずっとやってたしこれは小学校中学校そして高校離れても一緒に遊んでくれた幼馴染のお蔭で、それとは別に物語を発展させていいってなったのはこの時の同人誌のお蔭です)
また脱線しましたけど、
そうやって頑張ってきたけどいまいち他人に肯定されてなかった事柄が肯定されたのが、めちゃくちゃ嬉しかったという話です。
でもここでめっちゃ反省したことなんですけど、
自分がめっちゃ頑張っていたことですら、他者が肯定してくれないと、心の奥底で肯定しきれてなかった、という。
これ結構頑張ってる人あるある、
且つ、
結果目の前で肯定してくれた人を否定するというクソみたいな誰も喜ばない結果になっているというか。
本当、今まで「えー! 剣道カッコええやん!」て言ってくれてた皆……、
あの時卑屈にしか返せなくてごめんよ……、
カッコいいって思ってくれてありがとうね……、
もう、ありがとう伝えられないけど……。
これは剣道だけじゃなくて他のこともそうなんですけど、
「自分はこれができる!」
「自分でもこれができる」
は、似て非なるもので……、比較されて育っていたりすると、自分では謙遜のつもりかもしれないけど、
卑屈になって、
あまつさえ相手の気持ち踏みにじって……。
まぁ、この辺のは小さい頃から受け付けられた育った環境の呪いなので他者がどうこうするっていうのは無理な話で、
(というか安易にどうこうするっていうのも、相手を理解しようとしてなくて失礼だと思うので)
そこはもうゆっくり、
「自分卑屈に育ったけどこれからは相手のくれた優しさや評価には素直に喜べる人間になろう!」
て、本人が思っていくしかないんですよね。
卑屈が治る治らんじゃなくて、
こうなりたい!
ていう、なりたい自分になるためのおまじない。
就活に関してはぐだぐだではありますが、
それでも昨日めちゃくちゃ寄り添ってめちゃくちゃ添削してくれて、
ダメなところはダメ、でもここは強みになるを、
「一緒に考えてくれる存在」に出会えたのはめちゃくちゃありがたいですね。
他人の頼り方が分からないで育つとアラフォーなってやっとここに到達するからな……。
でも、何歳になっても助けてくれる人の存在を認められることは、すごくいいことなんだなって思います。
(過去の自分含めて、他人の優しさや助け舟を無下にする人はめっちゃくちゃ多いですからね、世の中溢れてる)
(過去の自分言ったけど、まだ、無下にしてしまってる厚意はたくさんあるんだろうな、気を付けたいな……、)
今回就活やってみてめっちゃ思ったのは、
メンタル病んでる時まじで世界全部敵にしか見えんかったんだなぁ、という。
数年前にメンタル病みすぎた時にも変わりたいって思ってフリーターしながらハロワ行ったけど、
誰も寄り添ってくれてるように感じなくて、
でも今ハロワ行ったら皆丁寧だし優しいし、仕事だというのはあるけどめっちゃ向き合ってくれるし、
あの時、どんだけ病んでて判断能力なくなってたんだよって思いますね。
まぁ、文字も読めなくなってたし、そんなもんですね。
(ただまぁ金なくて受診してないのでうつ病ではないです、診断名はそれと向き合って医者に掛かった人の特権なので)
病んでる時って、全員敵に見えるというか、
誰も「解ってくれない」から、「もう誰も信用できない」で、孤独になったりするんですけど、
今思えばそりゃそうだろって思いますね。
誰も解ってくれないなんて、
そりゃ解ってほしくて伝える努力は大事だとして、
それ以前にじゃあ自分は相手のこと解るのかって話なんですよ。
他人のことなんて解らん!
解らんから対話していくべきだし、解らんことは解らんって認めるとことが相手を尊重する、ひいては自分も尊重するってことなんじゃないかと思うんですよね。
相手への尊重なしに何で自分が尊重されないことだけ嘆いてたのか……、
(まぁ、あの頃の中の人は本当に傲慢でした)
(今でも傲慢だけど、ちょっとだけ、成長したと思い……、思いたい……、)
まぁ、逆に言えばあんだけドン底病んでたのに今はいろんな人の優しさを受け止められるようになって、病みが緩和されてるってことなんでしょうけど!
また脱線してるな……。
というわけで、だらだら書いていましたが、とりとめなくなりそうなのでそろそろおしまい。
病んでると他人の優しさを手で払ってあまつさえ叩きつけて攻撃ばっかして身を守ろうとするけど、
一旦卑屈や攻撃で身を守るのは止めて、
素直にいろんな人の意見を参考にしつつ、
「金もねぇがそれ以上に精神病むからさっさと働きてぇ!」
ですね。
まぁこれはありがたい話ですけど、
ここまで不健康な生活極めてても身体は健康そのものだし血液元気なので、
献血や偽善をきっかけに外に出ることができるのはよかったなと思います。
外に出るきっかけはたくさんあるんですけどね。
自分のためだけだとなかなか動こうとしない怠惰なのでね。
こういう「きっかけ」はどんどん掴んでいかないとですよね。
そして就活してて思うのは……、
一生活かされない「文章創作」という特技……、
いやいいんですけど!
自分が唯一本気で楽しくて本気で得意だって思ってるだけですからね!
でも自分は絵にしろ文章にしろ、創作で好きな人達や知らない何処かの誰かを少数であれ楽しませていたっていうのはね!
本当に大事で自分の軸ですからね!
就活とかでも認められたいですけどね!
てなわけで、最後ぼやいちゃいましたが、
(ていうか全体通してぐだぐだでしたが)
就活も、それ以上に今は創作を、めっちゃ頑張るぞ!
おしまい!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?