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「好き」への理解について考える

こんばんわ!
今日は頑張って歩いて三十三間堂の春桃会に行ってきました!

もうめっちゃよかった…、

三十三間堂の話はまた後でするとして、
(マナすまちゃんの写真を載せるマガジンの製作を検討中)
今回は歩きながらぼんやり考えていたことを何となくつらつら書いていこうと思います。

好きって難しいですよね。
自分でも自分が正しく理解できている人は少ないかもしれません。

例えば中の人は普通の人よりは歩く方だと思ってるんですが、

別に歩くの全然好きじゃないです!

中の人が好きなのはゲーム!
ポケモンGO!

結果として歩かねばならないだけで、歩くの自体は好きじゃないです。
歩けるけどしんどいし、お金ないから歩いてるだけ。

まぁ、逆に言うと金を掛けない代わりに歩いて労力をと時間を使ってるタイプのポケGO廃人ですね、はい。

これは割と好きに関する命題なのですが、
目的があるから何かをするのであって、手段は目的じゃないよ、という。

いやね、もう最近歩くの好きな人みたいなレッテル貼られ気味なんですけどね、ゲームしてなかったら歩かんよ。
一歩も外出たくない。
いや外出たくないは言い過ぎですけど。

ちなみに中の人は写真を撮るのも大好きなわけですが、
今日はその、三十三間堂で桃の写真撮りたい!
と、ポケGOのためだけに三時間歩いて三十三間堂に行っただけで。

ちなみに春桃会でしたが堂内の写真撮影禁止のため、桃を使っているであろう素敵な生け花の写真は撮ってないです。

梅の写真はたくさん撮りました!

もう本当に花の写真撮るの好きすぎる…、

何に関してもそうですけど、
好きなことをやるために仕方なくやっていることが周りから見たら好きなことのように見える現象をどうするか。
まぁ、解ってほしい人にはコミュニケーション取って何度も嚙み砕いて伝えるしかないんですけど。

(ちなみに中の人の献血が好き、を解剖すると、偽善と血液が好きって言うのに分類されます)

偽善が好きなのはそうなんですけど、その一つだけだったら献血にはハマらなかったでしょうね。

私は血液が見たいんだ!!

(物騒)

あと複数回献血したら食器洗い用洗剤とか歯ブラシとかもらえるので、自己ネグにはありがたいんですよねぇ。

たぶん自分も、他の人の「好き」に対して、
的確に理解できてるとは言い難いだろうなってよく思います。

例えば創作なんかは、
「この人これ好きそう!」
という、たぶん好きだろうという地雷を文章に埋めまくって、
どっか一つで笑ったら私の勝ち!
と、思って書いてます。

そういう時は、相手への理解度は曖昧でもいいと思ってます。

曖昧なままでも、いろんな人の好きを詰め込みまくって一つの何かを書き上げるって言うのが、楽しいんですよね。

文章書くの楽しいですけど、

創作に対する好きも、もしかしたら創作そのものが好きなのもあるけど、

誰かの感情を動かしたい。

そんなエゴがあるから、余計に楽しいし、好きなのかもしれませんね。

何だか話が上手くまとまらんのでこの辺で切り上げますが……、

歩くの疲れた!

こんなに歩いたのに今週40キロ行かなかった!

という、ポケGOの愚痴を言ってから、ドロンしますね。
ドロン。

(二週間後の即売会が終わったら、写真のマガジン作りたいと思っています)

(有料ですが、無料範囲でも楽しめるようにして作りたいです、写真撮るの好きだから見たい人全員に見てほしいマン)

ではでは、いい夢見ておやすみなさい!
おしまい!

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