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自分を信頼するように他者をも信頼する

今私の中でテーマになっている、「自分を信頼するように他者をも信頼する」こと。

最近気付いたことは、私は恐ろしいほど自分を信じているのだということ。それも人生を賭けるほどに。

例えばその最たる例が、壱岐島リトリートハウスマノアの建設だった。


何か特別な情熱や大きな計画があったわけではない。
にも関わらず、土地を買い、建物を建てることにしたのは、”そんな気がした”からだ。

ここに住んでいる気がしたから土地を探し、この土地な気がしたから買うことを決めた。
どんな建物にしようかと思っていたところで出会った人が建築デザイナーで、「これこれ!絶対これ!」だと思ったから、それにした。

脳裏に浮かんだ映像、感覚、出会い、流れ。
恐ろしいほど私は、それらを信じている。

マノアは今99%完成といったところだろうか。
ここまで来るのに3年半という時間を費やせたのも、その間に起きた現実的な様々な問題に心が折れずにいられたのも、ここまで形にすることが出来たのも、すべては私の中にある、”絶大なる信頼”がそうさせてきた。


私が私を信じているのだ。 


それは、”私”という個性を超えた、もっと大きな私という生命に対する信頼。

まさかこんなに信じているとは思わずに、不意に疑ってみたり、謙遜な振る舞いをしていたけれど、そんなこんなで3年半も私は、3年半前に直感的に感じたことを愚直にも信じて向き合い続けているし、金銭的に大変なことが起きても、それでも「止める」という選択肢はあり得ないのだ。

住むわけでもないのに。

そう、私は住まないのだ。とりあえず今は、ここには。


にも関わらず、こんなに人生を賭けて挑んでいる。
その理由もやっぱり、直感を信じているが故に…なのだった。


なぜ?何のために?それをしてどうなる?
なんせこんな大きな建物だから、聞かれることも少なくない。

でも結構本当に、私がこれを建てていることに、そんな大した理由はないのだ。

ここで何をやるのか、なぜここに建てる必要があったのか。その理由は、今は分からなくとも、きっといずれ見えて来るはず。

今の私の小さな頭で理解出来るような計画ではないのだ。


洋風囲炉裏のあるリビング


ここで音楽祭をしてみたいし、たくさん料理を作ってガーデンパーティーもしてみたいし、お泊まり会や大切な人の結婚式、憧れのスローライフを真似してYouTubeも撮ってみたい!

ほらね、今の私が思いつくことなんてこれっぽっち。

思いついたことは全部やる。
それらをやりながら、見えて来るものがあって、見えてくればその時に私は今まで頑張った自分を褒めて受け入れて、手放すことが出来るんだろう。


最近は、今受け取れないものは今受け取らなくていいし、今手放せないものは今手放さなくていい。
それさえも受け入れる、ということがようやく出来るようになってきた。

頭では分かっている感謝や愛を、本心から受け取れない自分に対して、何とか理解して納得させて、受け取らせようとしてきた。

けど、受け取るって理屈じゃない。
受け取るときは思っている以上のものを受け取るし、それはここまでの経験と今のタイミングだからここまで受け取れたのだということも、その時の自分でしか分からない。


それと同じように、手放すこともそう。

手放す時は、今までその思いがどれほど自分の力になってくれていたのかに気付いた時。
そのタイミングで、感謝とともに別れることが出来るのだ。

手放せないということは、今まさにそれが自分に力を与えていて、今はまだそれが必要だからだ。



私は昨日、この記事を書いて、


今日に至るまでのすべてを創造してきた力の源は、私の中にあった【家族への愛】だったことに気付く。

「もう絶対に家族に心配をかけない」
「大切な人を大切にする」

その誓いが私に、自分自身への愛を育ませてきたし、人生を見直させたし、常に自分と向き合うきっかけを与えてきた。
それによって生まれたもの、得たもの、繋がったものが、今の私の現実だ。


半年前に、「もうこれ以上はこの原動力では走れない」と思った。

だけどこの時はまだ、欲望や感情の爆発によって起こる大きなエネルギーに変わる原動力を、私は知らなかった。

だからこの半年間私は、「愛とは何か」と考えていたけど、それはもうすでに私の中にあり、私を動かしていたのだった。

それに気付いたらもう本当に、今までのような”起爆剤”は必要なくて、
「もう絶対に家族に心配をかけない」
「大切な人を大切にする」
その誓いさえももう無くて良いのだ。


なぜなら最初から私は、大切な人を大切にしているのだから。



最近私の中で温かな声がする。


「いいの、それでいいのよ」


私の行動を、私の決断を、大きな愛が包み込む。

この声とこの温かな感覚に、ずっと昔から私は絶大なる信頼を抱いているのだ。
この声が「それでいい」というなら、それでいいのだ。
もうジタバタと抵抗するのをやめて、この大きな流れに身を委ねようと思う。


そして、これほど他者をも信頼するということ、なのだ。
すべては必ず良い方向に向かっていることを信じ、その人の人生、その人の流れ、その人の生命に信頼を寄せること。


それはきっと、私の中のこの温かな声が助けてくれるのだろう。そんな気がしてる。

假屋舞

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