アニメを見る才能

アニメを見るのにも才能がいる、ととみに思う。
加齢に伴い深夜アニメをリアルタイムで追う体力がなくなった。昔なら1クール物を毎週欠かさず見ていたが、今は思い出した時にまとめて見ている。毎クール見ている作品の本数を誇っていたが、今では気になったものを数本、片手で数えられる程度しか見ていない。
今挙げたようなものも確かに才能のあるなしで語れるものだろう。しかしここで言う才能は、それらとは若干趣を異にする。
先日、「ぼっち・ざ・ろっく!」を見た。きちんと最終話まで見たし、しっかり面白かった。放映当時に見たわけではない後追いだが、リアルタイムの盛り上がりは横目で見ていた。演奏シーンは言わずもがな、単なる萌えアニメでは片付けられない熱量、勢いのようなものを感じられる作品だろう。だからこそヒットしたし、今でも関連作品がしっかり売れ続けている(ように見える)。人気の理由は実感できた。
しかし一方で、巷の反響ほどにハマり込めない自分がいた。熱狂的にはなれなかった。路上ライブでの気付きを経て、初のライブでの逆転劇は確かにアツかった。しかしその後の学園祭ライブがそれ以上に盛り上がったかと言えば、自分にはそう感じられなかった。まるで山王戦の後のスラムダンクのような、そんな尻すぼみ感があった。
原作はまだ続いているし、きっと今後これ以上の展開があるのだろう。しかしそれは問題ではない。アニメを見た視聴者が熱狂的に盛り上がっていたように、自分もまた盛り上がることができなかったことを問題視している。そしてこれこそが、「アニメを見る才能」ではないかと思うのだ。
思えばもう14年前、これと似たようなことがあった。「けいおん!」である。あれもしっかり本編も見たし映画も見たが、しかしハマり込むというほどではなかった。世間の熱とは裏腹に、どこか冷めた視線を送り続けていた。既視感というにはあまりに似すぎている。あるいは、同じ理由に根ざしているのかもしれない。
流行りものに乗れない性格というわけではない。同時代と呼んで然るべき「まどマギ」や「シュタゲ」は大いに楽しんでハマった(後者はゲーム版からのファンだが、アニメではゲームの演出を上手く活かして組み込んだことを高く評価している)。では音楽系アニメにハマれないのか。「ユーフォ」は原作小説を買う程度には楽しんだし、演技の妙をまざまざと見せつけられた。それなら「ロック」というジャンルが受け付けないのか?しかしロック・ミュージックは言うまでもなく好きだ。アニメという枠で言えば、遡って「BECK」は途中から毎週楽しみに見ていた記憶がある(内容は全く覚えていない程度の嗜み方ではある)。人並み以上に音楽には親しんでいると自分では思っている。だから、何故音楽をテーマに取り扱った先の二作品が自分には馴染まないのかが分からないのだ。色々な要素を抽出して他作品と比較しても原因を突き止められない。しかし世間にウケているのであれば、相応に自分もハマって然るべきなのだ。だから、これが「アニメを見る才能」ではないのかと思うのだ。
加齢によって意欲が減退した。それは確かにあると思う。しかしそれなら大学生になりたての自分が「けいおん!」にハマれなかったことの説明がつかない。もちろん理由なんて一つだけではなく、複合的なものだろう。しかしそれを意識してもなお、確かな感触を掴めずにいる。「たまたま楽しむ才能がなかった」と解釈した方が、よほど自分の中で得心がいくのである。

直近で一番楽しく見ていたアニメは「チェンソーマン」である。リアルタイムで放送されているのを見ていたわけではないが、配信版を毎週楽しみにしていた。元々原作ファンではあったが、漫画では表現しきれない動きや間、週ごとに変わるエンディング、映像での表現など挑戦的な試みも面白かった。しかし世間的にはあまり評価されなかったらしい。監督のインタビューに端を発した議論もあったし、そこに反発する気持ちも全く理解できないわけではないが、円盤の売り上げ数を持ってきて「爆死wwwwwwww」と嘲笑う時代錯誤も甚だしい風潮にはどうしても同調できなかった。だがこのバッシングを多数派と呼ぶなら、同クールで明暗を分けた二作品の評価が世間と逆行しているのなら、それは「アニメを見る才能」がないと呼んで然るべきなのではないか。そう思えば、少しは諦めもつくものだ。寂しい話だが。

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