水族館に行った話、三秋縋の小説の話(ネタバレ)

※配信で話した内容の原稿です。


ユニバの翌日、水族館に行った話

・二泊することはもう決めていたので、どう過ごすか?と考えた時に水族館行けばいいじゃん!と思いついた
・どこに行くのか?などの詳細は一切決めていなかった。そもそもユニバのアトラクションもどう回るか見ておこう、と考えていたのに時間がなくてできていなかったので、自由行動である水族館を先に決めておくという発想はなかった
・そのためユニバ当日に至っても何も決めていない状態だった。終わった後で探せばいっか!くらいの気楽さ。今から考えるとただのアホ
・牛丼屋に行く道中だったか?natsumuriから明日の予定を尋ねられ、まだ行く先を決めていないことを話すと「大阪より京都の方が数が多いから京都がオススメ」「どうしても大阪内で行くなら、「ニフレル」か大阪港の「海遊館」の二択(しかない)。海遊館の方が広いからそっちがオススメ」との回答が得られた
・この時わりと生返事を返してしまった。「大阪港って……遠いんじゃね?」と漠然と考えていたから。ホテルに戻ってから交通経路を調べてみると、ユニバに行くのとそう大差ないくらいの時間だったので、行くことを即決した
・余談だが、ビーダマンとアイリョがかなり意気投合していたので二人で話していることが多く、結果的にだが自分はnatsumuriと話すことが多かった。ただ上手く話を回せず、会話が盛り上がっていた印象もなかったため、「今日は楽しませられたのかな」という不安を持っていた。ただこの時相手から予定を聞いてもらえたので思いがけずコミュニケーションを取ることができて内心とても嬉しかった

・翌日。時間に余裕を持って身支度をしホテルをチェックアウト。電車を乗り継ぎ水族館へ。最初からメトロに乗ればよかったものの勢いでJRの改札内に入ってしまったため、余計に時間と運賃が掛かるルートで行く羽目になってしまった。改札に入る前にちゃんと確認しよう!
・水族館は駅から少し離れた場所で、奥まった位置にあった。平日だというのに結構な人だかり。外国人観光客も多かったが、日本人の家族連れもそれなりにいた。なんで?
・チケットを買う時にアンケートを取っていると言われ、どこから来たかを尋ねられて満を持して「静岡」と答えたが、何もリアクションはなかった。まぁ海外から来てる人もいればそうか……。ちょっとがっかり。
・チケットにはエトピリカが印刷されていた。ランダムで動物が印刷されているのだろうが、水族館なのに鳥?何故?と疑問に思う。中に入ってその意味を理解する
・中は前評判通り非常に広く、順路は示されているものの全体図がなく終わりが見えない。今どこ……?と後半くらいから笑ってしまうくらいには広かった
・水族館内の構成自体は、各地域の気候や特色に合わせた水槽の展示になっていた。日本から始まり、温帯から寒帯まで、まるで世界を一周するかのような展示だった。水族館と謳ってはいるが、その魚を捕食する鳥や植物なども展示に含まれており、チケットに印刷されていたエトピリカはその一匹だった。食物連鎖も展示の観点の一つらしく、自分が今まで見てきた水族館ではそのような観点からの特集はなかったため非常に目新しかった(どの魚が旨い、などの人間からの知見はあったが)。グレートバリアリーフの展示が休止していたのが残念。
・展示の目玉はやはり水族館が一押ししているジンベエザメだろう。その水槽を中心にぐるりと360度回りながら下へ下へと進んでいく構成になっていた。他にもシュモクザメやイトマキエイなど、大きめの魚が目立つ水槽だったが、全体を一望すると小さい魚も一群となって全体を構成していることがよく分かる。海というのは目立つ大きな生き物だけではなく、様々な種類が入り混じって共生しているのだということが視覚的にもよく分かる展示だった。
・展示がずっと長丁場だからか、水槽のガラス面ごとに通路の後方にベンチがあり、水槽の様子を眺めながらいつでも休めるようになっている。特にメインエリアはずっと薄暗く、カップルで来れば雰囲気もあって存分にイチャイチャできることだろう。俺はずっと"無"と戯れており、人気のないエリアを選んで30分くらい寝ていた。おひとり様にもおすすめである
・自分のお目当てはペンギンだったが、館内でも人気なのか、3種程度を3~4つの水槽で展示していた。水中も見れる配置になっており、ペンギンがどう泳ぐかをつぶさに観察できてとても良かった。よちよち歩きで移動する姿も存分に堪能した。二匹くらいこちらに尻を向けてフンを連続で射出してきてよかった。鳥のフンと同じようなびしょびしょした液体だったので、「ペンギンは鳥」という話が実感できましたね。展示の後半ではアクリル壁に仕切られていない展示エリアがあり、とても大きな声でペンギンが鳴いているのが遠くからでも聞こえて、これもあまり他では見られない展示で良かった。よく言われる「ペンギンは臭い」という話も実感できたけど、鼻が曲がるほどには悪臭でもなかったように思う。来館者のコメントに「この臭いを楽しめるようになったら飼育員の素質アリ」というような返答がされていて面白かった。
・「行動のリズム」を音と光で表現した展示エリアも興味深かった。自分の心臓の音を聴診器で計り、鼓動に合わせて証明が点滅する展示から始まり、生物の食事のリズム、呼吸のリズム、視界のリズムなど、専門的に研究していなければ知り得ないことを知ることができるのは、正しく水族館の役割を果たしているように感じられた。情報量が多すぎて処理するのが大変だったのが難点かな。他にも魚の視界を種類別に体験できるコーナーもあったり、体感型のコーナーがそれなりに多かったのは面白かった。前半で紹介・観察し、後半で深掘りするスタイルはオーソドックスだが分かりやすくてよい。
・最後にテーマに沿って来場者のコメントを残せるエリアがあった。今回は「あなたにとって『海遊館』とは?」。どんなコメントを残したかはツイッターに上げたし恥ずかしいのでここでは紹介しないが、率直な気持ちではある。ただ、職員からの返答は現地でないと読めないので、もし行く機会があったら確認してきてくれたら嬉しいかな。全部には返答しないみたいなのでアレだけど。
・思い出にペンギンのぬいぐるみとジンベエザメのナノブロックを買って帰路に就いた。とても楽しい二日間で、この企画を立ち上げてよかったなと新幹線の中でしみじみと感じた。大人になってからこうした感慨に浸れることもそう多くはないだろう。改めて、参加してくれた三人には感謝をしたい。できたら末永く仲良くしてくれたら嬉しいな。


「君が電話をかけていた場所」「僕が電話をかけていた場所」感想


・まず第一に……ハッピーエンドでよかった、意外だった、この作者は感傷的なものが好きだから、ハッピーエンドは書かないものとばかり思いこんでいた
・その上で……なんか違くない!?という感想を持った

・まず上巻、こっちはほぼ完璧。特に終盤にかけての展開は非の打ち所がない。焦りの中、傷を失った主人公が改めて傷を負うことでヒロインと同じ痛みを分かち合おうと、造作もなく決めて行動に出る部分。この何気なさと決意の重さ、代償を支払ってでも相手に寄り添おうとする姿勢が何よりも良い。実現したかどうかは大して問題ではなく、「そうしようと決めた」その時点で覚悟はなされている。そしてその覚悟を砕いたのが、電話による運命的な会話。奇跡としか言いようのない不可思議な出来事。ここが頂点であったことは言うまでもない。だからこそ下巻では落ちていく。思っていた以上に落ちていった。
・下巻、完全にBSSの展開。人の感情は左右できないからこその歯がゆさ。勘づいていても邪魔ができない主人公は、ヒロインを思っていたからこその傍観だったのだろう。しかしそのもどかしさは読者にも同様に共有される。そのフラストレーションが溜まる状態がずっと続く。下巻中の三分の二はそうだったのではないか?あまりに長すぎた、そして拍子抜けの結末。「実は両思いでした」とは、その結果自体に反論はないが、ここまで引っ張っといてそれか?という気持ちがどうしても拭えなかった。肝心な一連の事件についての首謀者も、概ね予想通りと言うか大きな驚きはない。強いて言うならもう少し主人公との蜜月期間があっても良かったような気はする。主人公があまりにヒロインに一途すぎて付け入る隙がなかった、という印象だ。まぁ、揺れ過ぎてもそれはそれで優柔不断な男のことを読者が好きになれるかという問題はあるが……。
がっかりしたのは上巻ラストの電話の真相だ。あの奇跡のような出来事が、単なる気まぐれで実現したものだったと思うと、その神秘性も大いに薄れる。とは言え、後の「君の話」で作者の奇跡観が述べられており、それを踏まえるとこれを奇跡扱いできないというのは納得できるのだが。納得はできても大事な思い出に砂を掛けられたような、そんな残念な気持ちは残ってしまった。
もう一つ、「何故主人公はそんなに人から好かれるのか?」という点もいまいち腑に落ちなかった。幼馴染と人魚、二人のヒロインから好かれる主人公だが、その決め手となる出来事は明確に描かれない。喧嘩に明け暮れるすさんだ生活を送っていた主人公だが、道を踏み外すきっかけとなったあざは人目を引き、ただそれだけで様々な感情を生んだ。それがなくなったことで自分に向けられる視線の意味も変わり、また自分から見える世界も変わり……というのは、説明としてはまぁ納得できる。できるが、各ヒロインの好意にそれがどう影響するのか不明だった。幼馴染はまだあざがある頃からの知り合いである一方、人魚はあざがなくなってから知り合った相手(まぁ実際はあざがある頃から出会ってはいるが、演技が本心に変わったのはなくなってからだ)だ。この二者を比較すれば、「あざの有無は関係がない」ということが分かる。つまり見てくれではなく本人の言動で好かれた、ということになるのだが、それがどうも決定的な要素が見えてこない。ましてや幼馴染は同級生と比較しても群を抜いて美しく、放っておいても人が寄ってくるような状態で、何故主人公に惹かれたのか。その決め手が分からないのだ。
これを「エロゲ的」と評した時にそれなりに反発を食らったのだが、もう少し具体的に形容すると、これは「抜きゲー的」なモテ方のように思うのだ。抜きゲーは理屈など二の次で、エロシーンを最重要視している。何故主人公と行為に及ぶのかといった話は最低限で済ませる。なんならギャグ作品くらいの勢いでもいい。「そういう掟があるから」で十分なのだ。本作もそうだ。主人公が好かれているという状況さえあればよい。そのように自分には読めてしまった。もう少し繊細な積み重ねがあれば、人魚が主人公を好きになって、しかし自ら諦めるという悲恋の劇的さも増すし、ヒロインが実は主人公を好きで相思相愛だったというオチも、もっと運命的にドラマチックに演出できたかもしれない。しかしそうではなかったから、「そういう設定だった」と乾いた読後感が残った。やや厳しめな評価だと自分でも思うが、途中から作品世界から放り出されたこっちの身にもなってほしい、というのが正直な気持ちだ。


『君の話』


・既にMisskeyで書き、Twitterにスクショで転載したものが感想の大部分なのだが、改めてまとめたい

・まず読後の感想として、とても良かった。少なくとも、同作者の執筆した作品群の中で、自分が手に取ったものの中では傑出した出来だった。今までの作品で大なり小なり抱いていた違和感、不満がきちんと解決されていた。過去作品を彷彿とさせるような要素・展開があったことからも、作者的に集大成を目指して書かれたものではないだろうか。もしそうだとすれば、その目論見が見事に達成された一作だと言えるだろう。

・まず、『恋する寄生虫』との類似点について。話の構成としてヒロインがある目的を持って行動し、それに主人公が巻き込まれるという展開が完全に一致している。ヒロインが自らに好意を抱くように仕向け、主人公はその真意を知らずに惹かれていく、という点も同様だろう。ヒロインとは死別するという点も同様だが、これは作者の中でパターン化された理想の関係の終わり方なのかもしれない。エピローグで主人公が義憶に仕掛けた、「コンピュータウイルスのようなシステム」も『恋する寄生虫』を想起させる。代表作だけあって、特に色濃く意識していたのではないだろうか。

・『君が電話をかけていた場所』『僕が電話をかけていた場所』については、類似点ではなく相違点であり、また自分が勝手に抱いていた印象の話になる。
この二作は「前編・後編」「上巻・下巻」といった、一つの作品を分冊したものになる。タイトルの対称性からしても、てっきり自分は前編で主人公視点、後編でヒロイン視点に切り替わるものだと思っていた。しかし実際には基本的に時間軸に沿って一つの話が展開し続けるもので、思っていたようなギミックはなかった。有体に言ってしまえば、期待外れの構成だった。
『君の話』ではどうだったかと言えば、夏の終わりに同期して主人公の物語からヒロインの物語へと切り替わる。それも、作中の重要アイテムであるレコードになぞらえ、A面とB面の比喩を使ってドラマチックに演出した。この作者はそうした要素の重ね方が巧みであったが、本作ではそれが効果的に機能している。かつて見たかった展開が『君の話』で実現した、ということで、非常に個人的な理由ではあるが想起する構成になっていた。

・そして『君の話』が決定的に違うのは、ヒロインが主人公に抱く好意の理由が明確に描かれているということだ。同じように欠落した過去を持つ二人。しかし運命のいたずらでヒロインは主人公の「履歴書」を読むことになる。ヒロインは、法で定められた規律すらも飛び越えて、主人公に「自ら」の義憶を埋め込む。それは作為的な運命ではあれども、確かに欠けたピースを補い合うような二人の運命の交差だった。これを運命的な出会いと呼ばずしてなんと呼ぶのか。そして最も重要な点は、これはヒロインが強く欲して生まれた出会いであるということである。やむを得ない事情があるわけでもない。なんとなく、いつの間にか惹かれ合っていたわけでもない。ヒロインが自分に必要な人間だと判断したから、暴挙とも言える行動に出た。しかしこれこそが、自分が氏の作品に求めていた「好意の理由」だったのだ。

・『恋する寄生虫』に悲壮感があったのに対し本作はどこか別れがさわやかですらあった。それは死別した後が描かれていたからだろうか。「君の話」ではなく「僕の話」が始まったのは、ヒロインの物語が死を以って途絶したからだ。しかし二人はその死と向き合った。静かに二人でその時を待った。時間はいくらあっても足りなかったが、今やれることに二人は時間を費やした。寂しさはあっても物悲しさがないのは、その「やれることをやった」という充足感がそこにあったからではないだろうか。死別後の主人公が悲嘆に暮れるばかりではなく「ヒロイン」を製作したのは、自分たちのように運命的な出会いが必要な人間もいると確信を持っていたからではないだろうか。それは自分たちの運命に対する悲劇を嘆くのではなく、悲劇も含めて運命を肯定する、すなわち幸福、福音のように自分には思えるのだ。

・あえて一つ苦言を呈するなら、ラストの「運命的な出会いに惹かれる主人公」だろうか。できればヒロインに一途でいてほしかった、という勝手な願いだが、これは単なる好みだし、死者に囚われていることを良しとしない人間もいるだろう。この終わり方こそよいという人も当然いるはずだ。だからこれは別段減点対象でもなんでもない。ただ自分が気に入らないというだけだ。

・というような理由で総合的に判断して神作品とさせていただく。一つ余談だが、単行本出版当時にリーフレットで掌編『聖地巡礼』がついてきたらしい。文庫版にはついておらず、今は電子書籍で購入すると読めるらしいのだが……もし内容を知っている人間がいたらこそっと教えてくれないかな、とか、とか。

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