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自分には意味不明or嫌悪感あるけど、他人が惹かれているもの

TwitterをはじめSNSを見ていると「自分にはさっぱり良さが理解できないけど、他の人は惹かれている、称賛しているコトや人」をたくさん目にします。(目にしないなら、かなり同質の志向の人しかフォローしていないということ)

「良し悪し」と思うとパブリックにdisりやすい罠

音楽、映画、車、ファッション、外見が好みの有名人みたいなものは、わりと嗜好性の強いものと理解されているので「人によって好みが違う」に割とコンセンサスがあります。なので、よほど好戦的な人でないと、わざわざ他人の趣味をパブリックに罵ることはしません。

アイドルAさんを好きな人に向かって、「アイドルAの良さ、さっぱりわかんない。おまえ趣味悪いな!」と言ったら、相当な反感を買います。(ちなみにどーでもいい話ですが、私個人はスターウォーズが好きですが、それを人から中二病扱いされると、内心少しムッとします笑)

ただ、これがビジネスに関わるものになると、「好き~嫌い」という軸に加え、「投資に対する効果のある~なし」、「サービスの存在が社会を良くする~悪くする」、「考え方のロジックとして正しい~間違っている」というような、嗜好性とちがって「良し~悪し」のものさしで語れそうな匂いがしてくる。

この「良し悪し」で語れそうに思えたものは、人は雄弁に、パブリックに「悪」を指摘しやすい傾向があるのだと思う。「悪」であるならば、パブリックに指摘し、周囲に知らしめることには公益性がありそうにも見える。語る大義があるというやつですね。

ただ、この「良し悪し」判断は曲者で、(スターウォーズの反乱軍と帝国軍にはそれぞれの思想と正義があるように)価値観によって良し悪しの判断はだいぶ変わります。

少なくとも、上記ほど極端じゃなくても、良し悪しの間にあるグレーゾーンの「どこからが悪なのか?」に関しては、人の価値観やモラルによって、相当判断が異なるように感じます。

自分は「良し悪し」と思っているけど「好き嫌い」がdisトリガーになりがちなグレーゾーン

良し悪しに関して、間のグラデーションのグレーゾーンが広いと書きましたが、少なくとも一般的には法律を犯していたらOUTなのは、わりと幅広いコンセンサスがあります。

でも、自分からみたら「良くない」と思うけど「法律は犯していない(もしくは確信できるだけの証拠がない)」という状況は意外に多いのでは?と。

個人的には、このグレーゾーン、具体的には「法的にはOUTじゃないけど、自分の価値観としては好きじゃないもの」への対処が非常に難しいと思っています。

自分の価値観の好みとして「嫌い」の感情がトリガーとなって、パブリックには「良し悪し」の論調で指摘する。パブリックに意見表明することに抵抗がない人は、これは誰もがやりがちな落とし穴だと思うので・・・。

でも、自分が好きではなくても、多くの賛同者なり共感者がいるならば、そこにはなにかしらの価値を感じている人がいるということです。

それを肯定するかどうかは個々人の価値観次第ですが、事実は事実として理解はしておいたほうが、色々と判断は間違えなくなります。

少なくとも、ビジネスパーソンだったら、人が惹かれて集まるものは、下世話に言えば「金の匂いがする」ということなので、とりあえず好みじゃなくても頭ごなしに否定せずに「自分の商機も何かありそうか?」と理解に務めるのが健全な姿でしょう。(という価値観の資本主義よりなビジネスパーソンでもあります、私は。)

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「好きではないもの」への態度を変えるのは「関わりによる理解」

私の会社は、ブランドやマーケティングのコンサルティングの仕事をしているのですが、新しい企業から仕事を依頼をいただいたとき、

「依頼主の企業や商品・サービスの良さ、どういうお客さんが、何に惹かれて買っているのか?ファンになっているのか?さっぱりわからない。ちょっと調べても、頭でわかっても、身体性を伴った納得感がない」

こんなシーンに沢山出くわします。

でも、コンサルティングで頂いた新しいテーマも、対象テーマをリサーチし、それらの顧客の声と価値観への理解を深めていけば、自分と志向が遠いものでも「身体性を伴った理解」に少し近づいていく感覚があります。

そのときの理解の解像度を高めるソースは、クライアント企業の方と顧客の生の声です。

理解が深まると、「自分の消費者の好みとしては選ばないけど、そのブランドの魅力があり、それを求める人がいる」ということを自然に受容できている自分に気づきます。

100%の同意や共感はないけど、良いと思う気持ちは理解でき、小さな猜疑心や反発心が消えるみたいな感覚でしょうか。

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disるよりも「より魅力的な代替案提示」のほうが、自分が得をする

ダラダラ書いてしまったのですが、

自分では「良し悪し」と思って、悪を糾弾してるつもりでも、実際は「好き嫌い」の話の言い換えかもな?と自問自答してからパブリックに意見表明するようになると、SNSがもうちょっと平和になるかもしれないなぁ、なんて思ったりします。

自分にとっては「好み」じゃなくても、誰かにとっては「好き」や「価値を感じていること」は多々あります。

全員が自分と同じ価値観になるはずもない。

もちろん、相手に影響を与えるために、自分の考え方や好みを主張するのは良いと思います。でも、相手には相手の価値観、理解度、精神的なキャパシティがあるという、相応な敬意をはらうことができて、言い方が変われば余計な摩擦は減ります。

あとは、「disりたくなる何か」が心に現れた時は、対象をdisるよりも、「より魅力的な、代替できる何か」を建設的に明るく提示したほうが、結果的に自分の思う価値観の賛同者が増えると思うのですよ。あと、あまりにもdisばっかりだと「よっぽど自分の現状が心満たされていない不幸せな人なんだな」という余計な心配すらされかねない。

目的に対するアプローチとして考えても、

パブリックなdisは、自分に近い価値観の一部の強い共感者が現れることがあり、共感者の声は可視化されやすく、過剰に評価されがちです。

でも、その影で、わざわざ自分に苦言を呈することなく、がっかりして去っていく、見切っていく人々が出てきます。この失望は自分の耳には入らないため過小に評価されがちです。

*ただ、この話は、選挙みたいな短期間のゼロサムゲームでの戦いだと、disは対立軸を明確にし、注目を集め、一定の支持層を生み出す相当有効な戦術だと感じる例外シーンもありますが・・・まぁ、政治家以外で長期的な信頼資産が大事な社会人ならば、大半は上記の認識でOKかと

自分でも出来ているわけではない未熟者ですが、SNSでは時々そんなこと思うのですよ。

ということで、要するに何が言いたいかと言うと、、

私の好きなスターウォーズを馬鹿にしてる方は、まずはスターウォーズを観て、ちょびっとでも良さを理解して、暖かい気持ちでスターウォーズファンに接してください。中二病とか言うなよ。(そのとおりだけど)

久々にnoteを書いたら、なぜか平和を願う深夜ポエムになってしまいました。まる。

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戦略コンサルタント|ブランド戦略コンサルティングのインサイトフォース代表取締役。 http://insightforce.jp/