僕のホルマリン漬け

 事は3月27日OBライブまで遡ります。盛況を極めたお祭りも、賑やかな宴も終わり、宴もたけなわではありましたが、未だ私の熱りは冷めやらぬままでした。いざ二次会へと乗り込むぞと意気込み腕捲りをするも束の間、皆はめいめいの方角へ、それぞれの明日へと帰路に着くようでありました。悲しいかな彼らには帰るべき能動的現実があるようです。出荷前の余生の身たる私の胸中には、颯然と冬風の如き孤独感が吹き通るのでありました。しかしながら、同じ心持ちであったのか、今日を諦められぬ同士もまた少々。残ったのは当ローテーションの1番目と2番目と6番目の方々、何だか春先雪解けて現る朽ちた枯葉のような愁然たる面々ではありますが、積もる日々もまた含蓄も尚一層。かくして我ら3人は海浜幕張ネットカフェへと傾れ込み夜が明けるまで言を交わすのでありました。夕焼けに黒く染まるヤシの木の壁画を眺めながら…






お久しぶりです!!!
ローテ内からこんにちは。どうもお腹です。
いや違った!小原です!!!

何だか久しぶりで挨拶もぎこちないですね。
 皆さまに置かれましてはいかがお過ごしでしょうか。僕はまあまあ元気です。札幌の寒さは4月でも依然として厳しく、漸く桜の蕾も開こうかといった時候です。この文章は1週間、時間をかけて心を込めて、したためて行こうと思っているので、きっと皆様が読む頃には蕾も花開き札幌の街を春に染めている事でしょう。

ついに咲きました!
エゾヤマザクラは開花と葉の展開が同時に起こるんですよ!


 僕は今、お米が炊けるのを待ちながら、甜麺醤か豆豉醬を使おうかなんて考えています。そんな些細な事を迷える幸せを噛み締めながら、部ログを書いています。

 いつだか、iPhoneのメモ機能を見返している時に、高校生の頃に僕が書いた部ログの下書きが全て残っていた事に気がつきました。メモに残された、その若干の若々しさを宿しながらも、どこか皮肉めいた語調は紛れもなく僕の記したものです。そんな高校生の僕が書いた文章を大学生の僕が見返す静かな時間が、札幌のワンルームにひっそりと訪れたのです。


文章とは人格を映しとる魚拓のようなものでしょう。経験、思い出、感情、葛藤、友人の顔、そんな色とりどりの枝葉とともに、そこには当時の僕がはっきりと写し出されていました。今とは違う僕が。



人間は微分可能な時間的連続体です。

いみふめー


僕らは様々な経験を経て日々変化し続けています。過去、現在、未来、如何なる時点を取ってしても、今の今、この瞬間の自分と全く同じ自分というのは存在しないでしょう。


「自己同一性」という言葉がありますが、そういった意味では自己同一性とは虚構なのかもしれません。1人の人間をピックアップした時に、信条や行動原理(関数)が一貫していても、人格や感情(座標)一致する事はありません。


私達にとって変わらない事実とは、
「私達は変わり続ける」
という事なのでしょう。

 だからこそ文章を書く行為には意味があるのです。目まぐるしく更新される自分から、「その時の自分」を切り取って(微分して)保存してくれます。記憶じゃ賄いきれない、無意識の癖や感情の方向性なんてものもおまけで付いてきます。


僕が部ログメモを読んだ時、そんな当時のありのままの自分の情報という情報が洪水のようにして流れ込んできました。ひととき高校生の僕にバトンタッチして、自然と僕は己の生を肯定していました。自分で自分を責め続け苦しんでいた僕の背中を押してくれたのは、皮肉にも僕の文章だったのです。そんな多幸感に包まれながら泊まりに来ていた”どいてん”君を起こしに行ったのをよく覚えています。


であるからして、彼から説明があったとは思うけれど、僕からも重ねて言います。

「気負わずに書いて欲しい」

色んな人の色んな文章がこの先投稿されるだろうけど、文章の巧拙を気にせず、ありのままの経験と感情を吐露してほしい。僕はそんな文章が読みたいし、きっと数年後に自分の書いた文章を読み返した時、それは計り知れない価値を持った君の財産になっていると思う。ちょうど僕が高校生の自分に背中を押されたように。




そうです。事は3月27日のOBライブに端を発するのです。

 海浜幕張、深夜のネットカフェには昔話の花が咲いていました。当然部ログの話も持ち上がります。「時は来た!」と言わんばかりに僕は徐にiPhoneのメモ書きを2人に見せました。
「姉が唐揚げ棒になった日」の原稿です。
僕は文章を残す喜びを反芻しながら2人が読む様を眺めていました。
その後も僕が交換日記を高校生から続けている話や、6番目の人がnoteの投稿をしている話をしたからだと思います。3人ともすっかり部ログがやりたくなって「やろうよ、やろうよ」と話はモコモコと盛り上がり、当企画は始動しました。


部ログを再始動する上で

「俺が誘うわ」

かっこいいぶちょうのことば



とメンバー集めに自ら名乗り出てくださった大久保さんに、まずは多大なる感謝を。

大体こういう企画は「もう忘れちゃったかな」とか「みんな忙しいだろうしな」とか言い訳をつけて酒の席の話として水に流されがちです。
そこをしっかり行動に移し実現するのはすごい。なかなか出来ることではない。ほんとに


というわけでもう一度言います。
大久保さんに多大なる感謝を。







さて、前置きが長くなりました。ここからが本題です。
改めて新・部ログを書いてみて当時と大きく異なる印象を受けたのは
「部員達の生存報告」の箇所でしょう。

初めて部ログのグループに参加し、「部員達のの生存報告」と題されたサブタイトルを見て、

「生存報告が目的なんだ。そうなんだ。なんか軽音部員って飄々と流れてどこかへ消えていきそうだものね。」
と思った覚えがあります。

高校生の時分の自分にとって「生存報告」とはあくまで比喩的な表現であり、実際に想起する感触としては「出欠確認」に近しいものでした。

しかしどうでしょう。今「生存報告」と聞くとなんだか、より尤もらしい響きとして心揺さぶられるではありませんか。その理由は実に明確です。以前よりも「死」がずっと身近な存在となったからでしょう。



僕が人間の生を考える時に必ずするイメージがあります。僕らは海に浮かぶ「藻」のようなものだと思ってください。生きるというイメージは僕ら「藻」が海を漂うイメージです。当時の僕らには学校というたくさんの「藻」が絡まる足場のような物がありました。

 勿論そうでない人もいると思いますが、高校の時は毎日友人と会い家に帰れば家族がいました。たくさんの「藻」は絡まり合い支え合って生きていたのでしょう。正直毎日を生きている実感なんてありませんでした。誰かに生かされているうちは生きていて当然で、「生きよう」と思うことそれ自体があまりありませんでした。中学は悩む事も多かったですが、僕にとって高校は楽園でした。


しかし、一度卒業して外界に出てみると状況は一変しました。掴まる物がない、寄る辺がない。これを孤独と呼ぶのでしょう。なんだか寺社によくある手摺の無い急な段差の階段を登っている時のような、そんな不安感が日々僕を襲います。

僕は今生きています。
誰が何と言おうと僕は今生きています。
生きようとして生きています。
そして、それは裏を返せば「生きようとしなければ生きられない」という事です。

この機能使いたいだけ


何かのキッカケでプツンと生気の糸が切れてしまえば、文字通り社会の荒波に揉まれ、海の藻屑となってしまう…

僕は「藻の学校」を離れて、生きるために必死に岸壁にしがみつく孤独な「藻」です。
これは僕に限った話では無いはず。皆多かれ少なかれ、そんな孤独感と迫り来る死の誘惑に向き合って戦っているんだと僕は解釈しています。

「人は簡単に死ぬ」

ぼくのかんがえ


その事実に気づき実感した経験が、「死」が身近になった感覚の正体だと思います。



この「死」の存在について強く思わせるエピソードがあります。

 僕の祖父母の話です。僕が幼い頃、千葉に住む両親と姉と僕の4人家族は年末やお盆になると父の実家の滋賀県に帰省していました。千葉から滋賀まで東名高速に乗って車で行くので中々の距離と時間がかかります。行くだけでも一仕事ですが、滋賀や京都を旅行できる事、祖父母に会う事が楽しみで僕は帰省するのが好きでした。大体1週間弱滞在した後、また車で半日ほどかけて帰宅するのですが、帰省の最終日は僕は決まって辛い思いをしました。

今と比べて幼い頃は「別れ」の経験が浅く耐性がなかったのでしょう。また、大人とは違い5歳や6歳の子供にとって一年という期間は気の遠くなるほど長い時間です。来年まで祖父母に会えないというのが僕には悲しくて仕方ありませんでした。

 出発の夜になると姉と僕の子供2人は後部座席に乗せられます。これもまた一種の「出荷」と呼べそうな話ではありますが、そんな僕らに祖父母は「またね」「またね」と何度も後部座席の窓越しに僕らの手を握り別れを惜しむのです。発車した後も祖父母の家が見えなくなるまで彼らは手を振り続けていました。僕は悲しみつつも「来年も会えるのに少し大袈裟だな」とも思っていました。それほど彼らの表情は悲哀に満ちていました。まるで今生の別れ。これこそが「死の匂い」だったのでしょう。



  ちょうど去年の今頃、僕の祖父は亡くなりました。思い返せば、最後に祖父に会ったのは高校2年生の夏休みでしょうか。いつものように祖父は別れの挨拶をしましたが、当時の僕にはそれが最後の「またね」になるとは知る由もない事でした。

それだけ老いと死が身近にある存在ですから、祖父母は毎回毎年の別れにこれが最後かもしれないという覚悟をもって臨んでいた事と思います。この別れに載せる「覚悟」が「死の匂い」の実体です。


そんな経験があったから、僕はOBライブが終わって解散した後、各々の方向へ帰っていく皆一人一人のところへ駆け寄って1人ずつ名前を呼び丁寧に「またね」を言いました。
次に会うのは何年後かわからない。もしかしたら、二度と会えないかもしれない。僕が次会う時にはこの世にいないかもしれない。そんな決して非現実的ではない空想をしながら別れを惜しみました。「死の匂い」は変わらず僕と皆の周りに漂っていたのでした。


先程も述べたように人間は変化し続ける存在です。その変化はきっと生まれてから死ぬまで続くでしょう。個人がどんな人間であったかは故人になるまでわからない、最後の一秒まで評価できません。

人生は死を以て完結する物語。それが終わるまで人生の感想文はかけない。そういう意味で死は生の一部だと思うのです。

だから、死を見据えて生きる事を特段悪い事だと思いません。人に生きる権利があるのと同様に死ぬ権利もあるのだと思います。僕があの時、皆一人一人に別れを述べられたのも「死」を念頭に置いて生きているからこそ、限りある出会いと別れを大切にできた結果なのだと解釈しています。


memento mori

ゆーめーなことば


ここまで随分と不穏な話をしてきて、僕の心の健康を心配してくださる優しい方もいらっしゃるかと思います。

安心して下さい。今のところ僕は死ぬ気はありません。

今の僕には有難い事に沢山の繋がりが残っています。家族や友人、OBライブなどのイベント、文章や音楽などの趣味。そういったあれこれが生命の鎖となって今世に僕を引き留めます。

それが鎖である以上、僕を縛り苦しめる事もありますが命綱として僕の命を守ってくれる事もあります。つまりは僕の死を悼む人、望まない人がいるうちは僕が自ら死を選ぶ事はありません。死んでしまえば最早遺された人など関係のない事柄に思えますが、そう釈然と割り切れないのが人の情というものです。


僕を覚えている人が誰も居なくなったら、その時僕は自ら死にます。
ひっそりと1人瀬戸内の海に沈むと、そう決めています。

ただ何にせよ、実に喜ばしい事に、この度僕を繋ぎ止める鎖がまた一つ増えたではありませんか。そうです。部ログです。

再び言いましょう

大久保さんに多大なる感謝を



話は続きます。

何だか関係のないテーマが冗長に乱立しているように思えますが、大局的には一貫しているので、長くはなりますがどうかお付き合いください。それだけ僕が札幌で過ごした3年間は長く侘しいものだったのです。




僕は母の少し変わった口癖が好きです。

僕はそんな文章が読みたいし、きっと数年後に自分の書いた文章を読み返した時、それは計り知れない価値を持った君の財産になっていると思う。

さっきのぼくのことば

この文脈での「財産」が母の口癖です。母は人生において大事な物全てを
「財産」と形容します。目は財産。友達は財産。言葉は財産。

財産財産財産財産財産財産財産

この口癖は割りかし気に入っています。それらが本当に財産だからです。予め涵養する必要があって、いずれ消費されて行く物という意味でも財産という表現は的確です。

母の口癖にはもう一つ

帰ってこれなくなる

はは

があります。

この「帰ってこれなくなる」の概念が少し面白く、僕は強い共感を覚えています。僕含め皆さんにも少なからず通底している感覚だと思います。

母は小説や映画に対してよくこの表現を用います。具体的には映画「グラン・ブルー」や村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」などにです。母はこういった強い求心力と蠱惑的な魅力を持った世界観に磁石のように吸い寄せらてしまうようで、現実に「帰ってこれなくなる」そうです。実際僕が「グラン・ブルー」や村上春樹の小説に触れた時にも全く同じ感想を持ちました。


「帰ってこれなくなる」


この「帰ってこれなくなる」はある種物語世界への漂流だと僕は解釈しています。現実とのパイプを失う感じです。
「異世界性」を内包し、受け手に強い没入感を与える作品に触れた後は、現実生活に戻った後もついつい現実そっちのけで思索に耽ってしまう…

ここで言う「異世界性」とは受け手の感情や思考を捉えて離さない蜘蛛の巣のような粘着性を持った心理的平原のことです。言い換えればその作品の奥行きであり「旅情感」。言語化の非常に難しい感覚ではあります。しかし、皆さんも「ここではない何処か」に出かけたくなる時があるのではないでしょうか。旅先で眼下に広がる雄大な景色に胸打たれ、「ここで死にたいな」と感慨に浸った経験もあるかと思います。そういった現実からの誘拐、アブダクションが「帰ってこれなくなる」の条件です。「異世界性」とはそんな感情を違う地平へと誘導する非現実性の発酵したものです。

そんな、人を帰ってこれなくする素敵な曲があります。ドビュッシーの「clair de lune」です。

僕がこの曲に出会ったのは、アンチRPGの草分け的存在、あのMOTHERやポケモン、Undertaleにも影響を与えた「moon」というゲームの中でした。「moon」も「clair de lune」も異世界性を内包した作品です。


 「帰ってこれなくなる」と人はどうなるのでしょうか。心や興味関心の中核を物語世界に流されたまま置いてきてしまった状態なわけですから、当然日常生活は正常に巡行しません。何だか自分の意志以外の全てが、自分の代わりに人間活動をする。自分の体が自分のものではない気がする。その間、やはり心は内省世界の無人島に漂流し囚われたままなのです。

恐らく浦島太郎のイメージが近いと思います。竜宮城から帰ってくると現実が変貌を遂げてしまっていた。自分がいるべき世界はここではない気がする。そんな浦島太郎と僕が感じていた感情の名前は「離人感」です。

アブダクション。UFOにキャトルミューティレーションされる。地球に戻ったら隣人の目は冷たい。残ったのは社会からの疎外感と離人感。ふと目に留まるショーウィンドウに宇宙人となった自分の姿を認める…

ぼくの妄想混じりの自画像





 clair de luneは僕を暗澹とした過酷な現実から救い出す蜘蛛の糸でありながら、離人感を誘発する蜘蛛の巣でもありました。ですから面白い事に、僕の鬱々とした時期、その渦中では虚脱感に呼応するかのようにclair de luneの視聴回数が増えるのでした。気分の低迷と反比例して。clair de luneは僕にとって中毒性の劇薬だと言っても過言ではないでしょう。しかし、それが劇薬である以上、服用には慎重にならざるを得ません。本当の意味で帰ってこれなくなる前に。そう、死の淵から…


そんなclair de luneの異常なまでの求心力、「異世界性」の実像に迫りたいと考えたことがあります。

 僕はそれがclair de luneの持つ変則性にあると結論付けました。この曲は区画化された拍の上や定められた調性などの【規律】に素直には従いません。曲を通して不規則な展開と不完全な音の選択が続けられます。何というか突飛で不安定です。そういった独特な世界観と情緒の波が、僕の不安定な感情の律動とうまくシンクロするので、強い求心力を持った曲になったのだと思います。


 常識と規則、一般的な美徳から疎外されながらも、確かに唯一無二の美しさを持って存在している。そんな曲の生き様は僕の心の煮凝りを融解し、生きる重みを少し軽くしてくれました。異端者を排斥せず包摂してくれる、そんな母性のような暖かみがある肯定的な曲です。この暖かさは間違いなく正道を押し通る太陽の情熱ではなく、弱きを愛する慈愛の月光であります。

 僕が一番好きなのは曲の冒頭です。自分の心と体、その全てがゼロになっていく感覚。冒頭の一節は流麗な川のせせらぎの如き浄化力を持ちながら、想起される色は暖かいオレンジ色。異世界の浮遊感。僕は耳に差し込む月の光に蕩けるほど恍惚な心持ちになります。


大好きな曲の再発見と救済を通じて、自分の音楽の好みの争点がハッキリしてきました。

それが「包摂的」であるか、「排他的」であるかです。

この論点から大学で過ごした3年間で僕にはたくさんの嫌いな音楽が生まれました。


 まず一つ目はジャズです。
ジャズの音楽そのものは好きなのですが、音楽ジャンルのあり方が嫌いになりました。去年の年度初め、ジャズに対する憧れと興味から、挑戦の意を込めて大学のジャズサークルに加入しました。結果的に僕は2ヶ月でそのサークルを辞めるのですが、3月に帰省した時に

「なんで辞めたの?」

と問われたとき、自分の感覚とピッタリな答えが出てきませんでした。

「部の雰囲気が怖かったから」

と僕は答えたわけですが、これはあくまでサークル個別の感想で、ジャズをプレイする事自体が少し嫌になった理由ではありません。
その理由が何であるか考えあぐねていたところ「排他的な音楽」の考えに行き着きました。

 ジャズ自体は自由な音楽ですし、そこを聴くのも演じるのもすごく楽しいです。しかし、僕が排他的だと感じたのはスタンダードジャズという風習です。ジャズサークルに入った後「黒本」と呼ばれるジャズ定番曲の楽譜集の購入を命じられました。これは所謂ジャズの聖書のようなもので、大概サークル活動のセッションはこの中の曲を選んで行います。

 黒本を共通認識にしないとセッションが成立しないという理屈はよくわかりますし、皆が知る題材は必要事項ではあると思います。ただ、黒本に掲載された曲集の勉強を迫られ、教養として強要される点に納得がいきませんでした。黒本の中には僕の好きな曲も嫌いな曲もありました。恐らく全ての個人にあるであろう曲ごとの趣向を無視して、黒本全体を教養と掲げることがに耐えられませんでした。これは「善の共有」です。人それぞれの相対的な価値観を不条理に統一する試みです。

「その曲好きじゃねぇから!!」

席はある

と言いたいのをグッと堪え勉強する。そんな音楽の何が楽しいのでしょうか。それはジャズミュージシャンを志す人が苦心すべき事であって僕の領分ではない。音楽に常識を要する排除的な箱庭に嫌気がさして僕はジャズを辞めました。

 これは僕が見た狭い世界の話で無知な偏見に象られておりますし、世の中にどこかには包摂的なスタンダードジャズの世界もあるかと思います。しかし最も包摂的なのは昔流行った曲である「スタンダードジャズ」ではなく、今が皆が知る曲の「ジャズアレンジ」ではないでしょうか。個々が独立にジャズ化するだけであり、それがジャズの聖典として統一されることはない。僕が好きだったのはジャズではなくジャズアレンジだったと気付かされた一年でした。

二つ目はクラシックです。
たまに

「クラシックではなにが好き?」
と訊かれ、ドビュッシーと答えると、

「あれはクラシックというか何というか…」
と返されます。
当然ドビュッシーがクラシックらしくない事は承知の上で答えています。クラシックが嫌いだからそう答えるのです。

 僕は特に勇猛果敢な雄々しいクラシックというのが大嫌いです。「威風堂々」「カルメン」なんかは最悪です。これは曲自体がそう主張するのではなく、受け手の僕が勝手にそう感じているだけのことではありますが、かの曲達は僕にガミガミと説教をしているように感じさせます。

 調性に正しく則り規律に基づき整理された曲調。そして、受け手に勇気を促す迫力ある音圧。清く正しく美しく、規則正しく健康な生活。そんな印象を与えます。まるで
「頑張れ!もっと頑張れよ!」
と言われているようで、僕の今の不甲斐無いあり様を否定された気分になり、とても息苦しくなります。弱っている人間に「頑張れ!」は禁句です。clair de luneのような無言の抱擁こそが必要とされるのです。

そういう意味に限って言えばクラシックは健常者の音楽で、弱きものに排他的な音楽だと感じました。クラシックの世界には限りなく絶対的な善がある。ただ一つに確立された善の匂いが多くの二律背反を抱える僕にとって極めて重圧なのです。

三つ目はブルーグラスです。
ジャズサークルと同時期に初めて一年ほどで辞めました。
あまりに文章が長くなり過ぎていますし、流石に書くのも疲れてきたので、要点だけ簡潔にまとめて悪口を言います。

 ジャズのようなスタンダードがあり、善の共有がなされている事、ベースが単調なツービートを強制されアンサンブルを成立させるためだけの道具にされているようである事。これらが僕の嫌いな点でした。そして何よりウッドベース信仰の存在は欠かせないでしょう。これはジャズサークルにも共通していましたが、元々ウッドベースが使われるこれらのジャンルのプレイヤー(恐らくこういった偏見はアマチュアだけ)ではウッドベース信仰が根付いており

ウッドベース>>>エレキベース


のような図式が疑いようのない事実として共有されているのです。

「エレキじゃなくてウッドを練習しようね!」

ゆるさん

と言ってきた先輩は本当にブン殴りたくなりました。辛かったです。

こうして様々な音楽ジャンルを巡った結果、古巣の軽音サークルに腰を落ち着けたわけです。思い返せば千葉高フォークソング部は間違いなく包摂的でした。何をやっても許された。




 さてここまで惜しげもなく「嫌い」を連呼してきましたが、読者の中には「嫌い」を臆面なく主張する事に抵抗がある方もいるかと思います。実際、自分が好きなものを否定される辛い気持ちを知る僕らは、無配慮な否定を憚ります。


 しかし、「嫌い」を主張する事は「好き」を主張する事と同一だと僕は考えています。自分の感性の矢印がどこに向いているかを明確化していかなければ個人の思想は平板化していきます。平板化した思想それ自体に価値がないとは思いませんが、僕の場合は自分の人格、思想が平板化し独自性を失っていくのが怖くて仕方ありません。恐らく精神的独自性を失った途端自分の社会的な価値が完全に失われるという妄信に囚われているのだと思います。


 そういった僕個人の話はさておいても、やはり「嫌い」を主張する事は必要です。全てのものに「好き」とお世辞を使っていると、必ずどこかで矛盾が生じます。相反する存在を正面から真摯に嫌ってあげる事で自分の好きな物への愛情をより強化できます。自分の愛情に矛盾を入り込ませないという感じでしょうか。


これを他人の前で堂々と主張する必要性に関しては確かに疑問ではあります。しかし、物事の善悪は本然的な物ではなく観測者依存的な相対的な観念です。僕が嫌いと言ったことで物事の価値が決定されることはありません。僕の言葉に惑わされず皆さんの「好き」を、宜しければ「嫌い」も貫き通して頂ければ幸いです。少なくとも自分が納得できない価値観に頷くのはやめましょう。それは全くもって美徳ではありません。全肯定と全否定とは紙一重です。


僕もウッドベース信仰を目の当たりににした時に胸が苦しくなるほど辛くはありましたが、同時に
「世の中にはこんな馬鹿な人もいるんだなあ」
と感じた事を覚えています。
どんなに否定されたところで僕による僕の所有するベースへの愛は揺るぎません。



さてここまで語ってきた大学での音楽遍歴ですが、その価値判断の全てに共通して僕の第一の焦点は「包摂性」でありました。如何に広大な窓口を広げつつ、多様な人種と価値観を受け入れる受け皿を持つか、そこに僕の掲げる最大の美徳があるという事です。大衆に迎合するべきだと主張しているのではありません。誰もが気軽にアクセス出来る寛容さを持ちながら、受け手を捉えて話さない思考の深淵を併せ持つ。そんな「包摂的な異世界」が僕にとって大きなテーマとして屹立したことは、三年間の長い迷走の果ての成果といえます。


「包摂的な異世界」とは具体的に言えば、

高度な言語能力や情報処理を必要とせず、如何なる境遇の人であろうとも、受け手固有の自主的な思索世界へと連れ去る芸術

と表現されるでしょうか。この「包摂的な異世界」の実現が僕の創作史における第一目標として据えられました。


この「包摂的な異世界」の実現の動機としては単純で、幾度となく自分を救ってくれたclair de luneのような作品を自分の手で生み出し、自分と同じような境遇に苦しむ人間の一時避難場所を作りたい。そんな社会奉仕精神です。しかし、決して抑うつされた人種だけの享楽であってもならないとは思っています。それはきっと歪んだ仲間意識であり包摂性を体現しているとは言い難いからです。


そんな創作における目標が一応存在しているので、目下僕は自殺する気がないのです。先程僕を繋ぎ止める鎖と表現しましたが、この目標がまさに鎖となっているわけです。



さて、「包摂的な異世界」を実現するために、僕は創作手段を日々常日頃-現在進行形で模索しているわけです。

音楽は先天的な才が薄いこともあり、自分の感覚のコアとスムーズに連携しない不自由さを覚えます。一方で、文章はまるで履き慣れた靴で、最初から僕の体の一部であったかのように良く馴染みます。であるからして、最近は文章を使った創作の形態を試行錯誤している次第です。今は日記や随筆を試してみて結果小説が良いのではないかと軽く結論付いている段階です。

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僕は今、小説の練習も兼ねて「instant story」という創作を不定期で続けています。恥ずかしいですけど少し僕の作品を紹介しますね。



「明日になる前に言っておきたいことってある?」
「うーん。正直わかんないや。」
「まあ、そうだよね。」

二人の間に約束された沈黙が流れた。






無人島に流れ着いたら、ビンの中に心を詰めて海に投げ捨てよう。どこか遠い国の港町の、知らない言葉を喋るその人が、ひとたびビンを拾ったら、
さあ侵略の始まりだ。
心は鼻の穴からウイルスみたいに侵入して、自分の部屋みたいに宿主の心を散らかしちゃう。
暴れるのにも飽きたら、ヤシの実を一つ、その人の一番大切な思い出に植えて次の人へ。
こうして世界は無人島だらけになって、世界中の人みんなが自分だけの無人島に漂流する。







 この「instant story」は深夜やコーヒーを飲み過ぎた時に、原稿用紙を一枚破りとり、頭一杯に溜まった言葉を排出するために書いています。物語の構成を意識から外し、脳みそを介さず心で文章を書く。さながらスケッチのように自分の頭に浮かんだ語彙をそのまま書き写します。

結果解読困難なポエムとも不文律ともつかない言葉の羅列が出来上がることが多いのですが、たまに「これは好きかも」という作品が出来上がります。心で書くという超主観的な側面と意識を外すという超客観的な側面を併せ持つ、自己矛盾を孕んだストーリーは何とも妖しげな香りを放ちます。これこそが異世界の種だと僕は信じています。

また僕の意思が介在しない空間ですから、非常に受け手依存的な物語です。物語の筋やバックグラウンドといった「正解」を作者が設定していない以上、作品の意義や解釈、内容に至るまで読者に決定権が委ねられます。この作者の完全なる作品の放棄は、ある意味難解で異世界性に必要であり、ある意味平易で包摂性に十分なのではないでしょうか。

「instant story」は自分の感覚世界の開拓にも繋がりますし、彼らに「包摂的な異世界」実現を託してみようかなと考えている次第です。
意欲的でしょ?




さて、本当に長々と死生観と創作観について語ってきました。まずはこの長文駄文を最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。自身の部ログの一作目は自身の精緻な標本であるべきだと考え、必要以上に筆が乗ってしまったかもしれません。今思う自分の全てを記させていただきました。何にせよ、これだけの情熱を捧げられる活動がまたひとつ増え、仲間の作品を読んで知見と感性の平野を広げられることが何よりの喜びです。ありがとう。

そして何度でも言いましょう。僕をまた皆と引き合わせ、この世界に繋ぎ留めてくださった

大久保さんに多大なる感謝を


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