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人生には死んでも負けられない戦いがある

自己開示というと堅苦しいが、現在もなお抱えるコンプレックス(?)のようなものを言語化してみようと思う。

■周囲からの期待に応え続けた時代

僕は周囲の人間と比べスポットライトが当たる人生を送ってきたと思う。
父親はスポーツ選手。職業柄、ファンだったり世間から注目を浴びるような人だったし、時折テレビの向こう側に姿を見せることもあった。
周囲の人は父親の職業を知って、羨ましがることも多かった。
別に僕が褒められているわけではないのに、なんだか自尊心が満たされた気分だった。

比較的裕福な家庭だったこともあり、両親は僕に人生の幅が広がるようなチャンスを与え続けてくれた。
運動神経がとてつもなく悪い僕はマラソン大会ではほぼドベだったし、バスケも人並み以上にはできるが、決して上手ではなかった。
その悔しさは勉強に昇華した。
小学校5年生の時には英語のスピーチ登壇者に抜擢され、第16代アメリカ大統領エイブラハムリンカーンに関するスピーチを600人の前で披露。
高校2年生の時には大学別の模試の日本史で全国1位にも輝いた。
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」とあるように今振り返ると、偶然にすぎない結果だが、当時は特別な人間だと勘違いしていた。(本当に恥ずかしい限り)

大学時代も営業のインターンでそこそこに良い成績を残せたし、学生団体の代表として一定の成果を残した。

「英語のスピーチを600人の前で披露」
「日本史全国1位」
「営業インターン」
「学生団体の代表」

自分の手で自分の人生を切り開いてきた自負はそれ相応にあるし、自分の努力でそれなりの成果を上げてきた。
とはいえ自己実現の欲求も特段ないから周囲の期待に愚直に応え続けてきた。
そして期待に応えることで更にスポットライトの光の強さが増していく感覚に依存していた。

何かを成し遂げるモチベーションは人それぞれだから、極論承認欲求が原動力でも結果的に成果を創出するなら、他者貢献欲求が強くても成果が出ない人よりよっぽどマシ。
一見冷徹な考えかもしれないが、腑に落ちているので自分の人生には一定満足している。

■圧倒的に欠けている「強さ」

自分が歩んできた道に対して局所的な不満はあっても、人生そのものに対しての後悔はない。。
物心両面で満たされた人生を歩んできた。
紆余曲折を経たが、今が一番幸せだと胸を張って言える。
けど、けれども、自分には一つ、きっと誰よりも圧倒的に欠けている要素がある。
それは「人生の大勝負で勝ち切る強さ」である。
22年間の人生における大勝負といえば進路を決める局面、すなわち受験や就活を指す。
大勝負では必ず負けるというジンクスのような何かが自分にはこびりついている。

自分の人生において一番最初の大勝負といえば高校受験。
第一志望の高校は成績的にやや危なかったため塾の先生に促され、俗にいう安全校を受験。
無事危なげなく合格した。
第二志望の高校ではあったものの、合格できたことへの安堵の気持ちが沸き上がり、これからの高校生活に胸を膨らませた。

合格発表から数日が経ち、ふと受験の結果が気になったので点数を開示することにした。
するとそこには「191/250」という数字が記載されていた。

「...??」
言葉では表現できないような複雑な感情が入り混じっていた。

実はこの点数、第一志望の高校も合格している点数だった。
結果論ではあるが第一志望の高校を受験していれば、人生の大勝負で結果を残せていた。
第一志望の高校を受験すると思い切って決断できなかった自分に激しい憤りを覚え、悔しさが込み上げた。
高校受験はいわゆる不戦勝のような形で幕を閉じた。

高校に入学してからというものの周囲より意識高く勉強に取り組んだ。
大学受験こそは第一志望の大学と勝負し、勝ち切ろうという気概でいたからだ。
入学当初から学校の勉強と並行して本屋さんで参考書や問題集を買い、着々と力をつけた。
部活終わりは毎日欠かさず塾へ直行し、うとうとしながらも必死に勉強に励んだ。
最初こそ結果は出ずにいたものの徐々に右肩上がりとなり、高校2年生の夏には学年上位5%に入った。

成績が伸びるにつれ、いわゆる偏差値上位の大学が視野に入ってきた。
見えなかった景色が見えてくるようになった。

高2の冬には部活を辞め、圧倒的勉強量を積んでセンター試験を迎えた。
試験の出来は可もなく不可もなくといった出来で、第一志望の大学の判定はC判定。
学校の先生からは安全圏の学校を受けるよう勧められたが、高校受験の経験から「人生を大きく左右する決断」は自分で決めると心に誓っていた。
反対を押し切り第一志望の大学を受験し、合格できれば先生に大きな顔をして見返すことができたが現実はそう甘くなかった。
大学受験の勝ちに拘り続けた3年間の努力は水の泡となった。

さあ続いては就職活動。
「2度失敗してしまったが、3度目の正直!今度こそはうまくいきました!」
と終わればハッピーエンド。
このフレーズで締めることができれば小説としては気持ちの良い終わり方だが、神様はそんなこと知る由もない。

世の就活生が一度は耳にするITメガベンの最終面接でバッサリ落とされた。

■でも負けは負けなのだ

冷静になって考えると第一志望の企業でやりたいことなんてなかった。
表向きでは納得内定を目指します!なんて言ってもベンチャー特有の「キラキラ感」に魅了されただけだった。
側から見れば負け惜しみ感が否めない(?)が、就活という切り口ではミスマッチを防ぐためにも落とされた事実には寧ろ納得している。

でも、それでも、人生における大勝負というフィールドではまたしても負けてしまったのだ。
就活を勝ち負けで語るのは本質からズレてしまう(就活戦闘力高い=内定が出るのではなく、マッチング度合いで決まるから)がその時点では心の底から入りたいと思える企業に落とされたという結果は変わらない。
今思うと異常なくらい第一志望の企業に想いを馳せていたし、他者を凌駕するほどの行動量は積んでいたと自信を持って言える。
22卒内定者や第一志望の会社から別の企業へ転職した方、リクルーターを介さずに個人的にアポをとってお会いした方などあらゆる手段を講じて会社の情報を集め続けた。
最終面接で伝えたい内容も企業の人事さんはじめ、多くの人との模擬面接でブラッシュアップし続けた。
しまいにはコーポレートムービーを1日数十回も見て、入社を夢見て熱量を高め続けた。
けれども満足する結果は得られず、無念の涙を飲んだ。

■人生には死んでも負けられない戦いがある

このnoteは第一志望の企業に落ちた時の感情を忘れたくないと思い、備忘録として残しました。
(追記:note公開時には納得内定という形で就活を終えています!✌️)

いつまでも涙を飲んで、次こそは!次こそは!と続く負のループから脱却するのが当分の目標ですね。
死んでも負けられない戦いを次はいつ迎えるのか。
そして祝杯を上げる日は近い未来にやってくるのか。
どうやら「勝者に相応しい人間で居続けることの土台作り」が2022年のテーマになりそうです。






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