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劣等感こそが僕の原動力だった

「陸もとうとう来週から社会人だね〜」
誰かが発した何気ない一言で、ふと我に返る。

あと数年で社会人になるのか〜と他人事のように捉えていたのに
気づけばそちら側に足を踏み入れようとしているではないか。
周囲が最近口を揃えて言うように、時はあっという間に過ぎ去る。

とはいっても肩書が学生から社会人に変わるだけで、身の回りの変化は極めて小さい。
2ヶ月前から東京で生活しているし、インターンの立場でもほぼフルタイムで働いていることもあり、これまでの日常は継続される。
分かりやすい変化といえば、雇用形態が正社員にグレードアップするくらいで、馴染みのあるオフィスで、既に関係構築された仲間と、これまでと全く同じ業務に取り組む。
人生の節目特有のワクワクと不安が入り混じった感情は一切なく、4月以降も毎日一定のリズムを刻んで、淡々と仕事と向き合うのみだ。

しかし、変化がないとはいえ、社会の一端を担う存在になることは大袈裟だが荷が重い。
誰か特定の人を指すわけではない、社会という複雑な共同体から(自分の思い込みも含まれているであろう)ありとあらゆる責任を何の脈絡もなく負わされることになる。納税の種類も幾分か増えるし、自分の都合だけでなく周囲の事情も考慮した上で、決断せねばらならない場面にも遭遇する。自由気ままに過ごす生活とは当分おさらば、ということになる。「社会人」という言葉の響きはある種の憂鬱さを僕に与えた。

という前置きはさておき…
ぬるっと学生生活が終わり、ぬるっと社会人生活が始まりそうなので、noteを書くことで節目の記録としておこう。

4つの成長

大学生活の出来事を時系列に並べて、思い出に浸りつつ文章を綴るのも悪くないだろうが、せっかくなら学びと共に大学生活を振り返る形で、話を進める。

抽象度の高いテーマと向き合うのが好きになった

得意ではないけれど、好きになったことの一つ。哲学的な問いに対して、自由に考えを張り巡らせ、答え(仮説)を導き出す作業が嫌ではなくなった。
きっかけは多々あると思うが、家族との関係性を見つめ直すようになった出来事がこの数年で起きたことは大きいであろう。
高校生までは生粋の暗記科目大好きプレイヤーで、得意科目は日本史。深く考えずとも正解にたどり着ける科目が得意で、数学や国語のように順序立てて考える力が問われる科目は本当に嫌いだった。
生き方も多様化し、何が正しいかでさえ分からない変化の激しい世の中において、自分なりに答えを導き出す経験は将来役に立つだろうし、ちょっとやそっとのことでは不安に煽られることもない。

合理的な決断が増えた

何かにチャレンジするとき、直感で決断する派と合理的に決断する派の二者に分かれると思う。僕は元々前者のタイプで、バックパッカーデビューしたときも、「リュック一つで世界中を旅するってかっけえな!」と後者タイプの人間からするとあまりに不純な動機だった。
怯えて何もしないよりは心赴くままにチャレンジしたほうが自信にも繋がるし、後々後悔することはない。ただ直感的な決断は、経験値が少ないときこそ有用だと思っている。直感的であることは、すなわち「何となく○○だから」とぼんやりした動機であることが多く、それは見方を変えれば、思考放棄して決断していることとほぼ同義だと考えている。
(敢えて直感的な決断を悪いように述べているのは、僕自身がまさにそのタイプであり、人生長い目で見た時に、メリット/デメリットを考えないことは、また違った後悔をする羽目になるかは)

僕はあらゆる挑戦を通じて、自分の好き/嫌い、強み/弱みといった自分自身の輪郭がくっきり見え始めたら、今度は自分のリソースをどこに投下するかを考えるようにした。大学生活はたかが4年、されど4年。TABIPPO学生支部の代表、インターンをやるにしても、前提想いの部分を大事にしつつも、それらの経験が自分の人生にどんな影響を与えてくれそうかは熟慮した上で、取り組むことを決めた。

とはいえ合理的と直感的は二項対立なので、行き来することが結局大事。自分を少し俯瞰して、決断の思考を考えるという段階を踏むようにしている。

戦略的な勝利を掴みとることが増えた

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」
プロ野球の故・野村克也監督のお言葉

文字通り、外的要因によって勝つことはあるが、負けたときには負けた理由があるという意味のこのフレーズ。人は勝ったときこそ、偶然や運といった要素ではなく自分の実力で成功したと思い込みがちである。
高校生までは僭越ながら、勉強の成績などで自分の思い通りの結果が得られることも多かった。しかし振り返ってみると、「偶然、得意な領域がテストに出た」「コンディションが良かった」などと”不思議な勝ち”も含まれていたと思う。正直驕り高ぶっていた部分もあり、天狗になっていた時期もあった。

大学受験の挫折を経て、狙った結果を出せるように、頭をひねくりまわして、緻密に戦略を練る習慣が根付いた。
特にTABIPPO学生支部で代表においては、成功までのイメージを描いた上で決断したことが周囲から猛反対を受けたりすることもあった。しかし全てではないものの、結果上手くいった事例もあり、ピンポイントで結果を狙う感覚は一定養うことができたと思う。

周囲に助けてもらったことのほうが寧ろ多く、全てが自分の実力だとは微塵も思っていない。偶然や運、身の回りの環境などさまざまな変数が絡む中でも、安定的に結果を出せるように、勝ちパターンを更に増やしたい。

肩書よりも中身を重視するようになった

親の影響もあり、小さい頃から、周りの目を気にするタイプ。何者かでありたいと肩書を増やして、自分自身を武装するのに必死だった。大学入学当初も、珍しい部活だから極めればすごい自分になれそうと訳の分からない理由で馬術部に入部した。2ヶ月足らずで辞めてしまったが。
しかし退部した2ヶ月後に、ひょんなことを機に、はじめて海外へと飛び出し、そこからのご縁で旅に出るようになったので結果オーライ。

旅は人生の本質について考えるきっかけをもたらしてくれた。現地の文化や価値観に触れて、多くの人と出会って、どうすれば幸せに生きることができるか考えるようになった。

入学当初は銀行員だの公務員だの、世間体や安定性といった表面的な要素のみで、漠然と進路を考えていた。これらの選択肢が悪いわけではなく、問題は自分が人生を幸せに生きるにあたって、その選択が果たして最適であるかということに旅に出て気づいた。勿論答えはNO。そこから自分の世界を自らの手で広げてやろうと鼻息荒く行動し続けた。

入学当初の自分に内定先に入社することを伝えると、ちんぷんかんぷんな顔をされるに違いない。

全ての始まりは激しい劣等感だった

一生忘れることはない、前期入試の結果発表。
自分の受験番号は何回も何回も探しても載っていなくて…。
動悸が止まらなくなって、目の前が真っ暗になった。

普段絶対に泣かない自分が、涙腺が枯れるくらい泣いた。

自分の人生、これで終わったのだと絶望感に打ちひしがれた。
負け組の看板を背負って、生きていかなければならないのだと。
誰か特定の人を指すわけではないが、アイツに負けたのだと。
良い大学に入って、有名企業に入って、そんな羨ましい人生、僕には無縁になってしまったんだと。
堕ちるところまで、堕ちた。

少なくとも親の期待には応えたかった。
小さい頃から習い事は何でもやらしてくれて、多額の費用を出して、塾にも通わせてくれた。
それなのに、結果で恩返しできなくて、自分は相当親不孝な子供なんだと悟った。

前々からの約束で浪人は許されなかったし、自分の人生どうにでもなれと自暴自棄になっていたので、後期試験で合格を貰った大学に渋々入学した。


入学当初は、激しい劣等感に苛まれる日々を送った。
無事志望校に受かって、純粋に大学生活を楽しんでいる友人のSNSを見ると、羨ましくて仕方なかった。

でもそれと同時に這い上がってやろう精神も、時が経つにつれて、芽生えてきた。

決して行きたい大学ではなかった。こんなはずじゃなかった。
だからこそ、特別な何者かでありたくて。
”普通”の生活を送っていては、”普通”の人生に飲み込まれてしまうぞ、と。


言葉にし難いほどの劣等感が僕の心に火をつけた。
今度こそ負けたくない、行動しまくって、どん底から這い上がるしかないと心に誓った。

馬術部に入り(2ヶ月で辞めたが)、初海外はフィリピンのボランティアに2週間参加し、そこからのご縁でバックパッカーを果たし(計12カ国)、さらにその延長線上で、TABIPPOと旅武者でインターンをし、長期休暇以外はバイトでひたすら資金を稼いだ。

全ては劣等感が原動力で、どんなに辛くても何者かになりたいの一心。

でも少しづつ成功体験が積めるようになってくると、劣等感はたちまち薄れ自信につながった。
そして、原動力は劣等感から自己実現へと変わっていった。

コンプレックスからくる動機ではなく、純粋に楽しいから挑戦し続ける、そんな自分最高じゃん!と思えるようになった。


「正解は選ぶものではなく、創るものである」

正解に近しい選択や決断は存在するだろうが、正解は人生において存在しない。

人生の分岐点で納得できる決断、ないし実力をつけておくことは無論大事だが、その先で自分が弛まぬ努力を積み重ねられるかが正解もしくは不正解(不正解もこれまた存在しないだろうが、ここでは敢えて使う)の分かれ目になると学んだ。

僕の場合、大学受験によって「正解に近しくない道」へと進んでしまった。努力というほど大層なことはしていないが、行動しまくった結果、今では「正解と思える道」を歩めていると自信を持って言える。
社会人デビュー前日に、清々しい気持ちでいられるのも、悔いの一切ない大学生活を過ごせたからこそ。
卑屈で不貞腐れていた自分はこの大学生活5年間で、あらゆる経験を糧に一回りも二回りも大きくなれたと胸を張って言える。


改めて、全てのコミュニティーで関わった全ての人に感謝の気持ちで一杯です。僕は自己開示控えめな、人見知りな性格なので、関わりづらい部分もあったと思います…(笑)それでも仲良くしてくれる子がいて、些細な悩みでも耳を傾けて聞いてくれる子がいて、日常のふとした時に恵まれているなぁと感じます。相変わらず酒は弱いですが、誘われたらどこにでもフラ〜っと顔出します。まだまだ未熟者ですが、いつか必ず恩返しさせてください。本当にありがとうございます!

では長くなってきたのでこの辺りで👋

photo by こーいちろう📷🌸









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