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そしてみんなはりぼてになった|『週刊だえん問答・第2集 はりぼて王国年代記』序文を、オリンピック開会に合わせて特別公開!

2020年11月〜21年6月。オリンピックに振り回された半年間に若林恵が執筆した激動のクロニクル。Quartz Japanの人気連載「週刊だえん問答」の書籍化第二弾!!  7/23(金)より全国の書店で順次発売開始となる『週刊だえん問答・第2集 はりぼて王国年代記』の序文を、風雲急を告げるオリンピック開会式直前に、特別公開!


そしてみんなはりぼてになった

若林恵

 アメリカの独立系ニュースメディアQuartzの日本版「Quartz Japan」で「週刊だえん問答」と題する連載が始まったのは、2020年5月のこと。年始に一週お休みをいただいた以外は、毎週日曜日に配信を続けてきた。2020年末には連載開始から約半年分のテキストを「週刊だえん問答 コロナの迷宮」というタイトルで1冊にまとめた。本誌はその第2集となる。

 基本的な記事の建て付けとして、アメリカ本国の「Quartz」が週ごとに公開している〈Field Guides〉というミニ特集を解説することになっているが、それはあくまでもキッカケであって、US版が提供してくれたお題を肴に、遠い極東の地の状況とひき比べながら、あれやこれや考えてみることにも焦点がある。海外と日本。ふたつの焦点をもつ与太話であり、かつ、対話形式が用いられていることから「だえん問答」と名付けられている。

 2020年のうちは海外で次から次へとドラマチックなニュースが報じられ、それにキャッチアップすることに大きな関心もあったので、特集の中身にそれなりにフォーカスすることができたが、いよいよワクチンも完成し、トランプ氏が表舞台から退き、欧米が一定の落ち着きを取り戻したように見えてくるにしたがって、本国の〈Field Guides〉の特集自体からも2020年の怒涛の熱気は消えていった。ニューノーマルがノーマルとなれば、語られることが減っていくのも当然か。結果この連載も、海外ニュースの解説という側面は徐々にトーンダウンしていく。一方、ここ日本ではそれとはまったく異なる事態が進行し、その奇怪な成り行きが、海外メディアが見ている世界の姿とあまりにかけ離れているため、海外と日本のふたつの焦点をもってだえんを成すはずの「問答」は、かたちを成さぬほど要領を得ないものとなっていった。

 ここに収録したテキストは2020年11月から21年6月の間に書かれたものだ。その間の日本の状況を概観するなら、こうなろうか。

 明確な基準が存在しないコロナ対策のおかげで、効果も判然としない「緊急事態宣言」やら「まんぼう」が繰り返され、事態が悪化しているのか好転しているのかコンセンサスがつくられることも、「現状」が定位されることもなく、宙吊りにされた茫漠の日々。ゴールの位置を動かし続けたら、やがてゴールの意味が失われるのは必然だが、パンデミック下においてそれは、「これをもって収束」と見なす瞬間が訪れないことを意味している。ニュージーランドあたりでは、歓喜とともに音楽フェスなどが再開されつつあるというが、かつて先進国として呼ばれた東の涯の島国は、目指すべき「出口」が存在しないゆえ誰ひとり出口を出ることができないという哀れな煉獄に囚われのままになっている。

 さらに厄介なのは「オリンピック」の開幕が7月23日に固定されてしまっていたことで、その日取りが、さも「ゴール」であるかのように取り違えられたことだ。本来「コロナ収束」というゴールは、オリンピックと分けて考えるべきもののはずだが、国や都や、スポーツ利権の上層部の人たちの混濁した意識のなかでは、いつからかそれがパンデミックを抜けでるためのゴールであるかのように錯覚され始め、気づけば「オリンピックを迎えさえすればコロナに打ち勝ったことになる」という倒錯した論理、もしくは呪術的思考が、国家運営の原理となる。まじないとして繰り返される「安心安全」を聞かされ続けるのは、ただでさえ煉獄に置かれている身には、正直かなり堪える。

 それと比べれば、IOCのぼったくりやはったりどもは、はるかに合理性が高く、猛暑対策をろくに打ち出せない都や組織委員会に愛想をつかしてマラソンの会場を札幌に移してみたり、どこぞからワクチンを入手してきて選手に配布することを提案してみたりと、腕力自慢の「対策」を打ってみせる点で、まだ実体性がある。対策が何であれ、そこに少なくとも何らかの合理的な意志があって、それが邪なものであればなお、嫌悪のしがいや、憎悪のしがいもある。1964年の追憶を後生大事に抱えた爺さまたちが、自分の人生のタイムリミットにオリンピックの開催日を重ね合わせて、それを自らの墓碑銘にしようとしている、膝から力の抜けるような薄気味悪さに比べれば、所詮金儲けのためのスポーツ興行であることを隠し立てもせず、その上に権力とゲンナマをしこたま積み上げることに専心するぼったくりのほうが、生卵でも投げつける対象としては、存在の輪郭がはるかにしゃっきりしている。

 もっと言えば、ぼったくりどもがアルマゲドンなんて語をもち出して恫喝するにいたったのは、国民に対してというよりむしろ、「安心安全」と唱えればそれが実現すると本気で思っている薄気味悪い人たちに対する脅しだったように思えなくもない。もしそうであるなら、その点においてのみ、ぼったくりに同情するのもやぶさかではない。

 いずれにせよ海外の状況が落ち着いてくればくるほど、日本で起きていることの異様さは際立ってくる。当然、この連載においても、それに触れることも多くなる。オリンピック関連の話題も途中から目に見えて増えていった。目の前の鬱陶しいニュースについて何かしら語ることに費やされたすべての土曜日は、振り返ってみれば、気味の悪いまじないを振り払うための週ごとの儀式だったと思えてくる。振り払っても振り払っても翌週にはまた振り出し。タイムループは本誌の隠れたモチーフでもある。

 収録した31篇は対話形式をとっているが、聞き手のセリフ、答え手のセリフ、ともに自分で書いたものであり、言うなれば本誌は550ページ分の長い長いひとりごとだ。土曜日の夕方から夜にかけての数時間で一気に書き上げ、ろくに推敲もせぬまま編集担当のトシヨシ氏に送りつけた無責任な代物でもある。これ自体が、現状に対抗するためのおまじない、思いつきの念仏のようなものだと言われれば、たしかにそうかもしれない。

「そんな代物を読むことに何の価値があるのか」と訝しむ方もおられようが、コロナとオリンピックに板挟みとなった、それなりに時代を画すことになるだろう異常な時間のなかで、その時々に感じた混乱ややりきれなさを活字として定着しておくことは、後々の人がこの時間のとりとめのなさを感覚的に知る手がかりのひとつくらいにはなるかもしれない。そう期待して、意味や目的や価値を問うことなく、まずは出版しておくことに意味がある、ということにしておきたい。

 第1集に続いて本誌も、表紙イラストは漫画家の宮崎夏次系さんにお願いした。イラストを描いていただくにあたってお伝えしたのは、本誌がまずもってオリンピックをめぐるもやもや、いらいらを基調としたものになるであろうこと、自分ですら何を書いているのかよくわからない混乱したものになるであろうこと、さらにタイムループ映画さながらに何度も何度も同じ朝に戻ってくる感覚をずっと感じながら書かれたものであること、などだった。タイトルは、当初「消えたオリンピック」とするつもりでいたが、どうも消えそうにない雲行きとなり、イラストの発注時点で「伝説のオリンピック」にしようと思っていることを宮崎さんにはお伝えした。

 6月の半ばすぎに送られてきたラフスケッチは、表紙として採用した絵のほか、計7-8点あった。そこには、表紙裏で使わせていただいたぼったくり男爵をモチーフにしたものも含まれていた。その面白さのあまり一瞬、「ぼったくり男爵の大冒険」というタイトルが思い浮かんだが、そう考えたあたりから、この一連の狂騒がとんでもなくバカげた寓話であるかのように感じられるようになったのはありがたい啓示だった。

 表紙に採用した絵の背景には、廃墟と化した新国立競技場が描かれている。その前でパラソルを開いて寛いでいる人物はいったいいつの時代に属しているのだろうか。彼女は廃墟となったスタジアムについて何を知っているのだろうか。いまわたしたちがそのなかで七転八倒している時間もやがて虚無の淵へと消え去るのだろうか。宮崎さんの絵に宿る摩訶不思議な無時間性は、煉獄のなかで膠着しきった視野に意表をつくパースペクティブを与えてくれる。消え去った王国のあとに残された広大な虚無。まるでガルシア・マルケスの小説みたいじゃないか。そう思いつくにいたって、本誌のタイトルは、現状のものに落ち着いた。

「はりぼて王国」は、直接的には「やってる感」だけで物事を回そうとしている日本のありよう全体を揶揄してはいるが、もう少し広い射程をもちうる。はりぼては必ずしも日本のものとは限らないし、国家や組織の中枢にだけ見いだされるものでもない。

 大きな制度やシステムがそれなりに完成してしまうと、それ自体が自律性を発動する。すると、そのなかにいる人の行動は、その人自身のものなのか、あるいはシステムの自律性によるものなのか、次第に境目がわからなくなっていく。自分が自分でやっていると思っていることは、システムと同化してしまった自分がシステムにやらされているだけのことかもしれない。そして、それが進行していけば、やがて、システムがうまく設定されれば自分は何もしなくても自動的に何かが実現されるという錯覚も生じてくる。

 世界を支えてきた大きなシステムが軋み始めると、「自分がやっている」と思っていたことが、実はシステムの慣性や惰性のなかで「やっている感」を出しているに過ぎないものであったことがよく見えてくる。そして、それが見えてしまえば、すべてがただのはりぼてにしか見えなくなる。

 はりぼてはいたるところにある。やっているつもりのことすべてが、ただのはりぼてに成り果てていることが、いよいよ明らかになっていく。自分だって例外ではない。この読み物自体が「やってる感」の最たるものではないかと言われれば、残念ながら返すことばもない。

(2021年7月1日)

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『週刊だえん問答・第2集 はりぼて王国年代記』若林恵・Quartz Japan 編著

ワクチンのロールアウトによって先進諸国がコロナ後の世界へと着々と動きを進めるなか、「やってる感」がすべての「はりぼて王国」が東の涯にあるという。コロナ収束の道筋いまだ見えぬ、2020年12月から21年6月までの激動のクロニクル。Quartz Japanの異色のニュースコラムの第2集!

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【目次】
#28 テクノナショナリズムの逆襲
#29 気候テックの神話・上篇
#30 気候テックの神話・下篇
#31 クールの再誕生
#32 食卓のセキュリティ
#33 スポーツビジネスの陥穽
#34 働き手たちのアクティビズム
#35 ムービーシアターの絶滅
#36 グローバルエコノミーのぐにょぐにょ
#37 ペットビジネスの反命題
#38 マインドフルネス・ビジネスの不安
#39 ホームリノベーションの効能・上篇
#40 ホームリノベーションの効能・下篇
#41 海外旅行のエキスペリエンス
#42 ジェフ・ベゾスの遺産
#43 デーティングアプリの黙示録
#44 ティックトックの訓戒
#45 テレヘルスの梃子
#46 ノンアルコールの希望
#47 テスラの世界制覇
#48 ゲームストリーミングの心理的安全
#49 リモートワークの是非・上篇
#50 リモートワークの是非・下篇
#51 室内のサステナビリティ
#52 スモールビジネスの希望・上篇
#53 スモールビジネスの希望・下篇
#54 デジタル広告のオルタナティブ
#55 フィジカルリテールの進化
#56 バイオテックの革新
#57 IPOの黒魔術
#58 アフリカの優美

 【書誌情報】
書名:はりぼて王国年代記【だえん問答 第2集】
(ISBN978-4-9911260-7-9)
著者 :若林恵・Quartz Japan
デザイン:藤田裕美
装画:宮崎夏次系
写真:濵本奏
発行:株式会社黒鳥社
販売代行 :トランスビュー
発売日:2021年7月27日(火) *予定
定価:2200円(本体2000円+税10%)
判型:A5版/総ページ数552P

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