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新婚旅行四日目 『全盲夫婦のカヌーツアー』

 新婚旅行四日目の朝は釧路駅前のビジネスホテルからのスタート。大きな荷物はホテルに置いて、釧路湿原カヌーツアーに出かけた。二人ともカヌーは今回が初めて。
この旅で我々が最も楽しみにしていたビッグイベントだ。
 まずは釧路駅からツアーの出発地点である塘路駅まで列車で約30分。昨日一日中移動だったので、30分の乗車なんてもはや近所に出かけるようなものだ。塘路駅にて、今回のツアーを担当してくださるファミリーカヌーとうろのスタッフの方と合流し、簡単な手続きを済ませていざカヌーへ。
今回ご一緒していただいたのはファミリーカヌーとうろの通称キムタクさん。顔はわからないが、少なくとも声は似ていないと思うのだが…。
それはさておき、いよいよカヌーが入水、とその瞬間、僕は全く泳げないということを思い出してしまった!一気に鳥肌が立つのがわかる。こんな不安定な状態でこれから8キロも川を下れるのだろうか。
そんな不安をよそに、カヌーはさっさと岸を離れてアレキナイ川を下り始めた。どうか沈没しませんように…。
 ようやく周囲の状況に耳を傾ける心のゆとりが出てきて、初めてパドルで水をかく音や小鳥のさえずりに気がついた。周囲の空気は土が湿ったような自然の香りに溢れていた。
これだけでもう、今日釧路湿原まで来た会があったと本気で思った。こんなにも自然を全身で味わったことなんて、これまでの人生で数えられるほどしかない。
アレキナイ川を1キロほど下ると、本流である釧路川に合流して進路を左に変える。そこでは水の温度変化にまた驚いた。それまで生ぬるかった水が、一気に冷たい水へと変わったのだ。
なるほど、いつまでも生ぬるいところに漬かってるなということか。キムタクさんいわく、源流に寄って水の温度が大きく変わるとのこと。これまた今までにない体験だった。
他にもパドルを白杖代わりにして倒れている木を触ったり、湿地にカヌーを停泊させて砂に触れたりと、ここでしか体験できない自然を思いっきり満喫した。この湿地は人が降り立つことは許されていない。人間以外の生き物だけの世界。それが今目の前に広がっているなんて、言葉では言い表せない不思議な感覚だった。
都会で生活していると、ついつい自然をもコントロールできているような錯覚に陥る。寒かったら暖房をつければいいし、雨なら傘を差せばいい。そんな日常とは全くかけ離れた世界が今目の前に広がっていることが不思議で怖いぐらいだった。
 その時である。突然キムタクさんの案内の声が小さくなった。目の前にエゾシカの親子が現れたと言うではないか。こちらの様子を注意深く伺っているらしい。つられて我々の声も小さくなる。
川に水を飲みに来たエゾシカの親子は、ほどなくして湿地の奥へと去っていった。写真だけこっそり撮っていただいて我々もその場を後にした。エゾシカの親子とご対面というびっくりするようなエピソードすら、何でもないことのように過ぎてしまう自然の壮大さ。そんなことに想いを馳せつつ、約二時間のカヌーツアーはあっという間に終了した。
 トロッコ列車で釧路に戻った我々は、遅い昼食を食べに和商市場に出かけた。ここでは勝手丼といって、ご飯に自由に好きな海鮮を載せてオリジナルの海鮮丼を作ることができる。
和商市場のお店の方もとても親切で、ご飯をよそうところから海鮮を選んで盛り付けてテーブルにつくまで、ご一緒していただいた。
 改めて、本当にたくさんの人のおかげでこの旅ができている。旅だけではない。日常生活からすべてがそうなのだ。今回の旅行だけでも、いったいどれだけの方が我々に携わってもらっただろうか。道端で尋ねた方なども含めれば、百人は超えるかもしれない。そんなことを想いながら食べた海鮮丼は、間違いなくこれまでで最高の味だった。
(続く)

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