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90分の出会いたちへ


舞台が好きと思ったのはいつからだろう。

本当に記憶もないような小さな頃から舞台に立っていたので、あまり記憶はない。幼稚園の頃、本を読んで想像するのが好きだった。小さい頃、お話を書くのが好きだった。

絵は、そんなに。母親は美術の教員免許を持ってるから、母のと比べて、才能のある兄と比べて、自分が下手だってわかっていたから。まあ兄と比べても芝居がうまいとかそういうことは無いんだけどね。兄は芝居が上手いというか、コメディアンなので。

そういえば、覚えてることがある。幼稚園の頃、「ころころパンケーキ」って作品で、どうやって劇を作ろうって課外で先生と話してたこと。居残り幼稚園の時。4歳か、5歳。そういえば、あれもお芝居なんだよな。

人生で初めて行った劇場で見たお芝居は、福岡のキャナルシティ劇場で見た「人間になりたがった猫」。よくわからないけど、照明や音が怖くて何度か本当に泣いたし、退出した。最後まで見れたけど。キャナルシティから見た景色も覚えている。ボロボロになったパンフレット(多分まだ実家にある)とか、好きだったんだろうって記憶だけはある。

こう見ると、私はずーっと舞台が好きで、お芝居が好きで、物語が好きだったんだろうねって思うの。そこで出会う全てが好きだった。

でも、自分が役者には向かなくて、そういう顔で、身体なんだろうなぁってのはわりかし早い時に気付いた。多分小学校6年生とか、そのくらい。人より身長低くてコンプレックス。

自分の年齢が大きくなっていく時に、所属してたグループに小さい子がいっぱい入ってきて、その子たちがメインの作品をすることが増えて、やるとしたらアンサンブルとか、セリフの少ない役とか、それすらも私たちのひと世代上かひと世代下に配役されていって、「間の期」なんて言われてた。

真面目にやってた。稽古だって真面目に通って、真面目に動いて、小さい子たちの稽古にだって何度も付き合って必死に身体を動かしてた。それでも役はもらえなくて。愚直に頑張るのだって馬鹿らしくなるし、やめたくなる瞬間だってたくさんあった。でも楽しかったんだよな。

でも舞台はずっと好きだった。演じることだって好きだった。

地元を離れる少し前に、「ロミオとジュリエット」のジュエット、マキューシオを同時期に別々に演じて、それが地元で演じた最後の作品になった。ジュリエットは未だに後輩たちや他団体の先生方から「あれを見て感動した」とか「憧れ」とか言われるし、マキューシオは役者をしながら台本をまとめて、音響照明を考えたりして裏方の楽しさを知った。演出の難しさを悩んでいた。

東京に来てからは、どうもこうもうまくいかなくて、病気もあって、セリフが覚えられなくて、役者と呼ぶにはお粗末極まりない体たらくを晒しながら、最後の2年半はコロナに振り回されたけど、ようやく5年間走り切った。卒業できた。

23年のうちの18年。舞台に取り憑かれた18年だった。

地元の、それも同じ団体で、同じ時期でやってた人の中に、大学生まで続けて卒業までやってた人はほとんどいない。なんと言われようと、やり切ったと思う。大好きだったものをずっと大好きでいれた。
人間関係が上手く行ったわけじゃないし、未だに連絡を取り合う人なんてほとんどいない。学校でも変人扱いされていたし、入った演劇部で人間関係が拗れてもう2度と外部で演劇しないって思った。

「芝居が好き」とか「舞台が好き」というのをかなりの熱量を持って語れるというのは人間社会において稀なんだなって思って、ずっとコンプレックスを抱えていた。嫌いになれたらって何度も思った。でも嫌いになんかなれやしない。人が好きだからやめられないとかじゃなくて、舞台が好きだったから続けられたんだと思う。

今だって演じることも作ることも嫌いじゃない。大好きだ。でも私は今、芝居に一番遠い場所で、ただの観客として傍観している。苦しいと感じる時も、ある。

そういう芝居をやめてしまって、持て余したエネルギーが今、全部ある人に向かっている。「桐山瑛裕」っていう演出家なんだけど。

多分、知ってる人には「諏訪英人」の方が馴染みあるし、このブログを見てるフォロワーは「うんうん」って頷いてくれると思うし、本人は震えて読めって思うよ。今から彼を甘やかします。

彼が紆余曲折あって今に至るのをちょっとだけ知ってるくらいでいうのもなんだけど、自分って思いの外昔のこと、興味ないんだなって。本当に興味ないもの。別に、彼が今何をしてるか、過去から学ぶかが重要で、昔を知ってるマウントされても別に「ふーん」で済む。

こんなに泣きそうなくらいキャーキャー言ってるのも意味わかんなさすぎて笑える。いや、これで彼が美味しいご飯と温かな寝床にありつけて、いい作品を書いてくれるならなんぼでも払うよ。私も楽しい。いつもありがとう。


彼と出会ったのは7/20、「雨降る正午、風吹けば」という舞台。90分のちょうどいい舞台。

90分は人が人を好きになるのに十分な時間だった。それはきっと、他の人も一緒だと思う。ライブとか、接近とか、演技とか、ビジュアルでも!
人が人を好きになるのに時間も理由もいらないんだって言うけど、十分すぎる90分だった。好きになるのが、「役者」でもなんでもなくて、それを書いた作家だった。

きっとそれは推しがいなかったからというのもあるし、少しずつ死にたいなと思って、寂しく感じてしまっていた時期で、自分の生き方に迷っていたからなんだと思う。今の職場、向いてないんです。本当に。

スペースとかでお話しさせていただいたりして、どんどん沼にハマっていくのを感じたし、大変だった。本当に好きなんだねって言われて、「本当に(彼とその作品が)好きなんだと思う」って自覚したのは早い。

あの日、出会った90分は大きかった。人生にとっていろんな意味があった。

あの日から始まった意味不明の毎晩やるスペースも、人生において「寂しさ」を消してくれる、大切な友人との出会いをもたらしてくれた。いいことも、悪いことも、苦しいことも多分いっぱいあったけど、それ以上に楽しいことをもたらしてくれた。

死にたくなる人生だ。
人生はいつも苦しいけれど、それを上回る幸福をくれたあの90分を私はずっと忘れないと思う。忘れたくないと思う。ありがとうなんてこっちの言葉だ。出会わせてくれてありがとう。

別にヒーローじゃなくてもいいし、誰かは誰かのヒーローだとか誰かは言うけど、その言葉通りで生きてるだけで誰かを救うことや、救われること、あるんだなって思うんだ。それは死から救うとかじゃなくて、明日をもう少し明るい気持ちで生きてみようとか、頑張ろうとかそういう意味。そんな気持ちにさせてくれてありがとう。そういう力が人にはあるし、人が生み出したものにもきっとある。

ほじゅちもかもぴもフォロワーみんな大好きだよ。

桐山さんは偶然を書きたがる作家だよね、って私はよく言う。「偶然」の美しさや残酷さ、難しさ、その奇怪さが人生の道を決めていくことってよくあることなんだと実感してるし、今渋谷の街を歩きながらそう思う。出会いが溢れている人生とこの街で、あの王子の90分が私を変えた。そういう「偶然」がきっと好きなのでしょうね、彼。

変わり始めた人生がすぐそこにあるけど、でもどうすればいいのかわかんない。

そんな優柔不断で道の端っこでうずくまってる自分だけど、90分に出会うために今日も劇場でチケットを見せるし、スペースするし、働いてみている。皮をかぶって生きてみる。軟弱者でごめんねって思いを抱きながら。

90分に出会うたびに人は変わるし、それがそれこそが人生なんだと思う。見つけ出した「私」は今日も生きているんです。変われなかった私と一緒に。

その出会いの発端になった三好大貴という俳優と、昔一緒にお芝居をしてあの日もいっぱい僕らの話をしたチーズの種類をニックネームに持つ“君”に感謝してます。スペースするきっかけにはゆりさんがいて、ゆりさんと喋ってたから桐山瑛裕に出会えたんだなって思ってる。

あと、とっても破天荒で若くて突っ走って締切を破るわ部屋が汚いわの推しの世話をしてくれてありがとう、薗一輝。大好きだよ。


ただ生きてるだけの私に生きてる意味を再び考えさせてくれている彼へいっぱい愛を伝えられる。そんな今は幸せと呼ぶしかないほど。毎日キツいこともいっぱいあるけど、あの90分と、彼に会うために頑張れる。そしてその時間はたくさんの幸せと考えと、新しい自分を見つけさせてくれる。

好きって言っていいですか。
その時間ごと全て愛おしくて、幸せです。

どうですか。
NOVAバーでちょっとだけ黙ってた時、疲れたとか酔ったとか醒めたとかじゃなくて、そういうことを考えていた。隣はかずかずに沸いてた。かわいかったねえ。

フォロワーさんからもらったお酒でそんなことばかり考えて、顔を合わせては「好きだなぁ」って幸せになってた。

(お酒くれたフォロワーさんありがとうございます)

いっぱいチェキ撮らせてくれてありがとう。
美味しいもの食べてゆっくりお風呂に浸かって寝てね。

また会いたいな。次はいつ、会えるだろうか。その会うまでの時間、ちょっと寂しくて、ちょっと愛おしい。

まあ2週間に1回は顔を合わせていますけど、寂しいものは寂しいのです。少し寂しさと愛おしさが募りすぎて、泣いちゃう夜もあるくらいだ。

私がこうして応援することで毎日、少し死にたい人生で、貴方が明日を生きる理由とか、日常でふと安心できる瞬間であればいいなとオタクは思うよ。贅沢な望みだね。

今日もいっぱい甘やかしたね!




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