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Gods anointed King*油そそがれた王

チャールズ3世の戴冠式で行われた「塗油」(油そそぎ)の儀式について、もう少し深堀りしてみます。長い記事になりますがお付き合いください。


塗油(油そそぎ)のはじまり

塗油には3つの目的がありました。

【1.健康(Helth)】
塗油は、香油(主にオリーブ油)を身体に塗ることで、神の影響や存在を取り入れるためでした。
また、悪霊の影響と戦うためにも使用されました。古代において、病気は悪霊などが取り憑いて引き起こすと信じられていたため、病人に塗油することで神の力が及び、危険な霊を追い出すと考えられていたのでした。
聖書には、オリーブオイルが病人に塗られ、傷口に注がれたことが記録されています。
死者の体に塗油が行われることもありました。中世では、死体に乗り移る可能性のある吸血鬼やグールから身を守るためだったそうです。
塗油はシャーマニックな行為で、祭司によって行われていたのでしょう。

カトリック教会では現在も「病者の塗油」 (anointing of the sick)として、重い病や臨終が近い病人に対して行われています。
イエス・キリスト自身が病人を癒し、病気の原因と考えられていた悪霊を追い出したのに倣い、使徒たちもイエスと同じように病人を癒したことが、ヤコブ書5章13節から16節に書かれています。

「あなたたちの中に苦しんでいる人はいますか?彼は祈るべきだ。
元気な人はいますか?彼は賛美を歌わなければなりません。
あなたの中に病気の人はいますか?彼は教会の長老たちを呼び、彼らは彼のために祈り、主の名において油を注ぐべきである。
そうすれば信仰の祈りが病人を救い、主は彼をよみがえらせるだろう。
もし彼が何らかの罪を犯したとしても、許されるでしょう。」
ヤコブ 5:13-15

病人を癒すイエスの秘跡

私の知人で敬虔なクリスチャンであった女性は、重い病で療養生活を送っていましたが、死期を悟って亡くなる前に病者の塗油を受けています。

【2.ホスピタリティ(Hospitality)】
もてなしのしるしや名誉のしるしとして、客人の頭や足に油を塗りました。
古代ヘブライ人の間では一般的な習慣であり、アラブ人の間では20 世紀まで続きました。

【3.聖別(Consecration)】
Consecrationは、特別な目的または奉仕のために、人または物を神聖な領域に移すこと。「神聖なものとの交わり」を意味します。
ラテン語の consecrat に由来しています。

キリスト教国では、戴冠式(coronation)は聖職者が新君主に聖油を塗油し、神への奉仕を誓わせる儀式が主体であるため、聖別式(consecration)とも言われます。

油注がれる者=メシア

ヘブライ語のメシアという単語は、直訳すると「油をそそがれた」という意味をもち、誰かあるいは何かを聖油によって聖別することを指します。

中世になると、ヨーロッパの君主の戴冠式で塗油が行われるようになります。※現在は、英国のみ戴冠式で塗油が行われています。
これは、大祭司アロンと、預言者サムエルによるサウルとダビデの両方の油そそぎを継承していると言われています。
旧約聖書の「出エジプト記」には祭司アロンが、「サムエル記下」にはサウル王が油をそそがれたことが書かれています。

大祭司アロン

アロンは、『旧約聖書』や『クルアーン(コーラン)』に登場する人物で、モーゼの兄であり、モーゼと共にヘブライ人をエジプトから脱出させたことで知られています。

アロンと彼の子どもは、神によって祭司になることが命じられる。
モーゼはアロンとその息子たちに油を注いで祭司職に聖別し、彼らに役職の衣装を着せた。
このため、アロンはユダヤ教における祭司の祖とされている。

旧約聖書には、「出エジプト」に先立つエジプトの疫病の際に、モーゼの杖とともに、アロンの杖にも奇跡的な力が与えられたことが記されています。
ユダヤ教のラビによる『ミドラーシュ』(ユダヤ教の聖書解釈)では、このアロンの杖が王笏の起源となっていることがわかります。

アロンの杖に、一夜にしてアーモンドの花が咲いた奇跡。
レビ族の神権に対する独占的権利の証拠となった。

「詩編」133章2節には、アロンが油注がれたときのことが歌われています。
「かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り、衣の裾に垂れるアロンのひげに滴り、ヘルモンに置く露のようにシオンの山々に滴り落ちる。」

新約聖書では、イエス・キリストが弟子を伴いガリラヤ湖畔のベトサイダからヘルモン山南麓のフィリポ・カイサリアの町へ旅したことが伝えられています。(マタイによる福音書 16:13; マルコによる福音書 8:27)。
この地でイエスは自分の教会を建てることと、エルサレムに行き、死んで復活することを弟子たちに予告しました(マタイによる福音書 16:18-21)。

アロンの妻は、ユダ族のアミナダブの娘エリシェバでした。
へブライ語で、「エリ」は「私の神」を意味し、「シェバ」は「誓い」を意味します。エリシェバという名前は「神は(私の)誓いである」と翻訳されます。また、エリシェバは、英語名のエリザベスの由来になっています。スペイン語ではイザベラです。

新約聖書のルカによる福音書では、
エリサヴェトという名前の女性がアロンの子孫であり、ユダヤ人の祭司でもあったゼカリヤの妻であると言われています。
エリザヴェトはイエスの母マリアの親戚であり、洗礼者ヨハネの母でした。

アロンは紀元前1273年頃に、123歳で亡くなったとされており、その日はユダヤ人にとってAv(アヴ)月と呼ばれている、グレゴリオ暦にすると7月~8月の最初の9日の間だったそうです。
『タルムード』には、 「アヴ月に入ると、私たちの喜びは減少する」と書かれているそうです。アヴ月、なにか気になります。

預言者サムエル

預言者サムエル

サムエルは、旧約聖書の『サムエル記』に登場するユダヤの預言者、士師(民族指導者)です。名前の語義はヘブライ語で「彼の名は神」。

サムエルは、聖書の裁判官からサウル統治下のイスラエル連合王国への移行、そしてサウルからダビデへの君主制の移行において重要な役割を果たしました。
彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教で預言者として崇められています。実在の人物である場合、紀元前11世紀の人だそうです。

サムエルの晩年になって、民が王政を望みはじめ、サムエルが神に祈ると、神は「彼らは私が王であることを認めず、今日まで私を捨てて他の神々に仕えてきた」と言い、「彼らの望み通りするように。ただし彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」とサムエルに告げられました。
サムエルは、神の言葉として「王を立てると息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金もとられ、奴隷となることもある」と人々を諭しますがが、人々は聞き入れませんでした。
「いいえ、我々にはどうしても王が必要なのです。王が裁きを行い、王が陣頭になって進み、我々の戦いを戦うのです」と人々は答えます。
すると神は、サウルを王にするようにとサムエルに告げます。

その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、『主があなたに油を注ぎ、イスラエルの君とされたのです。(中略)主の霊があなたに激しく降り、あなたは別人のようになるでしょう。しようと思ったことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです』

イスラエルの最初の王サウル(治世: 紀元前1037~1010年頃)

サウル王

サウルは、イスラエルの十二部族の一つであるベニヤミン部族のマトリテス家の一員でした。
サウルは、民に王として歓迎され、息子ヨナタンや家臣たちと共にイスラエルを率いて、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦いました。
しかし、アマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れてしまいました。サムエルも、これ以降サウルに会うことはなかったそうです。

神に、新しい王としてダビデに油を注ぐように命じられたサムエルは、ダビデを探し出し、密かに彼に油を注ぎました。
それ以来、ダビデに神の霊が激しく降り、神の恩寵を受けられなくなったサウル王のほうは、悪霊にさいなまれるようになります。
家臣たちは、王に竪琴の巧みな者を側に置くように進言し、戦士であり竪琴も巧みなダビデが王のもとに召し出されました。ダビデが王のそばで竪琴(ベゲナ)を弾くとサウルの心は安まり、気分がよくなったそうです。

イスラエルの3番目の王ダビデ(治世:起源前1000年 - 961年頃)

ダビデは、愛された人の意味。トランプカードのキングのモデルと言われています。

羊飼いから身をおこして初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのちにユダで王位に就くと、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となり、40年間、王として君臨した。

聖書の「サムエル記」の物語では、ダビデはゴリアテを殺して名声を得た、若い羊飼い兼ハープ奏者として描かれています。
ダビデはサウル王のお気に入りになりますが、王はダビデが王位を奪おうとしているのではないかと疑心暗鬼になり、ダビデを殺すように家臣に命じます。そのためダビデは、数年間身を隠すことを余儀なくされます。
その隠遁生活をフォローをしたのが、預言者サムエルや大祭司アロンの子孫だったとも言われています。

ある日、サウル王は、ダビデたちが隠れている洞窟に攻め入ります。
ダビデは、周囲から「王を殺すチャンスだ」と忠告されますが、「主の油そそがれた者を手にかけるつもりはない」と言って断り、代わりにサウル王のローブの角を切り落とし、殺意がないことを証明します。
それを見たサウル王は軟化し、ダビデを次の王として認め祝福したと言われています。

サウルとその息子ヨナタンが戦いで殺された後、ダビデはユダの部族の王、そして最終的にはイスラエルのすべての部族によって、王として油そそがれました。

ダビデの油そそぎ

旧約聖書時代のユダヤ教の王の油そそぎは、即位の度に行われてはおらず、新しい家系または新王朝の奉献の場合に行われていたそうです。

メシアの概念と終末論

メシアの概念は、ユダヤ教とキリスト教の基本概念です。
もともとは、神の任命によって統治する地上の王(油そそがれた者)のことでしたが、「ダビデの子」がイスラエルを救出し、世界に平和をもたらす天上の王(救世主)が現れるとして信じられています。

その条件に当てはまったのが、イエス・キリストでした。
メシアのギリシャ語訳はクリストス( Χριστός ) で、英語化するとキリストとなります。

ユダヤ教におけるメシア

ユダヤ教では、ダビデ家系のユダヤ人の王が聖油で「油を注がれ」、神の王国の王となり、メシアがユダヤ人を統治することになると考えます。
メシアは、イスラエルの部族の統一、全ユダヤ人の集結、エルサレム神殿の再建など、あらかじめ定められたことを達成すると考えられています。

ユダヤ教ではメシアがいつ来るという特定の時期はなく、メシアが実際にいつ来るかを予測しようとすることは、人々の宗教に対する信仰を弱めると考えられています。
メシアは、世界が彼の到来を最も必要とするとき(世界が非常に罪深く、メシアによる救いを切実に必要としているとき)、または最もそれに値するとき(真の善が世界に普及しているとき)のいずれかであるとしています。

カバラに伝わると言われている「メシア・ベン・ヨセフ」は、ヨセフの子孫ということで興味深いですが、長くなるので割愛します。ご興味ある方は、ぜひ調べてみてください。

カバラ主義の伝統では、自由と平和の時代をもたらすメシアであるメシア・ベン・ダビデの前に、イスラエルの子供たちを彼の周りに集めてエルサレムに導くメシア・ベン・ヨセフが登場すると言われています。

キリスト教におけるメシア

キリスト教におけるメシアは、ユダヤ教の概念に由来し、同じ意味のヘブライ語を翻訳したギリシャ語のクリストス( χριστός )に由来し、キリストと呼ばれます。
キリスト教徒は、ナザレのイエスを「キリスト」または「メシア」と呼び、旧約聖書の救世主預言(彼がダビデの家系であり、ユダヤ人の王であると宣言された)が成就したと信じています。

メシアの預言は、イエスの使命、死、復活において成就し、イエスはメシアの残りの期間を成就するために戻ってくると信じています。
一部のキリスト教宗派は無千年王国説を信じていますが、カトリック教会はこの用語を採用していません。(ルター派や改革派・長老派はこの説を支持している)

さらに、キリスト教ではイエス・キリストは 神の子であると信じられていますが、これはユダヤ教やイスラム教の概念とは根本的に異なっています。
新約聖書の福音書において、イエスの油注ぎは女性によってのみ行われています。(後述)

※イスラム教では、イエスは預言者であり、イスラエル人に遣わされた救世主であると考えられています。

イスラム教におけるメシア

イスラム教では、アラビア語のアル・マシハという用語がイエスを指します。ただし、その意味はキリスト教やユダヤ教で見られるものとは異なります。

キリスト教とは異なり、イスラム教はイエスを神ご自身や神の子としては見なさず、ノア、アブラハム、モーゼ、ムハンマドと並ぶ、大預言者の一人として見ています。
またキリスト教のイエスの死の見方とは異なり、イスラム教ではイエスは十字架にかけられることなく天に上げられており、神はイエスと全く同じに見える類似体を創造し、イエスの代わりに十字架につけられたと信じているそうです。

コーランにはイエスが戻ってくるとは明記されていませんが、イスラムの伝統では、イエスが世の終わりに戻ってきて、治癒の力を行使すると信じられています。

イエスの油そそぎ

イエスの油そそぎは、聖書の福音書に記録されています。
マタイ26章、マルコ14章、ヨハネ12章の記述では、聖週間の聖水曜日に、オリーブ山にあるベタニヤという村のらい病人シモンの家で行われます。

聖水曜日はイースター前の水曜日ということですが、イスカリオテのユダがイエスを裏切る取引をした日だったと言われています。

マタイとマルコの福音書では、イエスは無名の女性によって油そそがれています。ヨハネの福音書では、この女性はラザロの姉妹であるマルタとマリアであると特定されています。
ルカの福音書には、名前のない罪深い女性が登場しますが、それは別の地域での出来事です。

マルタとマリアの家のキリスト、ヘンリク・シェミラツキ作、1886年

ヨハネの福音書によると、過越の祭りの6日前にイエスはベタニヤに到着しました。そこには、イエスが死からよみがえらせたラザロが住んでおり、イエスを讃える晩餐会が開かれました。

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って着て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。(ヨハネ福音書12章3節)

もてなしの意味で客人に香油を塗ることはよく行われていましたが、髪の毛でイエスの足を拭いたことは例外的な行為だったようです。何か意味があるかもしれませんね。

それを見ていたユダは、マリアに向かって「なぜ、この香油を売って、貧しい人々に施さなかったのか」と怒ります。ユダが怒った理由は、彼が貧しい人々のことを気にかけていたからではなく、自分が泥棒だったからです。彼はお金の袋を預かっていたのに、中身をごまかしていました。

イエスは答えました。「彼女を放っておいてください。(彼女のやりたいようにさせなさいという意味合い)。彼女はこの香水を私の埋葬の日まで取っておくつもりだったのです。あなたの中にはいつも貧しい人たちがいますが、私がいつもいるとは限りません。」

イエスは自分が死ぬことをすでに知っていたので、次の準備(イエスの埋葬)として、マリアはそれをしたのだと肯定しているのですね。
マリアは、自分では無意識(霊感を受けて)にそれをしたかもしれません。

イエスの油注ぎ

イエスの油そそぎは、始めのほうに書いた「塗油の目的」のすべてに当てはまると思います。もてなし、聖別(清め)、死に行く者への塗油。

ベタニヤのマリアは、マグダラのマリアとは別人です。
西方キリスト教の伝統で、ベタニアのマリアがマグダラのマリアと同一視されたのは、おそらく教皇グレゴリウスが、新約聖書に登場する数人のマリアという名の女性があたかも同一人物であるかのように教えた教皇による説教の影響が大きいと言われています。
これにより、ベタニヤのマリアとマグダラのマリア、および別の女性(売春婦)が混同されることになりました。

ベタニヤのマリアのその後が興味深かったので、また別の機会に深堀りしたいと思います。

キリスト教会における油そそぎ

キリスト教は、ナザレのイエスとユダヤ人の「油そそがれた者」の預言との結びつきから発展しました。
イエスは、出エジプト記に記されている儀式に従って大祭司によって油そそがれておらず、聖霊によって油そそがれたと考えられていました。
文字通りの油注ぎは、ベタニヤのマリアによって行われました。

油そそぎを特に重要と考えているグノーシス派は、イエスは洗礼者ヨハネの洗礼により聖別されていましたが、水による洗礼は不完全であり、塗油は洗礼の過程で必要であると文書で述べているそうです。

クリスマスの由来

油そそぎで使われる聖油のことを、英語では「chrism」(クリズム)、ギリシャ語では「 χρῖσμα 」(クリスマ)と呼びます。もとは油そそぎの行為そのものを指していたようです。
16世紀頃のフランスでは「cream」(クリーム)と呼ばれていたそうです。


現在はイエス・キリストの生誕を祝う行事になっている「クリスマス」も、もともとはイエスが制定したという7つの秘跡である油による洗礼の習慣から発しています。
中世に12月25日に即位や戴冠をした王が複数いるのは、このためです。

異教徒であってもクリスマスを祝っているのは、暗黙のうちにキリスト教の秘跡のミサに参加しているようなものかもしれませんね。

司教はクリスマスの油を使って若者に油を注ぐ

クリズムはオリーブオイルで作られ、甘い香りがつけられています。
通常は、聖木曜日の朝に行われる聖霊ミサにおいて、特定の教会の司教によって聖別されます。このミサでは、求道者の油と病人の油も祝福されます。

戴冠式の塗油

クリスマスの重要かつ具体的な用途は、英国君主の戴冠式の際の油注ぎです。礼拝のこの部分では、カンタベリー大司教が主権者の頭、手、心臓に油を注ぎます。英国国教会では、これが最も神聖な礼拝の儀式であると考えられているため、国家の天蓋によって会衆の視界から隠されています。

1953年6月2日のエリザベス女王の戴冠式は、イギリスで初めて全編テレビ放映されましたが、塗油の場面は隠されていました。先日のチャールズ3世の戴冠式でも、塗油はスクリーンで隠されて非公開でした。

クリスムは、聖木曜日またはその直前の日に行われるクリスム聖体の長老会出席のもと、特定の教会の司教によって聖別されます。チャールズ3世の戴冠式のための油は、エルサレムの聖墳墓教会(エルサレムにあるラテン ・カトリック教会の総主教庁)でエルサレム総主教とエルサレム聖公会大司教によって聖別されました。

エルサレム総主教とエルサレム聖公会大司教

キリスト教圏の戴冠式は、塗油によって聖別(清め)されることに大きな意味があると思います。

現代は、サウル王やダビデ王のように実際に神が選ばれた人物ではなく、世襲になっていますが、王権を受け継ぐ人物は塗油によってイエス・キリストと同じように「神のしもべ」となり、奉仕されるためでなく、世の人々に奉仕するために神により召命されるのです。

「油そそがれ戴冠した王と女王は、他の人を愛し、奉仕するために、神によって世に送り出されます。」
(カンタベリ―大主教ジャスティン・ウェルビー大司教)

戴冠式の油そそぎには、王冠を戴く以上の意味があり、それはまた「王を戴く国」と「その国の民」にも神の霊がふりそそぐという意味もあると思いました。

チャールズ3世の塗油については、次の記事にします。ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

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