デルフィの巫女とアポロンの大蛇退治
ある日、ゼウスは地球の中心を特定したいと思い、2羽の鷲を世界の両端から同時に飛ばしました。2羽は同じ速度で飛んで、出会ったところにゼウスはオンパロス(オンファロス)と呼ばれる石を置きました。
オンパロスとは、へそという意味です。
古代ギリシャ人は、その土地がデルフィ(デルポイ)だと信じていたそうです。
デルフィの大蛇
デルフィには大蛇ピュートーンが住んでおり、オンパロスの石を守っていました。
デルフィには、大地母神ガイアまたはガイアの子テミスの託宣所があり、ピュートーンがこれを管理していました。
しかしアポロンがピュートーンを殺して、聖地の支配権と託宣所を自分のものとしたため、以後デルフィはアポロンの神託所となり、巫女を通してアポロンの神託を下すようになったそうです。
ピュートーンとは、ガイアの末子ティフォンがゼウスと戦って勝利し、ゼウスの腱を切ってコーリュキオン洞窟に隠した際に、洞窟の番人をしていたデルピュネーだという説があります。
10世紀のスーダ辞典によれば、デルフィの地名はデルピュネーの名から取られたそうです。デルピュネーは、上半身は人間の女性で、下半身は蛇またはドラゴンの姿でした。
古代には、天然の泉のある洞窟で精霊ニュンペー(ニンフ)を崇拝する伝統があり、コーリュキオン(コリキア)でも崇拝されていました。
コリキアのニュンペーは、アポロンと関連付けられることがよくあります。
アポロンがデルピュネーを殺したとき、コリキアのニュンペーたちのとりなしによって、アポロンは占いの力を手に入れることができたと言われています。
ギリシャ神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃と考えられています。
今から3500年ぐらい前ですから、そんなに古い話でもないですね。そう思うのは私だけかな(笑)
アポロンの誕生
アポロンは、ゼウスとレートー(レト)の子でした。アルテミスは双子の姉です。
ゼウスの姉で正妻のヘラは、レトがゼウスの子を身ごもったと知ると、すべての土地にレトに出産する場所を与えてはならない、あるいは太陽が一度でも照らしたことがある場所で出産してはならないと命じました。
ちょうど同じ頃、レトから産まれる子が自分を滅ぼしに来ると神託を受け取ったピュートーンは、レトを殺そうと追いかけ回っていました。
レトは、出産できる土地を求めて放浪しなければなりませんでした。
ゼウスの命を受けた北風ボレアースがデロス島にレトを連れて行き、ゼウスの兄ポセイドーンがレトを保護したと言い伝えがあります。
ポセイドーンはヘラの言葉に違反しないように、デーロス島を波で覆い水のドームで太陽の光が届かないようにしたそうです。
こうしてレトは、デロス島のキュントス山のシュロの木(オリーブとも)のそばで出産しましたが、ヘラが出産の女神エイレイテュイア(エイレイシア)を引き止めていたために、アルテミスに続くアポロンの出産は9日9晩にも及ぶ難産だったそうです。
それを見かねた虹の女神イーリスがエイレイテュイアを連れて来た事により、アポロンが生まれました。
エイレイテュイアは、イリティアあるいはイリジアとも呼ばれます。
アポロンは生まれるとすぐに、母の恨みを晴らすためにピュートーンを殺しに行ったとも言われています。
しかし、ゼウスの浮気は日常茶飯事で、それをヘラはよく知っていたのにレトに対する嫉妬は特別にすごいものだったようです。
太陽(アポロン)と月(アルテミス)を産むことがわかっていたからかな?
アポロンとアルテミスを産んだ後のレトは、ヘラに対抗する権力を持つようになっていきました。
ローマ神話では、レトのローマ名はエトルリア語の影響を受けてラトナLatonaと呼ばれました。
デルポイの巫女・ピュテイア
アポロンはピュートーンの亡骸を、聖石オンパロスの下の地面の裂け目に葬りました。
ピュティア(ピシア)と呼ばれる巫女は、その地面の裂け目から吹き出す煙を吸うことで恍惚状態になり、神託を告げたと言われています。
『ホメーロス風讃歌』の『アポローン讃歌』によると、デルフィの古名はピュートーで、大蛇ピュートーンPythonに由来していたそうです。
デルフィの神託は、ミケーネ・ギリシア中期(紀元前1750年-紀元前1050年)から存在していた可能性があるそうですが、詳細は不明です。
紀元前1400年から、ローマ皇帝テオドシウス 1世が異教を禁止した392年までの約2000年間保持されていました。
起源については後世に多くの説話があり、紀元前1世紀の作家ディオドロス・シクルスによって語られた説明では、コレタスという名のヤギ飼いが、ある日、大地の裂け目に落ちたヤギの一頭が奇妙な行動をしているのに気づきました。
コレタスがその裂け目に入ってみると、彼は自分が神聖な存在に満たされ、現在以外の過去や未来を見通すことが出来たと言います。彼は興奮してそのことを村人に伝えました。
多くの人々が痙攣と霊感を体験するためにその場所を訪れるようになったのですが、中には狂乱状態のために裂け目に消えてしまった者もいたとか。
紀元前1600年までには、人々が礼拝を始めた場所に祠が建てられました。
多くの男性が亡くなった後、村人たちは一人の若い女性を神の霊感の連絡係に選び、彼女は神々に代わって話すようになったと言われています。
デルフィには12人のピュティアがいたそうですが、彼女たちがどのように選ばれたかについてはほとんど知られていません。
彼女たちはみなデルフィの出身者で、真面目な生活を送り、品行方正であることが要求されました。
ウェスタの巫女とは違い、貴族の若い娘だけでなく既婚の女性もいたとのこと。しかし既婚の場合は、家族の責任、夫婦関係、個人としてのアイデンティティなどすべて放棄しなければなりませんでした。
ピュティアは、ギリシアの女性にとって立派な職業でした。社会的地位も高くなり、課税からの解放、財産の所有と公的行事への出席の権利、国から支給される給与と住居、しばしば金の冠などが与えられたそうです。
ピュティアは三脚台に座り、岩の裂け目から立ち昇る霊気を吸い、月桂樹の葉などの幻覚作用のある野菜を噛んだりして、恍惚の境地に至り、ちんぷんかんぷん難解な言葉でアポロンの予言を告げたとされています。
右手に持っている器の中は、寺院の近くを流れるカッソティス川の湧き水が入っていて、その水を見つめて予言をしていました。
カッソティス川には、魔法の力を持つ精霊ナイアド(ナーイアス)が住んでいると言われていたそうです。
デルフィでは岩の裂け目から出る煙を「プネウマ」(神の息)と信じていました。西暦 1世紀後半から 2世紀初頭にかけて司祭を務めていたプルタルコスは、「神」がおわすとき神殿は甘い香りで満たされたと報告しています。
プネウマの正体は、神殿の下を流れる泉からの蒸気(エチレンガス)ではないかと考えられていたのですが、百年ほど前の発掘調査では地表に裂け目が見つからなかったため、蒸気説はいったん否定された経緯があります。
地震と神託の関係
しかし興味深いことに、1980年代の地質学研究で、地震の摩擦でメタン、エタン、エチレンなどのガスが発生した、との説が有力になりました。
3つのプレートが衝突する地点にあるギリシャは地震が発生しやすく、デルフィでは石灰岩の亀裂と炭化水素が流入する新たな水路が生じ、これによりエチレンの混合が変動したため、幻覚を起こす効力が増減したと見られるそうです。
また、ローマ皇帝ハドリアヌス帝(在位117年 - 138年)の時代以降にデルフィの神託が衰退したのは、その地域で長い間地震がなかったことが一因であると考えられています。
デルフィの神託は、月に1回(日付は7日と決まっていた)、暖かい季節の9カ月間のみ行われていました。おそらく4月~11月(春分以降~冬至前まで)に行われていたのでしょう。
冬の間は、室内でのガスの放出が減少したそうです。
ピュティアが月に一度しか神託をしなかった理由も、有害な煙の曝露を制限することでピュティアの寿命を縮めないためだったと考えられます。
昔は、ピュティアは若い処女でしたが、紀元前3世紀後半にテッサリアのエケクラテスが若く美しいピュティアを誘拐して乱暴したため、その後は50歳以上の女性が選ばれるようになり、若い乙女のような服装と宝石を身につけていたそうです。
私も占い師時代、「占い師らしい服装をするように」と会社に言われ、しぶしぶチャイナドレスや派手目なアクセサリーをつけたことを思い出します(苦笑)
春のアポロン、冬のディオニュソス
冬の間はアポロは神殿を去り、代わりに異母兄弟であるディオニュソスの居城になったそうです。
デルフィで発見された、紀元前340年頃の石碑には、ディオニュソスへの賛歌が認められています。
ディオニュソスは大変興味深い神ですが、書ききれないのでさらっと述べますと・・・ディオニュソス崇拝は初期キリスト教に影響を与えたそうです。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?