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西暦60年のブーディカの反乱

冥王星が水瓶座に再入宮します。それで少し思い出した西暦60年のことを書きます。

冥王星が発見されたのは1930年のこと。
天体が発見される以前の時代は、その天体の影響はなかったと占星術ではよく言われます。
とくに冥王星においては、軌道の位置からして別の太陽系の惑星が何かのはずみで、私たちの太陽系に引き寄せられたのではないか、という見方もあります。

それをご承知いただいた上で、西暦60年代に冥王星が山羊座最後⇔水瓶座0度を行ったり来たりしていたときに、イングランド(ブリテン島)で起きたことを書いていきます。


私が、西暦60年代に冥王星が水瓶座にいたのがわかったのは、ローマ皇帝ネロのデスチャートを見た時です。
ネロは西暦37年12月15日に生まれて、 68年6月9日に亡くなっています。ネロが生まれた時、冥王星は射手座22度にありましたが、68年6月には水瓶座10度にいました。

ネロ帝のチャート

イケニ族の女王ブーディカ

タイトル画、AI生成してみました。

西暦60年のブーディカの反乱は、古代イギリスのイケニ族の女王ブーディカが、夫プラスタグスの死後の王国継承に関する合意をローマ人が遵守しなかったことと、占領したローマ人によるブーディカとその娘たちが残忍な虐待を受けたことが原因でした。

イケニ族(IceniまたはEceni)は、紀元前1世紀頃から1世紀にかけて、現在のイギリス東部に生息していた古代ケルト人の部族。
ローマ時代の彼らの首都は、現在のカイスター・セント・エドマンドにあるヴェンタ・イケノルムでした。

ローマの歴史家タキトゥスのおっちゃんによれば、イケニ族は43年のローマ皇帝クラウディウスによるブリテン島遠征時には征服を免れ、自発的に同盟関係を締結したとあります。

西暦40年代、ブリテン島には規模の小さな王国が多数並存し、政治情勢は激化していました。占星術的には、1世紀は火の時代です。

プラスタグスは、43年に降伏した11人の王のひとり、もしくは47年に当時のローマ長官プブリウス・オストリウス・スカプラに対して反乱を起こし、その戦いに敗れた後、前王を継いで王位に就いたものと推測されています。

ブーディカの怒りと悲しみ

ローマ帝国との同盟関係の下、イケニ族は名目上の独立を維持していましたが、これを更に確固たるものにするために、プラスタグスは遺言で自分の王国を娘たちとローマ皇帝ネロを共同相続人にしていました。

しかしプラスタグスが死ぬと、その遺言は無視され、王国はローマ帝国に併合され、イケニ族の土地や財産も奪われました。
再びタキトゥスのおっちゃんによると、未亡人ブーディカは鞭で打たれ、娘たちは強姦されたそうです。
その頃、ブーティカは30歳ぐらいだったようです。

60年から61年にかけてブーディカは、数多くの部族を纏め上げ、ローマ帝国に対して大規模な反乱を起こしました。

当時のローマ帝国の軍総督ガイウス・スエトニウス・パウリヌス(Gaius Suetonius Paulinus、略してスエトニウス)は、ブリタンニアの抵抗勢力が立て篭もっていた北ウェールズのモナ島(現在のアングルシー島)の鎮圧に当たっていました。

彼の不在に乗じたブーディカとトリノヴァンテス族らブリタンニア諸族は、反乱を開始しました。
トリノヴァンテスの旧首都カムロドゥヌム(現在のエセックスの都市コルチェスター)を奪回し、また各地のローマ帝国植民地を次々に攻略していきました。

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トリノヴァンテス族

トリノヴァンテス族(TrinovantesまたはTrinobantes)は、テムズ川河口の北部、現在のエセックス州とサフォーク州そしてグレーターロンドンを跨ぐ区域を支配していました。

部族の名称は、ケルト語の強調を表す前置詞「tri-」と、新しいを表す「novio」に屈強さや活発さの意味合いを含み持たせ、全体で「非常に強健な人々」を意味する。

トリノヴァンテス族

紀元前55年のジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)によるブリテン島遠征以前は、トリノヴァンテス族はブリテン島で最も強大な勢力を誇る部族と考えられていました。
シーザーの2回目のブリテン遠征(前54年)の際は、ローマと同盟関係を結んでいます。その後、ライバルのカトゥベラウニ族(後述)の勢力が強くなり、形成逆転していたようです。

属州首都カムロドゥヌム

カムロドゥヌムは、ローマの属州首都として機能していました。
ケルト語での名前はカムロドゥノン(戦の神カムロス)の要塞、の意味)。

カムルスまたはカムロスは、マルスと同一視されたケルトの 神。
ローマ時代のブリテン島とガリアの重要な神でした。

紀元43年以降、ローマ軍の地方の要塞がつくられていカムロドゥノンの名はローマ風にカムロドゥヌムと改められました。
正式名はコロニア クラウディア ヴィクトリケンシス (クラウディウスの勝利の街) でした。

コルチェスター

カムロドゥヌムには、英国最大の八角形のクラウディウス神殿と、少なくとも他に7つのローマ式神殿が建立され、宗教的な場所だった可能性があります。

ブーディカの反乱軍によってカムロドゥヌムは焼き払われ、さらに反乱軍は市制が敷かれてわずか20年のロンディニウム(現在のロンドン)を破壊し尽くし、さらにはヴェルラミウム(現在のハートフォードシャー南部の町セント・オールバンズ)にも攻め入り、数万人もの人々を殺戮したと言われています。

コルチェスター城は、ローマ時代のクラウディウス神殿の基礎の上に建てられている。

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ヴェルラミウムとカトゥベラウニ族

ヴェルラミウム、またはヴェルラミオン(Verlamion)は、ブリトン語で「広い手の部族または集落」のような意味があります。

古代ローマ道ワトリング・ストリート (Watling Street) 沿いにできた最初の主要町で、ローマ人が入植する前からこの地域にはカトゥベラウニ(Catuvellauni)族が定住しており、ローマ支配時代のブリテン島でロンディニウムに次いで大きな町でした。

セント・オールバンズにゆかりある人物にフランシス・ベーコン 、スティーヴン・ホーキング 博士がいる。

ヴェルラミウムの北の城壁の遺跡。


カトゥベラウニ家の名前は、ケルト語の語根catu- (戦闘)に由来し、「戦争の首長、戦争の首長」という意味があるそうです。
カトゥベラウニ家は、ローマ時代に現在のシャンパーニュ地方に住んでいたベルギー系部族のカタラウニ(ガリア語Catu-uellaunoi「戦争指導者」) の同族グループと言われています。

ヴェルラミオンで鋳造されたタショヴァヌス王のコイン

上のコインのタショヴァヌス王(西暦 9 年頃に死亡) は、カトゥヴェッラウニ族の歴史的な王でした。紀元前20年、ヴェルラミオンを統治していました。

ロンディニウム(のちのシティオブロンドン)

ロンディニウム(Londinium)の名前は、ケルト語の「リン(湖)」と「ダン(砦)」にちなんでいるとも言われており、「沼地の砦」を意味するそうです。ローマ人が沼地を埋め立てて建設した砦がその始まりです。

ロンディニウムの想像図

ロンディニウムの詳細については別記事で。

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話を戻して・・・

反乱の知らせを聞いた総督スエトニウスは、ロンディニウムへ急ぎましたが、州全体を救うために最終的にロンディニウムを放棄しました。

住民は軍に同行することを許されたのですが、女性や年寄りなど場所に愛着があり留まった人々は、反乱軍に虐殺されました。
合計すると、推定7万人から8万人のローマ人とイギリス人が反乱軍によって殺害されたと言われています。

報を聞いてネロは軍の撤退を決断しましたが、ワトリング街道の戦いではローマ軍が勝利しました。
ブーディカは死亡し、二人の娘はその後どうなったかわかりません。
この勝利によりローマのブリタンニア支配は、410年に西ローマ帝国が支配権を放棄するまで続きました。

現在のイギリスでは、ブーディカは正義と独立のための闘争の象徴として讃えられています。

ウェストミンスター橋近くのボウディキア像と娘たちの彫刻


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【余談】

ケルトの女神アンドラステ
ブーディカは戦いの前に、ケルトの勝利の女神アンドラステに祈りを捧げたと伝えられています。またブーディカは、祈りを捧げる際に野ウサギを放ち、それが逃げ去る方角で吉凶を見る一種の占いを行っていました。

「それゆえ、幸運を大胆に信じて(ローマ軍に)逆らいましょう。彼らが犬や狼を支配しようとするウサギやキツネであることを示そう」
ブーディカが話し終わると、彼女は占いの一種を用い、服の折り目から一匹のウサギを逃がした。
そして、ブーディカは天に向かって手を挙げ、こう言った。「私は勝利と自由の維持をお願いします」

これは、古代ローマの鳥占いと同じようなものです。

ブーディカの墓
ブーディカの墓の場所は正確には判明していないそうですが、ブーディカが自決した後に埋葬されたという伝承が残るバトルブリッジ村にキングス・クロス駅が建てられています。

キングス・クロス駅といえば、ハリー・ポッター!
ホグワーツ特急の始発駅として登場します。秘密の9¾番線。
なので、ブーディカは9,10番ホームの下に埋葬されている、という都市伝説があるそうです。

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ブーディカの出生日はさすがにわからず、反乱の日も死亡日もわかりませんのでホロスコープを立てても意味がないですが、発見されていない冥王星は山羊座28度にあり、双子座29度の土星とクインカンクス(150度)でした。

ブーディカに焼き払われたロンディニウムは、10年後には復興し、その後数十年で急速に成長していきました。
まさに冥王星のような「破壊と再生」の出来事でした。

今日はこのへんで。お読みくださりありがとうございました。

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