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命に代えて抗議した若者たち①*アーロン・ブッシュネルとExodus

1969年に連続して起きていた若者たちの焼身自殺について書いていたら、1万字を超える内容になってしまったので分けました。

この記事では、3月の星の動きにも書いたアーロン・ブッシュネルさん(wikipediaのページ)について再び書いていきます。

ブッシュネル氏は、自分は「植民地支配者の手によってパレスチナで人々が経験していること」に抗議していると述べ、「今後は大量虐殺に加担しない」と宣言した後、可燃性の液体を浴びて自殺した。

アーロン・ブッシュネルさんの焼身自殺から一週間が経過しました。
バイデンおじいちゃんからは、まだ一言もコメントが出ていないようです。



あの動画は、彼自身によってTwitchでライブストリーミングされたことがわかっています。あまりの壮絶さに「CGだ」と言い出す人もいるほどですが、アーロン・ブッシュネルと名乗る人物が、自分自身に火をつけたことは事実だと思います。

アーロン・ブッシュネルの死の影響

アーロン・ブッシュネルさんは、燃え盛る炎の中に立ち続け、倒れるまでフリーパレスチナ!と叫び続けていました。
体に火が着いて逃げ惑う人の姿は映画などで見たことがありますが、実際に生きている人が燃えながら、でも立って叫び続けているのを私は初めてみました。彼は、なんて意志の強い人なんだ。

彼のホロスコープを見たかったけれど、残念ながら誕生日情報がありませんでした。

アーロン・ブッシュネル、焼身自殺の日の朝
ブッシュネルさんは焼身自殺する前に遺言書を作成しており、その中には貯金をパレスチナ児童救済基金に寄付することと、死後は飼い猫を近所の人に預けることが書かれていた。

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アーロン・ブッシュネルは英雄として死んだ。アメリカ政府は彼を不可能な状況に追い込み、彼の良心にとっては耐え難いことだ。
私は個人的にアッラーに、彼の行為を見過ごし、彼にジャンナを与えてくださるよう嘆願しよう。アッラーがあなたを受け入れてくださいますように。

2月28日、オレゴン州ポートランドでは擁護団体「アバウト・フェイス:戦争に反対する退役軍人」によって通夜集会が開催され、アーロンに敬意を表して複数の退役軍人が軍服を燃やしました。

彼らも傷ついているでしょう。
ベトナムに枯葉剤を撒いた兵士たちは、若くてももう70代。自分がしたことを悔いてはいないだろうか。

もちろんアーロン・ブッシュネルさんのしたことに反対している人もいるし、精神異常者がやったことだとせせら笑っている人や、テロリストの自爆行為と同じだと言う人、親イスラエル派の中傷や妨害もひどいものです。

誤報
ブッシュネル氏の死の直後、ブッシュネル氏が運営するレディットアカウントが「ユダヤ人が全員死ねばパレスチナは自由になる」とコメントする捏造スクリーンショットがソーシャルメディア上で拡散した。
事実確認ウェブサイトSnopes は、このスクリーンショットはデマであると判断しました。

wikiより

でも、多くのアメリカ人は、彼のメッセージを真摯に受け止めていると思います。


wikipediaによると、2023年12月1日にジョージア州アトランタのイスラエル総領事館の外で焼身自殺によって抗議した人物がいたそうです。
詳細は明らかにされていませんが、重傷を負ったが一命は取り留めたようです。

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燃える柴(燃える茂み)

アーロン・ブッシュネルさんが焼身自殺をしたのはイスラエル大使館の前でした。
最初、私は古代ユダヤの燔祭(ホロコースト)の儀式のように感じていました。ある意味では、それは間違っていないと思います。

祭壇の上で主への捧げ物を燃やすノア(ジェラルド・ホート、1728年)


しだいに目に焼き付いた犠牲の炎に、旧約聖書『出エジプト記』に出て来る「燃える柴」のイメージが重なりました。

燃える柴(あるいは燃えない柴)とは、ユダヤ教の律法(聖書の旧約聖書にもある)に記録されている出来事のことである。出エジプト記』の第3章に、ホレブ山で起こった出来事として記述されている。
聖書の記述によれば、柴は燃えていたが、炎に焼かれなかったのでこの名がある。聖書の物語では、燃える柴はイスラエルの民をエジプトからカナンに導くために、モーセがヤハウェに任命された場所である。

バーニングブッシュ。サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にある
セバスチャン・ブルドンの17世紀の絵画


以下の文章の「エジプト」を「シオニスト」に、「イスラエルの子ら」を「ガザの子ら」におきかえて読んでみてください。

神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。
主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。
わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。
今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。
今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。

ガザの人たちはイスラム教が多く、旧約聖書の神は彼らが信じる神ではないけれど、キリスト教圏の人々には神がアーロン・ブッシュネルの姿を借りてメッセージを伝えているという風には理解しやすい気がします。

アーロン・ブッシュネルさんはキリスト教徒(プロテスタント)だったことはわかっていますが、結構重要な宗派は不明です。
どれだけ信心していたかは別として、彼の神性の現れが「燃える柴」にリンクしたのじゃないかと思いました。

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祭司アロンと十の災い

そして私は、あることに気づきました。
Aaron Bushnell
モーセの兄アロン(Aaron)と同じ名前じゃないですか。

アロンは、伝統的にイスラエルの祭司の祖であるとみなされている。アアロンともいい、アラビア語ではハールーン(Hārūn)と呼ばれる。
モーセと共にヘブライ人のエジプト脱出を指導したことで、その生涯の事跡がモーセ五書に記されている。

イスラム教では、アーロン (Hārlung ) は神の預言者としてコーランに記載されているそうです。

コーランはアーロンを繰り返し称賛し、彼を「信仰のしもべ」、また「導かれた」、そして「勝利者」の一人と呼んでいる。
アーロンは出エジプトの出来事における役割でイスラム教において重要であり、クルアーンとイスラム教の信仰によれば、彼は兄のモーセとともに出エジプトのファラオに説教した。

アロンの杖にアーモンドの花が咲く(民数記17章8節)

アロンの杖は、旧約聖書の中で様々な奇跡を起こしています。
よく映画などで見るモーセが海を割る場面で使われているのも、アロンの杖です。
この杖は、もともとモーセが持っていた羊飼いの杖(キリスト教の司祭が儀式で用いる杖の原型)でしたが、「燃える柴」でモーセの前に現れた神が、この杖に魔法の力を与えました。

そしてモーセとアロンは、神に言われたとおりにファラオのところへ行き、イスラエル人解放を認めさせるために杖を使って、様々な奇跡(十の災い)を起こしました。

『出エジプト記』に記されている中の災い
ナイル川の水を血に変える(7:14-25)
蛙を放つ(8:1-15)
ぶよを放つ(8:16-19)
虻を放つ(8:20-32)
家畜に疫病を流行らせる(9:1-7)
腫れ物を生じさせる(9:8-12)
雹を降らせる(9:13-35)
蝗を放つ(10:1-20)
暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
長子を皆殺しにする(11章、12:29-33)

現在でも80%当てはまっている気がしますね。

「長子を皆殺しにする」については、以前、TOMITA_Akioさんが興味深いポストをされていましたが、見つけられないのでこちらを貼っておきます。


民数記によれば、アロンの杖にアーモンドの花が咲いたのは、神がアロンを祭司として選んだ証であるとされています。

民数記』によるとモーセは神から、ユダヤ人の族長一人に一本ずつ、計12本の杖を集めるよう言い渡された。神が選んだ人の杖は芽吹き、その杖を持つ人はイスラエルの指導者となると告げられたので、モーセはアロンの杖を含む12本の杖を集め、それぞれに名前を書き、あかしの天幕の中の箱の前に置いた。
翌日、モーセがあかしの天幕に入ると、モーセの兄アロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。

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ブッシュネル家のルーツ

そしてBushnellのBushとは「低木」「柴」「茂み」を指します。
燃える柴はBurning bushとなります。

もちろん、これは単なる偶然ですけれど、私には単なる偶然とは思えない。神の力が及んだのではないかと思っています(笑)

Bushnellという姓、アメリカでは珍しいのじゃないか?と思って調べてみると、イギリス・ランカシャーのボソール教区に由来しているそうです。

ノース ヨークシャーのスカボロー 地区にあるハットン・バッセル(Hutton Buscel)という村は、1066年のノルマン人の征服後に到着した先祖「ブッセルまたはブッシェル家の高原の町」であったことに由来しています。

Bushnell という名前の綴りのバリエーションには、Bushell、Bussel、Bushle、Bushell、Bussell、Buchell、Buchel、Boushel、Boushel、Bouselなどがあります。

アーロン・ブッシュネルさんの先祖は、17世紀にメイフラワー号に乗ってイギリスを出国したピグリムファーザーズに続いて、どこかの時点でアメリカに移住したのでしょう。


ブッシュネル家の座右の銘「息がある間、私は望みます」
も、アーロンさんの最期と重なります。なんというシンクロでしょう。

「私の名前はアーロン・ブッシュネルです。アメリカ空軍の現役隊員です。もう大量虐殺に加担するつもりはありません。
私は極端な抗議行動を行おうとしている。
しかし、パレスチナで人々が植民地支配者たちの手によって経験してきたことに比べれば、まったく極端なことではありません。
これが私たちの支配階級が決めた「普通」なのだ。

フリーパレスチナ!フリーパレスチナ!フリーパレスチナ!フリーパレスチナ!フリーパレスチナ!..."

アーロン・ブッシュネルさんは倒れるまで5回フリーパレスチナと叫び続けたそうです。


Burning bush

アーロン・ブッシュネルさんが自殺された2月25日は、カイロンが牡羊座17度でノースノード(ドラゴンヘッド)とぴったり重なっていました。

2024年2月25日現地時間12時58分ワシントンDC

カイロンは、負荷をかけて改善していくエネルギーです。ノードが絡むと大勢の人に影響があります。

牡羊座のカイロンの意味は、次の記事に書きます。

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アーロン・ブッシュネルさんの焼身自殺は、1963年に焼身自殺をした僧侶ティック・クアン・ドックと並べて語られています。

私はまだ子どもだったので、この事件についてはまったく知りませんでした。今回、いろいろ調べていて知りました。

ブラジルの政治漫画家カルロス・ラタフによる
ブッシュネルとティク・クアン・ドゥックを比較した漫画


1963年当時の南ベトナム政権の仏教徒に対する抑圧に抗議したティック・クアン・ドックは、事前にマスコミに告知をして焼身自殺の一部始終を放映させました。
衝撃的な映像は、ベトナム国内だけでなく国際世論に大きな影響を与えたそうです。

それをアーロン・ブッシュネルさんは知っていたのかもしれませんね。
知っていたから、自分もライブストーリミングをしようと思ったのかも。

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燃える柴は燃え尽きない

モーセの見た燃える柴は、実は燃え尽きない柴でした。
キリスト教ではBurning bushは、神のエネルギーが現れているシンボルとされています。

アイルランドの長老派教会のモットーは「Ardens sed Virens」(燃えながらも繁栄する)


これは私の勝手な妄想ですが、神のような大いなる力が働き、アーロン・ブッシュネルさんを祭司アロンとして用いたのではないでしょうか。
出エジプト記では、モーセが「自分は弁が立つ人間ではないので(ファラオを説得する自信がない)」というと、神は「あなたの兄アロンが雄弁なのを私は知っている」と言って、アロンをモーセに代わって話す「預言者」に任命しました(出エジプト記 4:10-17; 7:1)。


アーロン・ブッシュネルさんのご冥福をお祈りいたします。
彼を「命を粗末にした」と非難することは容易いですが、ぬるい火(暖房器具)にあたってブログを書いているだけの私は、彼の決死の覚悟を非難することはとても出来ません。
今もガザでは、爆撃や飢餓で多くの人が亡くなっています。
彼が伝えたかった思いは燃え尽きることなく、多くの人に伝えられていって欲しいです。


アーロンさんの願いが叶う日が来ますように。
50年後に再びカイロンが牡羊座に戻ってきたとき、戦争や若者の焼身自殺が起きませんように。

最後までお読みくださりありがとうございました。
妄想も入りましたがお許しくださいね。

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