見出し画像

理想と過程のはざまを歩む僕等は

恋人さんと付き合うことになって一か月が経った。一か月の記念日は一応12月3日で、実は過ぎているのだけれど、別にそこに意味合いをつけてやろうという気概があるわけでもない。ただちょっと気が向いたので、一か月記念のつもりで文章を綴ってみる事にした。なので、今日私が記すのは恋人さんとのこの一か月の話。

……。
さて。

なんていうか、所謂社会の多くの人が呼ぶ「恋人」のあり方ではないなと思う。あんまり甘くない。「恋をすればあばたもえくぼ」なんて台詞をかの有名な劇作家は綴っているけれど、僕にとっても、そして恋人さんにとっても、互いのあばたがえくぼには見えてはいない。あばたはあばただ。欠点は欠点に見えるし、ダメなところはダメだと互いに話もする。
同時にえくぼはえくぼに見える。友人時代から素敵だなと思っていたところは変わらず素敵で、それがより詳細に、近くで認識出来るようになった気がする。それが今までより近い恋人距離だからこそのものと言っていいのかもしれない。僕等が恋人になって変わった事はより互いのことを身近に考えるようになったというその点に尽きるなと最近思う。

付き合って一か月なんて一番浮かれて楽しい時期なのだと思う。気分的にも盛り上がって、柄にもなく恋人的なことをたくさんしてみたりして。元恋人さんとはそうだったし、一般的にはそっちの方が「自然」な感じがする。私の嫌いな言葉をあえて使えば「普通」と呼ばれている気がする。そういう側面がないとも言わないけれど、この一か月僕等がやってきたことを考えるとその内訳はほとんど「対話」に尽きる。

私はずっと一人だと思い込んでいたなと思う。誰かに好きになってほしいと思っていたと思う。その裏にはいろんな諸事情があるけれど、その辺はあえてこの文章では記さない。
でも、本質的に思っていることと行動は少しずれていて、好かれる以上に嫌われないことを考えていたし、行動していた。「好き」って言ってもらえることは嬉しかったけれど、表面的なその言葉を必要以上に意識してしまっていた。

恋人さんと付き合い始めて一番体感として強いのは「大事にされてるな」ということだ。正直「この人私のこと好きなんだろうな」とは完璧に思わない。「愛されてるな」も同じく。でも、大事にされていることだけは分かる。この人は私のことを大事にしようとしているのだなということは常々感じるのだ。

恋人さんは言葉足らずなので、甘い言葉はまず吐かないし「恋人です!!」というような主張はあまり強くない。言葉足らずなくせに小難しく理屈をこねる癖がある。哲学書の言葉とか持ち出すし、日本語ではなく、あえて英語で話してくることがある。(マジで志賀に英語や哲学の教養があることに感謝と敬意を持ってほしい。持ってくれていると思うし、この辺もしっかり明言したけれど笑)正直理解に時間も手間もかかるし、面倒くさい。なんていうか、あくまで冷静で、浮ついている感じもしない。滅茶苦茶マイペースだ。日本語的「ゆっくり」という意味の「マイペース」ではなくて、本当に単語通りの「マイペース」。自分のペース、自分のタイミングや自分の歩幅で歩く人。とてもおおらかな人、言葉を選ばずに言えば他人行儀な部分も結構ある。「冷たい」のだ。

でも、私が「嫌だ」と発信する事を無視することは絶対にないし、私が考えていることを共有すればそれを一緒に考えてくれる。そのことだけは揺らがないので、共にいる事を選べていると、そう思う。

同時に、恋人さんだけが偉いとも思わない。私もちゃんと努力出来ていると思う。それは恋人さんに感謝しないという意味ではなくて、それとは別にちゃんと私は私の人生を生きて、考えて、という段階を踏めているイメージがあるからだ。

恋人さんが言葉足らずな分、僕が補足をしたり提案をすることは多いし、トピックや問いを持ち出すのも僕が多い。目の前にある問題やちょっと意識した方がいいことだなと思う事は積極的に共有していく。恋人さんはむしろその辺が不明瞭で、取り敢えず大体でなんとかなるだろう思考をしていることが無意識で多いので「そうじゃないよ~!!」って言葉をかけて引き留めて、なんてことをやっている。で、聞いてねえぞそれって案件があれば「言葉にしてくれ」って詰めていく。雰囲気で伝わるなんてことは基本的にないので、言葉にするものはして、分かんないです、みたいな呆れ半分のお説教をすることだってある。私の方が年下だけど、その辺の経験値は高いから。ダメな事はダメって言う。なんとなくで進めていいところじゃないんですよ、って。

逆に私が恋人さんに止められることもある。手を引いてもらうこともある。「そこは踏み込まなくていいところだよ」とか、「あえて言葉にして言わないんだよ」とか、「もっといいものがあるからこっちを選んでみたら」とか、「自己評価が低すぎるから俺の眼鏡をかけて下さい」とか。
中でも「どうしたいの?」「どうしてほしいの?」の問いかけは、とても大事だ。私は今これをやらなくちゃいけないってことに固執して、どうしたいとかどうしてほしいとかがよく迷子になる。自分の願いよりも、周りとの兼ね合いを考えて、自信を無くして、どうしたかったかを忘れてしまう。捨ててしまう。そういう意味で恋人さんがその願いを携えてくれているのは強い。願いをしっかりと携えて見失わないところは私が恋人さんを尊敬する大きな欠片の1つだ。

ざっと1ヶ月分をまとめるだけでもこんなに複雑な理想と過程のはざまで僕等は生きている。結局僕等が一緒に生きるためにしているのは、こういうやりとりの積み重ねだ。割と永遠にそういう段階を踏んでいる。一つ一つ確かめて、形にして、失敗したら立て直して、そういう模索を繰り返す。多分こういうやり方を実行していこうという僕は結構面倒くさい。でも彼がそうさせているところもあって、要は互いの習性、今までの環境から生まれたあり方も含めて、すり合わせをしていかなくてはならないのだと思う。だから言い訳とか責任転嫁でもなく、事実として彼も相当面倒くさい人だと思う。
でも、こういう面倒くさい対話がしっかりと出来る人、対話しようというあり方を惜しまない人だと分かっているから安心して側にいられる。

僕にとっては多分、とても良い恋人さんだ。いや、この発言も実は結構危なくて、実際には「良い恋人」と無条件に言える物でもないのかもしれない。良い恋人になっていく過程を互いに踏んでいるからそうあれているという方が感覚としては近いと予想する。…我ながら記述の仕方、説明の仕方がめんどくさく、小難しくなっている。でも、この説明の仕方は恐らく恋人さんのものだ。恋人さんの話し方によく似ている。これを読んでいる人の多くは私の恋人さんの話し方は分からないと思うけど、特定の人だけはきっと分かると思うから、その人はどうぞ笑ってほしい。
…まあ、何か言いたいかと言えば、ほんの少し私も恋人さんに影響されて、わざと悪く言えば「毒されて」いる。それが良いか悪いかも少しずつ生きていく中で僕等が吟味していくことなのだと思う。

昨日、もう日付が変わって今日。夜から朝までずっと電話をしていた。時間としてはほぼ9時間。今日はもう寝不足だ。朝からずっと眠い。私の方は一限だってあったのに、本当にずっと話し込んでいた。深夜テンションは恐ろしい。授業中に寝ないようにモンスターを飲んでいた。まずい。エナジードリンクなんて美味しくないけれど、まあ、今日に限っては仕方ない。授業で寝ないことの方が僕にとっては大事なのだ。

電話では普通の話だけではない、まるで恋人同士で話すことではないようなことも話していた。変なのと笑い転げた。いや、もうなんだこのカオスな状況は。恋人に対して恥じらったり、隠したり、よりよく見せようなんてことはもう無駄なのだ。互いに初めてな事は初めてだと共有して、自分が知っている事で言っても良いと思えることは言って、もう取り敢えず話して、歩いていく。一緒に。そういう過程を踏んでいく大事さが身に染みている。今だけじゃなく、「将来的」にその方がいいのだと分からせてくれる。そういう感覚の中で僕は恋人さんと一緒にいる。大切な時間だ。楽ではないけれど、苦しくはない。ちゃんと生きていると感じる、そういう時間だ。

理想と過程のはざまで生きる事は簡単ではないから、平和であれない時もきっとある。けれど、これからどうなるのかは分からない中で、願わくばこんな時間、理想と過程のはざまを平和に生きようとする日々を、他の誰でもない恋人さんと一緒にずっと続けていきたいと、続けることを認めてもらいたいと今は思う。そのために自分が出来る努力を精一杯出来るように、ずっとずっと祈っていたい。

この文章を読んでくださってありがとうございました。この文章に出会ってくれたあなたの日々に祝福と平和がありますように。
我儘ではありますが、ほんの少し僕等の平和も祈ってくれたら嬉しいです笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?