見出し画像

学園祭事件――名も知れない失踪者に関する多角的な視点⑧

←前 行方不明by久世正宗


8.学園祭事件by御手座巴

パズルのピースを繋げてはいけない。
私は自分に戒める。

「思ったより早かったね」
久世くんの――幼なじみの声は、はるか遠くから響くようだった。
旧校舎の屋上。コスモス畑が隔てる、心の距離のせいだ。

パズルのピースを繋げてはいけない。
問題を解いてきたときとは逆の制動で、心が振り回される。

情報部が準備をしたゲーム。その1人を含むチームが、私をここまで呼んだ。
そして目にしたのは、この世の理からはずれた行方不明だ。

私は視野の中心に久世くんを捉えたまま、椅子の上の残骸に意識を振り分ける。

おそらく使われている魔述は、イデア達の転移の、悪質な模倣だ。
殆どの実体をどこかに転送して、最後に残った一滴。
それが不安定な卵殻のように、誰かの個性の輪郭だけをこの世にとどめている。
吐き気を催すような醜悪な着想だけれど――。

「これはね、嵜本さんだよ」
久世くんの冷静さが、私を結論に誘う。

あなたがやったの?
あなたは魔述を識っているの?

情報部に協力させた? その後で、こんな酷い姿にした?

久世くんの手が、椅子の縁を辿って手すりを伝った。
存在が極限まで薄められた嵜本さんの残骸が、不定形にぶれる。

人知を超越した残酷さ。
行方不明を言い出せなかった何人かは、この光景を見たのだ。
あまりの酸嘆、そして異常性が彼らの口を封じたのだ。
それだけではない。

『白ウサギを追え。最高の知性だけが私達の王に相応しい。王冠はひとつきり。最高以外は要らない』

人格の殻にある僅かなヒビは、こんな想定を浮かばせる。
別の誰かが触れれば、犠牲者の交代が起きるのではないか。

この悲劇から犠牲者を救うには、自分が行方不明にならなくてはいけない。
だから見捨てた。その罪悪感も、行方不明事件が明らかにならなかった理由だ。

「【御前】」
彼の声が冷たく私のあだ名を呼んだ。

「まずは安全確認だよね。
邪魔が入らないように、君の後ろのドアを封鎖してくれ」
見られたくない。思惑は同じだ。
「わかったわ」
私は借りてきた鍵束を手探りして、後ろ手にドアをロックした。
彼は頷く。

「これで暫くは安心かな」
黒いコスモスが揺れて、私は自らを――。
戒めるのをやめた。
パズルのピースが繋がったら、そこに浮かび上がるのは、久世くんが敵だということだ。
認めなければいけない。
受け入れなければいけない。

「行方不明から、助ける手立てが君にはある?」
試すように彼は言う。
「できるわ。
およその仕組みは覗える。一度過程を見ることができればもっと確実だけれど」
自信は実際にあるけれど、彼を威圧できただろうか。
「そうか。無理しなくていいよ」
「……」

すげない言葉。
見透かす視線。
急な別離から7年経った。
心は、変化してゆくのだろう。

私は決めた。人格の残骸に久世くんを触らせて、行方不明者を交代させる。
嵜本さんを救出した後で、改めて魔述を解除すればいい。
魔述の仕組みも見られるし、これが上策だ。

仕掛ける瞬間、私は迂闊にも、彼の表情を見てしまった。
「助けを求めるときは、相手を指定すること、だったか」
久世くんが笑っている。その笑顔は昔のままで、目が眩みそうだ。
「【御前】、嵜本さんを頼むよ。僕のことは、このままでも構わないから」

やっと――私の中で全てが腑に落ちた。
久世くんが引用していたのは、救命講習時の私の言葉だ。

セーヌ川の少女。
複製された悲劇。
……彼は救命措置を試みようとしている。
行方不明者を助けるための。

ただし、行方不明のシステムでは、息を吹き込むと自分の命は相手に移る。

吐き気を催すような無惨な残骸になることを恐れて、誰もできなかったこと。
見捨てて背を向けた悪夢。

感情を纏った言葉が、私の喉を裂いた。
「自分さえ守れない状況で、人助けをしてはいけないよう言ったじゃない」
コスモスを踏み越えて彼に向けて走る。
「人助けじゃないよ。
これは、不比等の後片付けだ」

私の伸ばした手は、コスモスの黒い花弁を数枚掴んだだけだった。
久世くんは素早く人格の残骸の肩当たりに触れていた。

耳孔の中で、千の虫が羽ばたくような音。
行方不明が始まる。

待ってと言いかけた。
代わりに私は、任せてと言うことにした。
彼に聞こえただろうか。

久世くんが希釈されて失われていく最悪の世界で、私は反芻する。

「思ったより早かったね」
彼の素直な驚きを。

「行方不明から、助ける手立てが君にはある?」
私に託す準備を。

「そうか。無理しなくていいよ」
責任を負わせないための優しさを。

認知の歪みから解放した。
そして、一連の事件を終わらせることにした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?