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【3/6】廃章 報酬系回路の電気刺激で行動制御は可能か――あるいは アマノサグメ

アイミテノ

僕たちは虚しい鬼ごっこをしていた。
力を失ったイデアと未熟な魔述師の、どちらが先に相手を出し抜くか。

一方でそれぞれが握った秘密故に、協力しなければ外圧に抗しきれない。

確かなことは、先に裏切ったほうが勝ち。
ただ、相手を失った状態で生き残れる確証を得た場合にだけ、裏切りは可能となる。

――頭が痛む。

支配のアンテナが取り付けられた場所が破門のように苦痛を広げた。
こうして僕に敵対する判断をしたサイファーは、”確証”を見つけたのだろうか。
それとも。

とにかく【御前】に危険を知らせなくては。

サイファーの安全性は僕が保証人となって担保している。
しかしその保証人=僕は狂ってしまった。正気が残るうちに、僕を信じないように伝える必要があるのだ。

校舎の廊下の向こうに、夜空のように燦めく長い髪を確かに見かけて、僕は足を速める。
しかしそれは、唐突な呼びかけによって差し止められた。
「見つけましたよ! 久世正宗くん」

「結構です。結構なものですね、という意味ではなく、要りません」
僕の返答が気に入らなかったらしく、スーツ姿の小柄な女性は憤然と腕を組んだ。

「学校の中にキャッチセールスが居ると思ってるんですか」

僕が通っているエディプス幣学校は、名前から既にどうかしているので、校内に何が居ても、いっこうに不思議ではない。
呼び止めてきた女性は溜息をついた。
「私のこと知ってる?」
「いいえ」
「そんなとこだろうと思いました! 進路指導、交代したでしょ。
今月から私です」

「余計のこと結構です」
僕は繰り返す。
「断れないの。もう逃さないから、一緒に来てください」

今この瞬間にも、意思の選択をサイファーに横取りされうる人間に、どんな進路と指導が意味を持つのだろう。焦りが蝕む。

早くしないと――。

左目の上が痛んだ。アンテナが何かを受信し始める。濡れた感触が額を伝い落ちていく。

――もう間に合わない。

進路指導の教師は、僕の額に視線を固定して、息を呑んだ。
「血? ちょっと……久世くん、大丈夫ですか。
まず保健室に行きましょう」

僕の頭の中で、何かが笑った。
「それはいい。
日曜は保険医がいないから、邪魔が入る心配はないでしょうね」

人間を実験動物程度にしか見做していない人外と同じトーンで、僕の声帯は揺れる。
この介入。サイファーが、僕を【御前】に会わせないよう、仕向けているのか。

「……わかってもらえて何より」
内心の葛藤を識らず、進路指導は肩をすくめた。
「にしても、上靴のかかとを踏んでるから・・・・・・・・・・・・・転ぶんです。どこにぶつけたの」
彼女は、僕の額から滴る血を誤解していた。

「腕を無理に引っ張るから脱げかけたんです。その前はきちんと履いていました」
既に他のことを考えているくせに、唇だけはそんな言葉をうそぶく。

ナカノヒト

進路指導は辿り着いた保健室の引き戸を開けて、怪我人を押し込んだ。
僕は頭の中の指示が命じるままに、黒い丸イスに腰掛ける。
進路指導はさんざん保健室内を歩き回った末に、やっと手当の道具を探し当てた。

ピンセットで取り出したガーゼで、僕の固まりかけの血を拭う。
傷口が綺麗になるに従って、彼女は慎重になった。
「思ったより、酷いですね。
頭の怪我は流血しやすいから甘くみていたけど……待って。
何かある」

中腰で身を乗り出す教師の、顎から襟元が眼前に広がった。
カールした鎖骨までの長さの髪。
桃色に染めた唇の奥の空洞が、息を潜めている。
その死角で、ガーゼをカットするのに使う先端の鋭いハサミを、僕の右手が握った。

さりげなく。首筋に狙いを定める。
進路指導は、密やかに立ち上がった悪意に気づけない。
視線はアンテナに釘付けになっているのだろう。
「傷口に埋まっているもの、取りますよ。
感染症を起こしたら大変です」

彼女が操るピンセットの先端がアンテナにカチリとぶつかった。
そして僕は右手を目立たないように振りかぶる。

――そして僕は目眩に逆らいながら、

「何するんですか!」
進路指導が叫ぶ。
けたたましい金属音。
キャスター付きの作業台が、上に載せた道具を撒き散らして転倒した。

(邪魔をするな)

それはこっちの台詞だ。

「台を蹴るなんて……もう、聞いていた以上に不良みたいですね」
進路指導は散らかった床にしゃがみこむ。
清拭綿のボトル。絆創膏の箱。書類。ペンの類い。くるくる回り続けるびんの蓋。

「噂と事実。
その間の矛盾について、何か考えることはありませんか」

僕でないものが立ったまま問いかけた。
手にしたハサミを床に投げ捨てると、鋭利な先端が床に突き刺さる。
銀色の刃に、教師の顔が歪んで映った。
「ちょっと……なに……やめてください」

小柄な教師は拾う手を止め、意味不明な言動に圧されて後退した。
「一方的な知は存在しない」
それを正確な歩幅で部屋の隅へと追い詰める。
「これを迂回するとき、代償は莫大なものとなる」
壁に貼った身長計の、153cm目盛りの下の顔が、恐怖で僕を見上げた。

「誰にも秘密にしていたようだから知る機会もなかっただろうが、橋は双方向なものだし、一度開通したものを片方が自由に閉じるというわけにはいかないのだ」
「あの、大声、出しますよ」
ここには誰もいない・・・・・・・・・
声? ご随意に」
僕の指が動いて(動かされて)、柔らかい色の毛先を摘んだ。

そして。
教師の肺が絶叫に備えて大きく空気を吸い込む様子を、意識の隅に追いやられた僕は、諦めとともに見守った。

「誰か――」

「俺だ!」
悲鳴を上回る音量で、名乗りをあげて保健室の引き戸が開いた。
「……与一」
呟いた主体が、自分かサイファーなのか解らない。

進路指導が僕を避けて出ていくのを、友人はドアの片側に寄ってレディーファーストをしながら見送る。
「人にドアを開けてほしかったのかな。
なんだろう、あれ」
与一はいつも通りの頓珍漢だ。
でも、
「……助かった」

痛みが和らいで、僕は両手の感触を確かめた。
支配が遠のいていく。

「おっ、血まみれじゃん。朝飯食った?」
「脈絡のないことを……何故ここにいるんだよ。
見張りは?」

物事の道理から外れて久しい与一は、僕が昨日頼んだことを忘れてしまってもおかしくない簡素な脳を備えている。
「ロッカーだろ? 継続中だ」
「頼んだのは教室の外廊下のロッカーの見張りだ。
保健室にいながら可能だと言いはるつもりか」
友人は自慢げに胸を張った。
「頭の使い方が違うんだよな。見ろ、持ってきてるぜ」
そして一度保健室を出た。

廊下で耳を覆いたくなるようなスチールの軋みがする。
自分の体より大きい灰色の箱を、うっかりドアにぶつけて突き破りそうにしながら、友人は室内に押し込んだ。

「5つ繋がってるロッカーヤツを運んでくるとは……」
呆れが口を突く。
「与一の場合頭じゃなくて躰の使い方が違うんだ。間違ってるんだ。
それごと持ち場に戻ってくれよ」
「えー、おにぎり買い占めに行く途中だったんだぜ?」
「だからって清拭綿を食べたら駄目だろう」
「だってこの部屋で一番おにぎりっぽいものと言えばこれだろ」

「……」

ふいに風景が、写真を握りつぶしたように歪んだ。
友人の言動のせいではない。
頭が痛い。
視界が白を滲むように広げ、他の色を侵食していく。
「おい!」

与一が押し出したスチールロッカーが、僕の体重を受けて歪む。
倒れずにこそすんだが、目の上の傷から新しい出血が、頬を伝った。

「それ、怪我なのか? 俺はてっきり朝起きたら炊飯器の残りが思ったより少な目で、泣いているのかと思った」
「その程度で血涙流すわけないだろ」
僕は声を絞り出す。
「【御前】は?」

狭まる視野。与一の金茶髪がすりガラス越しのように曖昧だ。
また支配が始まるかもしれない。急がなくては。

「【御前】なら、階段の方行ってたな。屋上じゃねえ?
携帯端末は?」
「持ってないんだ、無くしたかもしれない」
「本気で調子悪いっぽいぞ。手を貸してやろうか? 
ロッカー乗ったら目的地まで押して歩いてやるぜ?」
それは客観的に間抜けすぎる。
「なあ、与一」

いつが、僕自身の最後の言葉になるかわからない。魔述に詳しくない与一にも、警告が必要だった。

「僕がおかしくなったら、サイファーに近づいてはいけない。【御前】にもそうこと付けてくれ」
与一は難しい顔を1秒で止めた。

「そっか。んじゃはい、ロッカー」
「ありがとう。乗らないよ」
それはそれとして断った。

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