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【4/6】廃章 報酬系回路の電気刺激で行動制御は可能か――あるいは アマノサグメ

ナナイロ

5日前。赤。教科書のページ。

4日前。不明。

3日前。黄色。椅子。

2日前。緑。儀礼刀。

1日前。青。鞄。

今日。藍色、紫色。上靴。

御手座 巴は法則を読み取る。
綾目 若彦が進行している魔述。
罠は、久世正宗の持ち物の、本人が”気づく”場所に仕掛けられている。
そして今日を除き、同じものには結んでいない。

ならば――。
不明である4日前の仕掛けを想像で補う。
おそらく橙色だろう。
赤橙黄緑青藍紫。
これで虹の七色になる。ニュートンが音階になぞらえて決めた色だ。

巴は雨を厭わず、屋上に出た。
街を湿らせ続けた雲が、重しのように空を塞いでいる。
それでも、考え事をするには、見晴らしのいい場所がいい。

彼女の精神は矢に似ている。
あてどない距離をまっしぐらに走るのが特徴の思考。

さて。
古来、一般的な人間の力が及ぶのは5までと考えられた。
それは片手の指が5本であることと無関係ではない。

6は第六感。努力や才能によって人間が到達できる最高数。
7はラッキーセブン。人間が感知できる、神様の後押し。

その先は八百万やおよろず八尋やひろ
とても沢山で数え切れない、神域だ。
8番目の色、紫外光や赤外光が目に見えないように。

巴は虹の象徴的意味を反芻する。
すなわち、無関係な二点間を繋ぐ橋だ。
それは凶兆をも含む。
だから世界中に、虹と関係を断ち切るまじないが存在していた。

曰く。虹を指差してはいけない。指差してしまったなら、別人に移す呪文を唱える。
曰く。虹を見かけたなら刃物で空中を切れ。

久世正宗は5つ目までの魔述を完了されてしまっている。
せめて巴が、全ての紐を集められたなら、魔述を壊す方法があったかもしれない。
しかし、橙色がみつからない。対策は不完全だ。

それでは魔述師、綾目 若彦を押さえるか。学園祭実行委員の彼とは、顔見知りだった。
けれど、魔述師かイデアから正式な作法で紹介を受けた名前ではないので、諱名いみなを標的として攻撃は不可能だ。

時間がない。綾目の背後にいるイデアは、準備の分だけ威力を増した、即死級の攻撃を仕掛けてくるはずだ。

2/7つの魔述は【御前】を標的にするから、久世正宗への威力は減ずるだろう。
それでも充分だと見做したから、彼は敵意を宣言できた。

臆病なまでに周到なタイプ。
焦りが満潮のように胸を浸すのを感じながら、御手座巴は思考を脳の各所に飛ばす。

――イデアは自己に類似した人間をそばに置きたがる。
反撃を許さない一方的な魔述は、目を合わせないのに彼女の後ろ姿を追い続ける、後輩・綾目 若彦の視線と相似形だった。

綾目が告知した時間まで残り2分。


魔述の最後のトリガーを引くのは、イデアの方で間違いない。
それが解るのは、彼女もまた魔述師だからだ。
幼馴染の上靴から藍と紫の紐を解く。

実行犯が綾目の方であることから関係性は薄らぐが、これらはイデアにも縁のある品だ。
それにプロファイルを重ねれば、こちらから先に狙撃できないだろうか。

イデアという存在は目に見える場所に実体があるわけではない。
彼等に攻撃を当てるには、魔述師や他イデアが持つ理論武装で位置特定をすることが必要だ。
更に遠距離なら相手に対する情報や理解で精度を上乗せする必要がある。

敵イデアは、理解の代わりに目印を用いた。
相手のことなど知る必要がない、知りたくもない。
そんな孤独な相手の手がかりは希薄だ。
どんな幣魔述師でも、10分で特定しきれるものではないだろう。

一か八か。

御手座巴は理論武装・雷上動を呼び出した。

人の領域の1か、神に到達する8か。二色の紐が浮かび、螺旋を描いて魔述の矢の核になる。

「ルール――!」

しかしそれは完成しない。無根拠な8に期待するのは、彼女のやり方ではないからだ。
的中しても、2/7に威力は減衰する。
イデアは一度は手を止めるかもしれないが、更に巧妙に不可知領域へ紛れるだろう。
手がかりの紐と引き換えにそんな結果では、久世正宗を守ったと言えない。

攻撃までの残り時間を、【御前】と呼ばれる少女は手の震えを押さえるために使った。
敵を排除するには幼馴染が、敵と関わりを結ぶために”一度攻撃される必要がある”。

アンビエンス

探し求めていた姿は、友人の言葉通り屋上にあった。

青ざめた頬に静謐せいひつなホメオスタシス。
長い髪に雨滴を灯して、【御前】は冬空に凍りついた人形のようだった。

「マサムネ」

振り向いた拍子に、彼女の頬を透明な雫が滑り落ちた。
僕は幼馴染の名前を呼ぶ時間を惜しんだ。
「サイファーが僕の脳にアンテナを埋めこんだ」
即物的な台詞。感傷よりもそれが、彼女の助けになる。

ぱしゃんと音がした。

水たまりが彼女の足もとで踏み砕かれる。
近づきすぎないように制止しても聞き入れられないまま、【御前】は彼我距離をほぼ0にした。

血か雨かでぬめる左目の上に、熱い指があてがわれるのを感じる。

「ないわ、アンテナなんて」

彼女は否定する。

「存在しないのよ。あるのは傷だけ」

アンテナが電波を受信する。
全てが灰色に呑まれていく。

首を横に振ると、指が離れてしまうのが嫌で、僕は目を伏せる。

「じゃあなんで僕が、こんなことをしているのだと思う?」
水がまた撥ねた。至近距離で。

凍えているはずの自分の腕が、制服越しの白い肌の温もりを探りあてる。
僕の両腕の中に閉じ込められて、【御前】は顔だけをあげた。

「わからないわ。
何故こんなことをするか説明してほしい。マサムネ」

こんなこと。抱きしめるような真似をするのか。

「それはアンテナがあるからだ」

「あなたが望まないことをしてる?」

「……望む?」

僕は望まない。彼女に僕のジンクスが及ぶことが、どうしても看過できないから。
永遠に望まない。触れたいと思わない。

望むのは、別の誰かだ。

「今、証拠を見せるから」

おかしな方に曲がろうとする左手を、顔の横に持ち上げる。
痛みの源を探り当て、指を深く差し込む。皮膚を掻き分けて。
ピンセットなんかで取れるはずもない、堅牢な頭蓋の奥。

吹き出した鮮血が、青くけぶる瞳の下。【御前】の頬を汚した。

見てもらおう。

取り付けられた嘘の根元。人差し指を曲げる運動がアンテナを揺さぶる。目が回る不快。けれど、これを【御前】に対する不躾の代償に。

執念深い乳歯のように脳に食いついていた金属の筒と基盤は、揺らぎ始めるとやがて居場所を見失って、ずるりと嫌な感触を残して抜け落ちた。

「確かにあっただろう?」

僕は【御前】にそれを渡そうとした。
気が遠くなっていく。脳の重要な部分を傷つけたようだ。

無理に外せばそうなる仕組だったのかもしれない。

これで終わりかと、自問自答する。
やはり何もできなかったなと自嘲する。

(もう少しだけ持ちこたえたまえ)

死の闇の中で、花のようなこうのような薫りがした。
それが二つに裂ける。

香りの変形で察知した。
背後から誰かの手が伸びてくる。
殺意の輝きを帯びて、頭部を狙っている。
僕はその手を掴んだ。

掴んだ手が魔述と相殺で蒸発する――が頭に比べたら大したことは無い。
奇襲に失敗し驚愕する顔に見覚えがあった。
今日初めて見かける進路指導教師。
「私のことを知ってますか?」とは笑わせる。

この台詞は、”知らないこと”の確認だ。
そして彼女はすぐに次の魔述を完成させた。

「手間を掛けさせてくれましたね」

攻撃は避けようもなく襲い来る。
それでも、僕の片頬を勝手に吊り上げる誰かは、僕の口で挑発を紡いだ。
「選んだつもりで、君は選ばされているのだ」

……もう何もする必要がなかった。
遥か彼方から飛来する二重螺旋が、誰かわからない存在を粉微塵にするのを最後に、灰色の世界は金無垢に塗りつぶされていく。

↓続きはもう少し待ってください。

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