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永遠を始めるために――秘密結社bldk機密資料

暖炉の熾火が弾け、空気に亀裂を入れる。

同時に長いテーブルに等間隔に置かれたろうそくが、一斉に揺れた。
次の料理が運ばれてきたのだ。

秘密結社の当主は、優雅に次のナイフとフォークを手にした。
香ばしい香り。
メインディッシュだ。

長いテーブルで数メートル隔てた対面には、料理人が、尊大に腰かけている。

味の満足など、訊ねるに及ばず。
当然クリアできていると確信している態度。

そんな料理人が、薄闇の落ちたディナーの席で、当主にもたらそうとしたものは、まだ判然としない。

食事に、味以外の情報なんて、果たしてあるのだろうか。
当主は対面の影に視線を送り、彼我を隔てる昏さに、質問をやめた。

ナイフをすべらせると、それはステーキのこんがりした表面を裂いて、厚みのある奥に達する。
テーブルマナーにあるまじき、カトラリーと皿の触れあう鋭い音がした。

それほどに、饗された肉は柔らかだった。

ナイフを手前に引く。
バラ色の肉汁がゆるゆると溢れた。
口に入れ、そっと歯を沈めると、瞬く間に滋味が全身を貫く。
味覚に加えられた一撃が、甘く脳髄を陶酔させた。
名残を惜しむように飲み込んだ後、野趣が鼻腔を掠める。

けして食べやすいだけでない。飼い慣らされていない肉。
それを残す料理の技巧。
胃が、もっとを叫ぶ。
腹の中でステーキは、己で臓腑を埋め尽くそうと意思を持つ。

手が止まらない……。
当主は殆ど食べ終わる頃に我に返る。
そして貴族にあるまじき、あからさまな欲望をいなすために、口を別のことに使おうとした。
つまり口火を切った。

「美味しいわ。
料理ができるなんて、識らなかった」

それが、最初の会話になった。

「素材がいいのだろう」
「褒めたんだから、素直に喜びなさい」
「いや。本当に、素材のおかげだよ」

金無垢の料理人は不思議な間を置いた。
「血が近いほど肉は美味なのだ」

カチン。

また、ナイフが皿にぶつかる音。
その後、小刻みなカタカタという音が暫く続いた。

手の震えが、ナイフの刃先にまで届いている。
押さえがたいそれは、もはや当主の全身を支配していた。

理解が、これまでの認識を一掃した。

充実した食事をさっきまで取っていた。
もうその現実は、存在しない。

前菜。野菜と腸詰めのグリル。
気持ちよく歯の間で弾ける表皮は、粗く挽いた肉を隠し、また見つけさせる。

スープ。骨髄を煮込んで、香草で香り付け。
浮き実は無しのシンプルな一皿が、体温を高揚させた。
次々に眠っていた味蕾が目覚め、鋭くなった感覚が期待し始める。

パテ。肝臓を旨みを残したまま血抜きして、絹のように細やかにホイップしたクリームと合わせたもの。
温かいパンをちぎり表面に載せると、パテは小麦の肌理の中に逃げ込もうとする。
半ばそれを許したところで、もうひとさじ追加し、一口。

絶妙な苦みが、甘い脂の存在感を肯定する。
パンのおかげで余韻は長く残り、かすかに洋酒の風味がした。

記憶を反芻する間、当主の食事の手は止まっていた。
小さく残った肉だけが、ゆっくり冷めて固まっていく。

肉の主の生き物としての死の次に、食事としての終末があった。
あるいは、味わい終わった情報の残滓。

当主の意識が皿の上から遊離する間も、料理人の両眼は、観察を続けている。
仕掛けた陥穽に、相手が落ち込むさまを。

「……メインディッシュはもう充分かな。
では、デザートを」
その言葉を契機として、当主は腰を浮かし、身を折った。

「今更吐いたって」
料理人は、気分を害するでもなく笑う。

「何、これ」

当主の躰の中で唾液や胃液と混じり合ったもの。
それは豪奢な絨毯に染みを作る。

「見ての通りだ。
次が何かと言ったら……。

ありがとう」

料理人は、給仕のメイドに礼を言う。

運ばれてきたのは、背の高いガラス容器に、飾られたひとすくいのデザート。
甘い香りがするコレステロールの塊。

口溶けがいいように桃の果汁で緩めて、雪の中で冷やした。
とろとろの脳。

当主は這いずるように席に戻った。
そこに在るのは誇りではない。
餓鬼道に堕ちた欲望。
食欲ではない。
情報への渇えだ。

当主はなんとか指を制御して、スプーンを持ち上げた。

美しい半球に整えられたピンクのババロアを、ぐちゃぐちゃに崩す。
添えられたベリーが赤黒い血を流す。

当主は容器の縁に唇をつけて、全てを喉の奥に流し込んだ。
70mlほどのどろっとした液を飲み下す間、小さな唇は苦しげに震え、青ざめさえした。
それは賞味する喜びを拒否するための、破壊であり暴力だった。

頤《おとがい》を下げる。
口の端を辿る名残を、三角の舌先が、逃すまいと舐めとった。

「……未来にたかるハエね」
次に唇を割ったのは、嘔吐ではなく皮肉だ。

「ハエの手作りの料理はいかがかな」
怒るでもなく、尊大な料理人は暇な間に作り上げた、ナプキンで折った鳥の両翼を動かして遊んでいた。

「言い直す。
未来にたかる、料理上手のハエ。
これから永遠にあなたは私から離れないんだわ」

解っている。
相手が離さないのではない。
当主自身が離さないのだ。
つきまとう黒い記憶を。

料理人が指を回した。
それだけで、鳥はするりと解けて、ただの布に戻った。

「一人の完全なる消失。
ご満足いただけただろうか」

言葉の終わりを待たず、当主の手が、テーブルに叩きつけられた。

皿が撥ね、グラスが倒れる。
激情を代弁するように、卓上のろうそくの炎が、当主から料理人に向けてたなびいた。
複数の光の矛先を受けても、照らされることのない闇。
白金髪に縁取られた顔貌は、表情を閉ざす。

ただ金無垢の双眸だけが炯々としている。

「身体の中で生き続ける。
そんなことを気にすることはない。

君の免疫系は、君の父上の細胞であっても他者=外敵として完膚なきまでに消し去る。

それで識るといい。

あの男は。どれだけ近くても君とは”他人”だよ。
躰はもう識っている。

証明できたね」

メイドはテーブルの惨状を手際よく処理した。
新しいグラスに炭酸を注ぐと、泡がむつみ合いながら水面を目指す。
すぐに金色の液体の表面が白く濁り、シュッと音を立てて湧いた。

その一瞬に金無垢の輝く影は消えた。

いや、最初から存在しなかったのだ。

当主は、化け物が作るだけ作って、放置した料理と対話した。
舌の上に載せて、味わうことはコミュニケートだ。
本を読み、作者と対話するのに近い。

一方的で時に誤解を含むが、そこに記された情報を吟味することはできる。

だから、当主は夕食のコースの終わりまで中座しなかった。
メインディッシュの最中に、材料が父であることを悟った後であっても。

鍛冶が目を焼かれながら、炎を見極めることを止めない。
それと同じ行為だ。

目を閉じるのは、自己の思想と、相手の理想に対する背信となる。

――これから永遠にあなたは私から離れないんだわ

そして永遠が始まった。

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