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転生したら本気出す

第一話「僕は転生しない」

僕はしがないブラック企業のサラリーマンだ。
目が覚めて終電まで働いて倒れるように眠り、また目が覚める。
灰色の毎日。
でも、特に変わりたいとも変えたいとも思わない。

だって、それを成し遂げるには、本気を出さないといけないじゃないか。

僕は本気を出したくない。
疲れるし、喜んだり悲しんだりしなければいけないし、失敗たら努力なんて全部無駄だ。
万が一成功しても、次のことを考えなければならないし。

そんな僕を、周囲は苔のような男だという。
苔は植物でも下等植物に分類される。

たいして役に立たず、意思表示をするでもなく、ぼんやりと同じところにくっついている。
やる気が無い。努力しない。無能。

それが僕の評価だ。

そんな時は、心の中で思う。
転生したら本気出すよ。

これは、”宝くじに当たったら仕事を辞めて、別荘を持って……”と同じくらい、あり得ない無意味な仮定だ。
だから、僕は本気なんか出さず、永遠に苔でいられるのだ。

苔というのは往々にして、人があまり立ち入らない辺りの、じめっとした物陰に生えているものである。
僕もそうだ。人を避けて邪魔にならない場所を歩く。

しかし、そんな世界の片隅に、わざわざ突進してくるものがあった。
大型トラックだ。
道は空いているし、僕はできるだけ歩道の奥を、背中を丸めて体積を減らして歩いていたのに。

トラックはわざわざ、まっしぐらに走ってきて、僕を跳ね飛ばした。

”わざわざ”でないのかもしれないな。
そこに苔が生えているか、気にする人はいない。
運転手には僕が、見えてさえいなかったのだろう。

そんなことを、激痛と黒い斑が増えていく視界の中で考えた。
耳の下で、冬の風が痛いほど冷たく、叫ぶように鳴っている。
無意味に首から解けかけたマフラーを、僕は空中で掴もうとした。

指先に布の感触を残し、やがて目の前は完全に真っ暗になった。

目を覚ましたとき、天井は白かった。
瞬きを繰り返す。世界に色が、滲むように戻ってきた。

僕は清潔なベッドに横たわっている。
意識を失う直前の、身を砕く痛みは、不思議に全て消えていた。

「よかった。目が覚めたんですね」
枕元から覗き込んだ顔に、ゆっくりと焦点を移す。
金髪碧眼。外国の人だろうか。
医療関係者の雰囲気ではない。
どこか浮世離れしている。

……なぜ、僕はそう思ったんだろう。

僕の身じろぎに、相手は声を柔らかくして続けた。
「怪我はないのに眠り続けてて、心配していました。
待っててください。今、スープを温めてきますね」

踵を返そうとした彼女の横顔に、僕は違和感の正体を見た。
咄嗟に、その手を掴む。
相手の瞳が戸惑いに揺れた。

……まずい。何か言わないと。

僕は素朴な木調の室内に目を走らせた。
そして枕元に丁寧に畳まれた”それ”を見つける。

「寒くないですか!?」
「あ……」

僕は手に取った自分のマフラーで、金髪の少女の頭を、シスターのベールのように包んだ。
「最近の風邪は、側頭部からひくらしいので、温めないと。
助けてもらったお礼です」
「あ、ありがとうございます」

彼女はしばらくもじもじと視線を揺らめかせていたが、やがて、襟元の布地を抱きしめるようにした。

「確かに耳が長いと、寒さはこたえるんです。私みたいにエルフ「すごくお似合いです。一度しか身につけてないんで、差し上げますよ。
ぜひ使ってください」

「……風邪は後頭部からひくんですもんね?」

彼女は真面目な顔と口調で繰り返す。
その後、弾けるように笑った。

これでどこから見ても、彼女はごく普通の、マフラーを頭にかけた金髪碧眼の少女だ。

トラックにひかれた僕は、転生などしていない。
なぜならここにエルフはいないからだ。

第二話「害虫は場所を選ばない」

突然外が騒がしくなった。
「敵?」
少女がうって変わって鋭い身のこなしを見せた。
身をかがめて窓に近づく。
いつの間にかその手には、ダガーが握られていた。

「安心してください。私が倒します」
その言葉が終わる前に、小さな猿のような人影が、窓を破った。

彼女の剣は速かった。
1つの白銀の煌めき。それは、正確に敵の胸を貫いている。

「最近、集落の襲撃が増えてるんです。
申し遅れました。私は、防人をしています。ラケルと申します」

粗末なぼろ布を纏った子どもサイズの猿のような生き物が、少女の足下の血だまりに沈んでいる。

「これはゴブリンで」
瞬間、それは跳ね起きると、叫びながら彼女に飛びかかる。

僕は近くにあった、革で装丁された分厚い本を両手で持ち上げ、振り下ろした。
嫌な感触がして、相手は平らになる。

「すごい……本で倒してしまうなんて。ゴブリ」
「ゴキブリはちゃんととどめを刺さないと。
1匹いると10匹いると言いますからね」
「確かに。でもゴキブリ? あなたの地方の呼び方ですか?」
「むしろあれの正確な呼び方がゴキブリです」

僕は断固として断言する。
一方ラケルは感心したように溜息をついた。
「専門家なんですね。本一冊で仕留めるの、初めて見ました。
騎士団長でもできないかも」
「僕は専門家です」
僕はそう偽ることに決め、続けた。

「ゴキブリとその倒し方を広めてください。
よく効くと言われているのが氷温、熱湯、そして物理的に潰すことなんで、周知をお願いします」
「氷温熱湯は勉強になるけど、あなたみたいに潰せる人はいませんよ!」

「そうですか。僕の地元では、丸めた紙で叩く人もいましたよ」

僕はさらに侵入してきたもう一匹に向けて、本を振り下ろす。
腰くらいの身長があるゴキブリは、厚さ3mmの、床に貼りつく染みになった。

「とんでもない地元……」
ラケルは一度眉根を寄せたが、
「いえ……あなたの強さに納得できました。世界は広いですね」
「でも1つです。つまりここは異世界じゃない」
「……? はい」

ゴブリンなんていない。
なぜなら僕は転生していないし、ここは異世界ではないからだ。

(続かない)

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