私の漫画ログ2

前回からの続き。

私は幼・小・中学時代・社会に出てもといじめやパワハラなどを受けてきたその際のもはや虐められエキスパートみたいなもんで人の感情などを読み取るのが顔や声を聞くとほぼ分かってしまう妙な直感力を身につけてしまい…中々にしんどかったです。

中学時代不登校や保健室登校を続けながらノートに漫画を描いていました。
その頃は不良だった姉と同じ部屋だったので姉のヤンキー彼氏が部屋に来るたびに追い出されなんか詫びしい毎日でした。家でも。
姉がヤンチャなヤンキー女だった頃は意味もなく
「ちょっと…平手打ちさせて?」
と言われ
「は?嫌だけど」
普通に当たり前に嫌だったので断ったが
「…頼む!ちょっとさ、顔に本当に赤い手形の跡がつくかどうか試させてよ」
という大変訳のわからない実験平手打ちを思い切りバシンとされて私の頬に真っ赤な手形が残ったこと許さない。
姉妹のことだから仕方ない。姉は後、私に
「ちょ、怖いからピアスの穴を開けてくれ」
とピアスの穴開ける機械を持ってきて私に開けさせた。自分でやれや。
姉の腕にはタバコによる根性焼きがいくつかあるほどなのに何でピアスはできんのよ。
後、タバコを部屋で吸うな。臭くてタバコが大嫌いになった。

そういうこともあり一時期漫画は早朝に1階のトイレに篭り眠い目より描いていた時があった。今では考えられない。私が早起きなんて。
アホかと思われるが落ち着ける場所は家の中になかったのであった。
トイレの便器の蓋を机代わりにしていた。洋式に感謝である。和式ならできない。
家族のめがあると中々かけないから姉にバレないよう同じ部屋でも机の引き出しに頑張って隠したりした。

ある時リボンの投稿コーナーで何となく投稿したいなー…。でも道具がないわ…。
と思い諦めていたが、中学の卒業と共に私の誕生日が3月の末近くなので父に
「誕生日プレゼントで漫画の道具を買って欲しい」
と言った。
父は
「漫画の道具?それどこにあるんだ?」
と言われ
「え?多分画材屋だよ」
と言い、父が何とか調べて岡山の岡山城近くの店まで車を飛ばしてくれた。
初めて画材屋に入った。当然ごちゃごちゃと道具やら絵具や紙にペンと色々なものが並ぶ中…トーンのコーナを見つけ、その種類の多さに私のめがキラキラしてきた。
これまでリボンのよくある初心者向けの『漫画を描いてみよう』とか、漫画家が出してる『私はこうやって漫画家になった』とかに本を読んでいたのでトーンやら漫画を書く道具などは知っていた。
しかしトーンて結構高いなと親の小遣いをもらってる身分の私は画材て高いなとひしひしと考えていた。漫画の道具一つ一つが地味に高いではないか。

そうして見ていたら…何と初心者用にセット売りしているものを発見した!
原稿の紙とつけペン、Gペンと丸ペンとインクと簡易なトーンセットだ。
むむ!これは!
と思い父に頼みセットのが幾らかはマシだったのでそれにさらにトーンコーナーの柄のトーンをいくつか選び
「誕生日だし頼む!」
と押し通して私は漫画の道具をまんまと手に入れたのであった。

しかし私は左利きであった…。
当時左利きの漫画描きは右利きよりもペンを扱う難易度は高いと知識で知っていて実際私もとても苦労した。
しかしどうしても投稿して見たかったのでノートにネームを描き…
とうとう漫画セットの原稿用紙を使い…リボンへ初めての汚らしい漫画を送った。

あまり内容を覚えていやしないが悪魔と天使の女の子が出てきて一人の男の人生を左右するという変な話だったと思う。

結果はもちろん…最低のC賞だったけど自分のペンネームが載っていることに感動して
「おおお…」
とか変な声を出した。
当時漫画を送るものは少ないし同世代でこんなに上手い子が賞を取ってデビューしているなんてと思い凹んでいたが応募者も少なく送れば全員の名前が雑誌に載るのでまぁ最初だしなと思ってた。
数ヶ月したら原稿は評価アドバイスと共にプロの原稿の見本コピーやリボン特性の応募原稿用紙がついてきたので(当時のリボンは太っ腹である)
次からはそれに描くことにした。
こんな汚い漫画にきちんと評価してくれてるのだから集英社がいかにすげえか、わかるだろう。


白黒/web漫画描き/3月29日生/O型/サウスポー 漫画のお仕事ください…。