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学生時代②

高校は男子校で知ってる人がゼロの環境。校則は厳しくて今で言う体罰?は日常的に行われていて規律もあった。とにかく地元から逃げたい一心で飛び出してきたから、何がしたいとかもなかった。でも何となく流れが変わる気がしたのを覚えてる。

担任はめちゃくちゃ怖い先生。何に使うか分からない竹刀はいつも持ってた。返事はYESしかない感じやったけど、ちゃんと個人に向き合ってくれる先生でもあった。ある放課後、トイレ行って帰ろうとしてたら、竹刀持った先生と鉢合わせ。部活する気あるんか?→いや〜モゴモゴ→体操服に着替えて体育館に来い→えっ、、、あのー。→早くしろ!!の流れ。断れないので体育館に行ったら、バレーボール部が活動してた…。挨拶しろ、って言われた後、入部希望やからって説明された。ドラマのような展開で入部する事になった。

家に帰って親に運動部に入る事になったって報告したらまたも大反対。でも断わるの怖いし、中学時代の事もあって文句あるなら担任に言ってと突っぱねた。理由が何であれこんな自分でも誘われた事は率直に嬉しかった。兄は中学から同じ競技をしていて色々言われたが、見返す機会だとも思った。

部活はきつかったし休みもなく体〇もあった。ここで竹刀を使うのか!!と気づいた。先生怖くて退部者が続出。1年上の先輩はゼロになってた。そんな状態なので誘われた訳やったけど、夏にはバレー初心者ばかり身長160センチ台が8人だけの部活になった。で、パスとサーブがちょっと出来るくらいですぐに試合にも出れた。それから何故かキャプテンにも抜擢された。何かが変わったと感じた…けど、家では相変わらず「お前が?」笑の状態やったから、何も話さなかった。しごかれたおかげで体力もついて3年間で試合に何回か勝つ経験も出来た!先生に「僕は運動神経が悪いです。」と言ったら「運動神経が悪いんじゃない、鍛えてないお前が悪い!」と怒られたけどその言葉がすごく自分に残ってる。そんな高校生活ですごく充実してたけど、毎日地元、お家に帰らないとダメな事は苦痛でしかなかった。

勉強は出来なかった。大学進学は絶対無理なレベルで親は就職先を探してるって毎日言ってた。浪人経験の兄も同じで大学は無理やから諦めろって声しかなかった。悔しかったけど学力はなかった。竹刀先生は部活動のアピールをするから推薦に賭けろって事で繋がりのある大学を受けさせてもらえる事になり、適当な小論文で奇跡的に合格した。親と兄の期待を裏切った初めての事やった。Fランでも現役合格したんだ!学校の半数が浪人する時代でもあったから。

大学は通いやった。バイトをして、恋愛して、体育会系クラブで全国大会にも出た。きちんと単位も取った。家にいる事が少なくなり、自己完結出来る事が増えたことがよかったのかもしれない。

ただ内面的には気性のコントロールが苦手な面が影響してバランスが取れていなかった。いわゆる大学デビューってやつを演じるあまり、内面をさらけ出す事が出来なくなってて、お付き合いする彼女には共通して「考えてる事がよく分からない!」っていつも言われてた。イジメのトラウマで入り込まれることを極端に避けるからそりゃそうなんだろって今になって思うし、今でも怖いみたい。でも仲間には恵まれてたと思う。バイト先で仲良しグループができてすごく嬉しかった。色んな話をしたり遊びにいったりはいい思い出。大学は濃い4年でいっぱいあるんですけど、色んな経験が財産になったって事くらいで終わっておきます。。。またの機会に。

就職〜社会人編へつづく

photo:沖縄の海。キレイねぇ〜



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