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教師になったのは。

祖母について書くにあたり「祖母」ではなんだか味気ないので、80歳になったあたりで要求された「下の名前で呼んで」を尊重し、”トモコさん”でいこうと思います。

今回初めて知ったのだけれど、トモコさんは女医になる予定だったらしい。

15歳で終戦を迎えたとき、トモコさんは高等女学校に通っていた。そこで先生に

「ちょっと学校で手伝いしないか?」

と言われたのを真に受け、”ちょっと”のつもりで学校(尋常小学校)に出向いた。

当時、教師という職業は「官費」だった。つまり、生活が国費で保障されていたということ。そのため、当時も優秀な人が就く職業ではあったものの、農家や貧しい出自の生徒を、校長などがリクルートする形だったという。また、当時のトモコさんの印象として、女性教師には独身が多かったという。

学校に行ったところ、子供たちから「先生!」と言われ、15歳のトモコさんは仰天してしまった。

1947年に小中高大を基本とする教育法が制定されるまでの、ちょうど狭間の時期で、さらに、戦争に駆り出された男性教師の不在により、終戦直後の教職は人材不足だったのだ。世間は先生を必要としていた。


自分の進む道も決めていたし、教職は先述のような人がなるもの、と単純に考えていたトモコさんだったが、結局そこから45歳くらいまで教師でいることになる。

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