ブログ投稿するにあたって

今日、なんとなくブログの毎日投稿をしてみようということを思い至った。なんとなくブログを投稿してもなんかさみしいので、ブログをやる意義を今回は考察してみようと思う。

人間としての「能力」の高さとは?

人間として「こいつすげぇ!」と思われるような「能力」には何があるだろうか?学問の世界の最先端を行く学者は、かっこいい。世界ランク一位のスポーツ選手には、尊敬を抱く。そんな偉人達じゃなくとも、友達や先生など、僕が見習いたいと思える人は多い。そうした彼彼女らの中で、ぼくが「こいつすげぇ!」と感じる「能力」をもつ人達には共通の基準がある。大きく分けて二つある。

一つ目は、「能力が基礎的・本質的・応用的」であるか、ということである。基礎と応用は矛盾する言葉ではないと思う。基礎がしっかりしているから、多方面に応用が利く。例えば、スポーツで「バットを振ってホームランを打つ能力」というのは野球選手なら誰もが憧れるだろうし、その能力が高ければ様々な舞台で活躍できるだろう。しかし、これよりも「基礎的・本質的・応用的」(と僕が考える)能力がある。それは「自分の思った通りにバットが振れる能力」である。これは、自分の思った通りとあるように、ホームランを打つためのフォームを自ら意識してそれを実行できる、結果的にホームランが打てる能力であるともいえる。そして、自分のを思い通りにフォームを動かせるのなら、例えばヒットを狙うフォームも意識して実行できると思える。

二つ目は、「その能力がどれだけ日常的であるか」ということである。例えば、スポーツでもマイナーな乗馬とかはあまり日常的ではないかもしれない。一方で野球やサッカーは競技人口が多く、テレビでもプロの試合が見られるし、体育の授業でやったりもする。日常的の最たるものといえば、日常的な歩く・走るなどの運動動作であるが、ダンスなどは競技人口や市場規模に対しても、その体を使った動作がとても日常的だと、僕は感じられる。バレエやパントマイムの技術などは、個人的にすごく興味を惹かれる能力なのだ。でも体操競技の選手なんかはあまり日常的とは思えない感じがして、あまり魅力的だとは思わない。なぜなんだ俺。思いっきり個人の偏見です。ごめんなさい。

ほかにも、感情とか情熱とか信念とか素直さとかの性格の部分でこの人すげーなーと思う事も勿論あるのです。上記の話は能力に絞った話であります。最近は、能力が高いだけじゃあんまり尊敬したいと思えないんですけど。

ブログと人間の「能力」の関係は?

特に人間の能力の中で、上記二つを兼ね備えたものとして、「書く能力と話す能力」というのがあると思う。特に自身の一流スポーツ選手のプレイやフロンティアにいる学者の思考は、専門性は高く興味深いものである。しかし、それを「わかりやすく説明する」能力も高い人、つまるところそれを面白く書いたり話したりできる人は本当に魅力的だと感じる。具体例としては、喋りのプロとして島田紳助、自身の分析を軽妙な文体で書く社会学者のドラッカー、スポーツ選手で理論派の選手はイチローくらいしかもいつかないが、その周りの、例えば羽生結弦のコーチだったオーサーコーチや青学の原監督などである。全員好きであり、尊敬する。

ブログを書けば彼らのようになれるのかというと甚だ疑問ではあると思うし、自分でもそう思うが、ブログは確実に、間違いなく書く能力を養ってくれる。だからブログをやってみるのは良いかななんて思った次第だ。それだけが理由ではないが。やっぱ書く能力は、人類がみな書く作業をする意味で日常的だし、基礎的なのは間違いない。書く能力に乏しいと日常的に自分の意志や意見を表明する手段を一つ失っているのに等しいといえるのではないだろうか。応用においても、例えば、書く能力、ここでは文章執筆の能力は、小説を書いたり漫画を描いたりするのに役立つし、論文を書いたりもできる。広告を書くのにも役立つし。(←これが実益的で大きいと思う。)書くことで、思考の整理やアイディアの創出(←これはまた別の「能力」)にもつながるのではないかと思う。

自戒:これからブログを書くときの注意点

っとこんな感じでお気持ち表明しつつブログを書いていこうかと思う。

そのときの注意点は以下。(増やすかも)

1、文章はできるだけわかりやすく書くつもりで

2、自分が面白いと思うものを書く。

3、一日一記事書くまでは寝ない。

1、に関しては文体や文章構造、レイアウトなどをうまく学んでいきたい。2、は自分が面白いと思うものを毎日発見していく意思の表明である。3、は根性。こんな感じで日々やっていきたいと思うのであーる。


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