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自己肯定感☆超絶低かった私が、めっちゃ変わった話

DMで、とある方に、自己肯定感の上げ方ってどんなん?って聞かれたので、
パッションの赴くままに書き連ねたらおもいっくそ長文になってしまったので、
こちらにまとめました。

本来は、その方に対する返信なのですが、
もし興味がある方は、
『自己肯定感が低かった人間がどうやって変わったか』の一例としてどうぞ。

とりあえず、

「〜ぼくの自己肯定感のおいたち〜」から始まる長編なのですが、
ここは読み飛ばしてオッケーです。
「〜現夫との出会いで変化が〜」もまあまあ長いので読み飛ばしてオッケーです。
現夫は私を丸ごと愛して受け入れた、ってことの説明で、ほとんど惚気に見える…

『オッ、自己肯定感が芽生えてきたぞ』
だけ読めば言いたかったことは伝えられる…
と思う…
勢いのままなので乱筆乱文ですが、
ご容赦下さりませ。


〜私の自己肯定感のおいたち〜


3歳差の弟(病弱)と完璧主義の母親の元で育てられました。
物心がついたときには、病弱で甘えん坊な弟の世話にかかりきりになる母を見ていました。

弟を寝かしつける母の背中を見て1人でねんねしてたおりこうな幼児でした。
私もお母さんにだっこされて寝たいなと思ったけど、叶うことはなかったです。

とはいえね、
弟が生まれる前は両親を独占していたのよ。
残念ながら2歳の記憶なんて残ってないのよ。
私が記憶してるのは、
寂しさと弟に対する悔しさだけです。悲しい。

とにかく、子供の頃から、
親から甘やかされる、認められる、褒められるということが全くなくて。
自己肯定感と親との信頼関係が築けないまま成長します。あとで爆発するよ\(^o^)/

6クラス構成の学年で5位以内の成績とっても『何故1位じゃ無いんだ』と真顔で言う母親でした。褒めて欲しかったなあ。
いつもむっつりとしていた母を喜ばせたかったのです、だから頑張った。

それでも、子供だからか素直だったので
『私が母親から認められるにはもっとたくさんの努力が必要なんだ』
と頑張ってました。健気だね。

が、現実にそこまで努力を続けられるタイプではなかった。限界はあります。
にんげんだもの。
「餌」がなく努力出来るタイプもいますが、私はそうじゃなかったと思います。
「親からの承認」という餌が欲しかった。

そうやって私は、
成長ともに、自分の限界を知ります。

『私は努力しきれない、能力が低い人間なんだ、ダメなやつだ』

自己肯定感低い土台がしっかりと出来ました。小中高あたりですね。

完璧に近づかないとダメ、
努力しないと認められないと言う思い込み
→それが達成できない自分はクズ

という思い込みが出来上がったんです

これの恐ろしいところはですね、
他者に向ける目まで変わるんですよね。

優秀な人は心から尊敬できるけど、
そうじゃないように見える人を、
内心すごく馬鹿にしてました。

この価値観は30過ぎまで私を縛り、
結果的に、自分の生きづらさにも直結してました、思い上がりと短慮、恥ずかしい限りです。


ちなみに高校でブチ切れて家を出て、
やっとのびのび過ごせるかと思いきや。
年上のクズ男に引っかかって搾取されるという、完全にダメなパターンでした。

それまで親に対して我慢してたものが、
ついに反抗期で大爆発したんですよね。
何しても認めてくれないんならもういい、
好きに生きてやる!って。
極端すぎる。
そこにつけ込む悪い大人と出会ったことでまた自分を傷つけました。

自己肯定感が低かった故に、男から不当な扱いを受けてもはねのける力が皆無でした。
自分のような女だからそういう扱いを受けてしまうんだ、と心のどこかで諦めてた。

それとは別口に、自分の心身を「男を介して」痛めつけることで自傷してた側面もあったと思います。(あくまで私の話です)

自己肯定感が低いとこうやって他人から搾取されやすくなります。私がそうでした。

モラハラやパワハラクソ野郎に目をつけられやすい、なんてのは大きなデバフなので、
是非、自分を守る力として自己肯定感を育んで欲しいなあと。
男女問わず必要だと思います、自己肯定感。

〜現夫との出会いで変化が〜

そんな私が変わったきっかけは、まあ、
現夫のおかげでございます。

「理解ある彼くん」が支えてくれたから…系とは少し違うつもりなので、
読むなら最後まで読んで欲しい…
けど面倒ならば「親でもないのに私のことを丸ごと受け入れてくれる存在と出会ってしまった」ってことです。恋人じゃなくてもいいのよ、お友達とかでもいいの…親でも…あなたのことを信じて好きだと言ってくれる人ならば。

話を戻して、馴れ初めから。

自己肯定感低いロード爆走中の私、
現夫と知り合い、好意を寄せられるように。

ソシャゲ友達から始まったので、
最初はお互いの顔も知らなかったんですよ。
もちろん私は男として見てなかったです。

が、当時25歳の現夫、仲良くなればなるほど
まっすぐで深い好意を向けてくれる。
恋愛としての好意を知らんぷりしてかわし続けるのも限度がありました。

なので、いっちょ幻滅させたろうと。

というわけで、
おいたちや、婚歴、価値観や、本音の数々、
男性遍歴や汚いところを含めて全て話して、
自分はこういう人間であるから、
あなたの好意に値するような人間ではない、
今まであなたのまわりにいなかったタイプの女だから君は惹かれるのですよ、
そして私がなびかないから、
逃げると追いたくなってるのですよ、
と懇々と説きました。

なにせ、
男はこりごりだと当時思ってたので、
遊ぶつもりも、
遊ばれるつもりもなかったのです。
だから幻滅させてやろうと。


男性遍歴なんか当時酷かったのです。
前夫との離婚後に、女としての価値が私にはもう無いのでは、という焦燥感や寂しさを解消するために迷走してボーイフレンドが複数いる時期がありました。クソ野郎です。

ただ、現夫と知り合った時には色恋沙汰にもうんざりしてて、あらゆる関係は精算していたけど、自分の欲のために誰かの時間や気持ちを利用していた(遊びであると相手にちゃんと伝えてはいたけど、それでも)クズには変わりないので、そういうのも全部話したんですよね

嫌われたかったから。

結果は私の負けでした。
全て聞いたところで、別に私への気持ちは変わらないとのこと。ハァ?!

いやおかしくね?
普通、そんな貞操観念ゆるくてバツイチで8歳も上の女にそんなに惹かれる?
遊びだとしてももっとサクッと遊んでくれる人いるよ?重い年増に手を出そうとするのなんなの、こわい!

いやコレもう実際会ってただのくたびれたアラフォー女だと分からせればいいのかな、と会っちゃったのが運のツキでした。
ほだされてしまった。

想定してた以上に、真面目に好きになってくれてたんですよ、ごめんね疑って。

と言う経緯でお付き合い(からの結婚を果たしました。)

過去を全てを知ってる相手である、
と言うのはかなり新鮮でした。

過去の恋人には、
取り繕って「見せたい面だけ見せる」と言う付き合い方しか知らなかった私は、
(何せ自己肯定感が低いので、少しでも相手に幸せやメリットを与えられるように努力し続けねばならないと思っていたのです)

最初から取り繕うものがなく「自分をさらけ出した状態を好きだと言ってもらう」のは初めてだったんですよ。

素のままで受け入れられる、という基本的なものを親とかに教えてもらえなかった私にはカルチャーショックでしかなかったです。

加えて、現夫はかなり私に甘いです。
夫本人のおおらかさもありますが、
私が妻として至らないことがあってもそれを責めたりすることは一切なく、いつもニコニコと菩薩です。
惚れた弱みなのか!?
元夫がかなりのモラハラだったのを差し引いても、結構びっくりでした。

仕事が立て込んでて部屋が汚部屋でも、
「俺、気にしないよ」
結婚後につわりで家事が何もできなくても
「大丈夫?俺何すればいい?○○ちゃんは寝てていいから」

いつもこんな感じなので、

私は、いつの間にか、
頑張らなくても愛してもらえる、
私というだけで好きになってくれるんだ、
と、知ることができました。

というか、
逆に考えたら欠点美点両方込みで人を好きになることなんかよくあることなんですよね。
私だって誰かを愛する時、そうしてたんです。

意識高く努力し続けられる人って一緒にいたら息苦しくなる面もあるし、ちょっと抜けてるところって、他人ならば愛しく思えたりしますよね。

だから私が誰かから、欠点美点丸ごと好きになってもらうことだってありうるわけなんですよ…って気がついたのが30過ぎ。遅い。

オッ、自己肯定感が芽生えてきたぞ


家事、料理や、掃除や、セックスや、気遣いや、男を立てるetcと言うことをしなくても愛される、ただ私という人間が好きだと言ってくれる、受け入れてくれる男、
私にとっては人生初だったんです。

何かを差し出さなくても、与えてもらえる…
これに近しいものは親子間ではよくあることですよね。無償の愛、的な感じです。

こういう話の流れでこういうこと言うのは
台無しなんですが、
仮に、現夫との関係がどこかで終わることになったとしても、
『世の中には、私をまるごと受け入れてくれた人がいた、まだいるかも』って認識が、
今後一生、私を支えてくれる大きな柱になったと思います。なってます。

私は、ただ生きてるだけでいいんだ、って認識が自己肯定感の始まりでした。

それが芽生えてからは、

『ああー、今日は子供の世話してたら一日中、家事何も出来なかった…ご飯もレトルトカレー温めるくらいしか出来ない、私はクズだ』

と思った次の瞬間に、

『いや、待てよ?仮にこの内容のツイートをよそのママさんがしてたらどう思う?ただ単純に(大変だったんだね、お疲れ様…レトルトカレーいいじゃん、罪悪感抱かなくていいよ!)って思うよね?』

即座に切り替えられる図々しさ…
じゃなかった、
自己肯定感の強みを実感しております。

自己嫌悪からの反省→次は頑張るぞ!ってコンボがきちんと決められるタイプなら、
内省や自己批判を改善する努力に繋げられるので反省も大事なステップですが、

自己嫌悪からの反省、自己嫌悪、切り替えがうまく出来ずに辛いまま、の負の鬱ループに入りがちの私は「そういう日もあるさ、私なりに頑張ったじゃない!」って考えるのをやめます。

問題ごとって、何かしらの策で解決できるものばかりではなく、時間が経つことでしか解決出来ないものもあって、そういう問題に対してクヨクヨするのは建設的ではないので、
強制的に「悩むのはやめ」ってシャットアウトするのも必要だと思うのです。
反省したり、鬱々した時間がたくさんあったからといって、必ずしもそれが解決に繋がるわけではないからなあ。


自己肯定感低いマンは、
自分を責めたり否定したくなった時に、
是非『同じ行動を赤の他人がしてた時にそんなに厳しくジャッジするかい?』を基準に加えてみるのをおすすめします。
だいたいは、しないと思うので。
だいたいはね。

なぜだか自分に厳しいんですよね。
自己肯定感低いマン。

自己肯定感低いマンは↑をやってみるだけでも自分に対するバイアスの強さがよくわかると思うんですよね…。

自分に対するバイアスの見直しと同時に、
現実に出来た(出来てる)こと、
事実を適切に評価することが大切かな〜と。

少し話が変わるのですが、
自己肯定感低かった頃、
物事に対して0か100か、という二極化思考をしがちでした。
正義か悪か、正しいか正しくないか。
出来るか、出来ないか。

ですが、物事は多面的です。
人間の悪いところと良いところだって表裏一体だったりします。

私で例えると、
「好奇心が強く、
色々な物事に関心を寄せる」
私の性質は、

悪く言えば、

・飽きっぽい、
・むこうみず、
・ひとつのものごとに深く打ち込めない、

と同義です。
どう見るかでしかないというか。


なんか、
パッと思いつくだけでも色々あって

誰にでも優しい⇆八方美人に近い
気が強い⇆芯がある
気が弱い⇆人に合わせるのが苦ではない(?
無趣味⇆生きてくことに省エネかも
話し下手⇆余計なことを言わないのは才能です
話し上手⇆場の注目を不必要に集めがち
グルメ⇆エンゲル係数高くなりがち
非グルメ⇆危機的状況でも生き抜けるぞ

だいぶ雑ですけど…
あなたにとっては欠点や弱点でも、誰かにとってはそれは美点になることはあるんですよね〜ってことが言いたい…

社会という集団において、
個人レベルでの有用性が必ずしもイコール社会での有用性にならないと思うのです。
サッカー選手だってポジションを分けるし、
サッカー選手を支える裏方さんだってそれぞれ役割があります。
全員がサッカー出来ないといけないわけじゃない。その人の役割が適切な場所で発揮されて、初めて「サッカーの試合」が出来る、
というのはまさに社会の縮図と同じでは。

完全無欠の美点である、
ってことは実は少ないのでは、と思います。
美点と欠点は表裏一体だと思うのです。

だからこそ、自分のことを至らない、
欠点だらけだと思ったり、
自己評価を下げるのはもったいないなと思うのですよ。

自分の物差しでだけで、良し悪しを決めるのはもったいないと思うのです。

誰かに褒められたことは、
きっと私の美点なんです。
少なくとも、
褒めてくれた人の中ではそうなのですから、
ありがたく、ストレートに受け取ることにしました。自己肯定感高いからね。
そーおー?ありがとう!ってニヤニヤしちゃう。

自己肯定感低い時は(この人は私を褒めることで何か対価を求めてるのではないか)とか要らんこと考えてたけど、いやほんと素直に受け取ってよかったよ😂

もちろん、人として努力を続け、
よりよく生きることは大切だと思います。
私とそうでありたいと思うしそうしてるつもり(わたくしのペースではありますがね😤)

ただ、こういう人間になりたい、という目的を決めるのには、まずは自分がどういう人間なのか、どういうスタート地点なのか、正確に判断するのは大事だと思うのです。

自己肯定感、自己評価が低い方、
本当にその評価は適切ですか?

欠点や美点を他人から教えてもらったり客観視することや(SWOT分析的にね
「自分に厳しすぎる視点」をどうにか捨て去ってみることで、自己肯定感が上がってくるのではないかなあと思います。

そもそもね、このコロナ禍で、
元気に生きてくれてるだけで💮ですよ。

読んでくださってありがとうございます。お気持ちだけで十分嬉しいです。毎日のご飯作り、共に頑張りましょう!