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メダルゲーム福音派とは?

僕は自称でこんなことを掲げていますけれど、具体的にどういう立場かは公開していませんでした。そもそもどういう主張をするかは僕個人の主観・気分によって変わります。そんなのを主義の名前として掲げるのはどうかと思いますが、まあ。

基本方針

  1. 前時代的ゲームスタイルへの帰化

  2. 課金要素に対して徹底的な批判意識

  3. 技術介入を重視

  4. 世界観・信仰の重視(?)

1.前時代的ゲームスタイルへの帰化
ここでいうゲームスタイルというのは主にリスクリターンの話になります。昨今のゲームはKONMAIを筆頭に最大で万枚以上を狙うことのできるゲームがあります。しかし、(リターンの大きさゆえ)これは常にハイリスクなプレイスタイルを強制させることになるので、初期投資を大きくしないととっつきにくくなります。(またこれは新規店舗を開拓する際に大きな障壁となります。)メダルゲームそのものが障壁の高いものになることをなんとしても阻止したいわけです。(私的な金銭・プレイスタイルの問題っちゃそうだけどそういう主義だから)

2.課金要素に対して徹底的な批判意識
メダルゲームというものは自分の「メダル」と「行動選択」にのみによって構成されるべきだという考えがあります。マシンに対して金銭によって直接介入するのはもってのほかということです。
これはメダルゲームというものに対して「競技・実力を試す試合場」というイメージを僕が持っているからです。金銭で有利状況を買うのはそれすなわち八百長と同じと僕は考えるわけです。

3.技術介入を重視
上記の「実力を試す試合場」という主張からもわかる通り、自分の手で行動を見せるからこそ意味があると考えています。それゆえに、自分の意志が反映されにくいシステムデザインは嫌いです。
これをもう少し込み入って話すと、最も大きいのはプッシャーにおけるメダル投入です。スピンやダイノ1~3などシューターを自分で動かすことができ、なおかつ投下される場所、する枚数などを制御しやすいものを理想としています(そうするとダイノは微妙かも)。逆にスマスタとかマーブルとかはさいあk……
(ガリレオはゲーム性を顧みるとあれ意外考えられないでしょ)

4.世界観・信仰の重視
メダルゲームにはストーリー的な世界観が設定されている場合があります。もしくはそうでなくとも、マシンの装飾や音楽なども世界観に寄与しているといえるかもしれません。こうしたものに十分な理解を示し、第一人者同様の知識を身に着け、ゲームをプレイする際は「プレイさせてもらっている」レベルの気持ちで臨みます。世界観に対する知識のないもの、世界観の崩壊を意図するor意図せずとも崩すものは呪います。
(第一人者というのはそのメダルゲーム自体をプレイする人の範疇で、ということです。キャラゲーには適用されないです。)

なんかカルトチックだけど、それくらいメダルゲームの中で好き嫌いがあるということでもある