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【正欲】理解と無理解の狭間を見たのかもしれない。【感想】

あけましておめでとうございます。

2023年の終わりに本屋で見つけた【正欲】に手を伸ばし購入、時間にすると多分半日には満たない程度の時間を使って、日付が変わってから読み終えました。

最初は導入部に惹かれて。
後半はほとんど惰性で。とにかくゴールしなければ。という感じで読んだ。
多分、途中でやめたら翌日は本を開かないと思っていたので。
眠たいなと思いながら、一気に読み進めた。

その時からずっと、これは感想を書きたい。書かなければならない。みたいな謎の使命感と言うほどのものでもない欲求を持て余していたのですが、感想を書くにはもう少し嚙み砕かなければならない。消化しきらないといけない。みたいな、とっ散らかった感覚を整理しきらないと書けない。と思っては、片付けができなくて放棄していました。
けど、私は現実にも片付けができないタイプの人間なので、どれだけ考えて整理しようまとめようと思ってもこれはまとまらないな。と。
そもそも読み返さないと多分まとめられないと思っては見るものの、もう一度この本を読み返してみよう。とはどーしてもならなくて。開くことはできるんですけど、読み進めるのはしんどいなぁって。
だから、某密林さんのオーディオブックにゆだねて耳で聞くことにしました。
で、さっきようやく、結局、最後の方はほとんどやっぱり惰性で聞き流してしまったけど、とにかくにも聞き終えました。
自分がそんなことをしている間にSNSの知人も幸いにして同じ本を読んでくれたことで少しだけ感情が定まりかけたような気もしているので、今しかないという気持ちで書きなぐろうと思います。

ネタバレはするかしないかもわからないので読んでない人は読まないでもらいたい。
私が読むきっかけになった人が「なんの情報も入れずに読んだ方がいい」「読めない人は映画見て」的なことを言っていたので。賛同しとこうと思います。


とはいえ感想になるかすらちょっとわからないけど。

初読の「たとえば~」から始まる文章。その段階で、最初の冒頭部分に私はすごく心が躍りました。
「私がいる」と、そう思った。
だから、これはすごい本だ。と、出会ったことを嬉しく感じた。
そして少し読み進めて、小児性愛に関する事件の話になった時、「こういう話も絡めてくるのか」と思ったし、ところどころに散りばめられたネットやSNSにいる人間には特に身近な現実にいる存在を匂わせるワードにドキドキした。
これはもう私が元来野次馬な性格の持ち主だからだとも思う。

で、この物語がどこに行きつくのか、それぞれの登場人物たちがどう収束するのかを見届けるために最後まで読んだわけなのですが。

多分、このどれかの誰かに「よかった」と思いたくて読んだんだと今になっては思うのです。
けど、読み終えた後に得たものは虚無でした。
とにもかくにも、「答え合わせ」がしたくなった。
しようとしたけど、できなくて川の浅瀬で足がつって溺れそうになり、河原の小石だらけのところに倒れ込めたけど、そこでどうしていいかわからなくなっているような。誰もいない河原の小石になったような、なんかこう、そういう感じでした。
自分の置き場がわからなくなる本です。

こういう感覚になった時、私はほとんどずっと「だから戦争はなくならないのだ」と思っていたのですが、少しだけさっき気持ちがというよりは言い方を変えようと思いました。
「戦争がなくならないのではなく、人は戦争をする生き物なのだ」と。

この本にも、昨今の世間にも、去年の暮れに私がずっと見て今も大好きなドラマでも触れられた「多様性」
私は「多様性」のことをいい言葉、良い認識だと私なりに思っていました。今もそれは特に変わりません。
けど、それが「正しい」かどうかまでは理解できていません。今も。
そもそも、理解なんてできないことが、この本ではわかりました。
私は何も理解できないし、おそらく何もわかっていない。
もうそれでいいです。思考放棄が一番正しい。
人は無理解を殴り合うことでも理解できない。ということが分かった。

なまじ話せる。言葉が使えることに胡坐をかき、「人同士なら理解できる」なんて猿知恵を御大層に掲げたことがもう間違いだったのかもしれない。
野生動物が自分以外を害するのに理由なんてないように、人間もそうで「いい」とする。
それを受け入れる。
他者は他者を理解できないし、分り合えない。わかってもらおうとしない。
どうしようもない『独り』を受け入れることこそが、一番「人」というものを理解し、できるのかもしれない。

知らんけどな!!!!!


よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!