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いちばんすきな花 の最終話を終えて。

普段わたしは基本ドラマをそんなに積極的には見ない。

かといって全然観ないということもない。
括りの話になるが、「ドラマ」が好きか嫌いか、とかもない。
「アニメ」「漫画」は好きだと思う。「音楽」も好きである。けれども、好きじゃない漫画やアニメもある。もちろん、好きになれない音楽も存在はする。
「映画」が好きかどうか。とも似ている。

つまり、括りが大きいって話ですね。

私は日曜朝の特撮時間帯番組(SHT)が子どもの頃からずっと好きである。
ギリギリSHTという言葉ができる前から好き。その周りのアニメ番組もちょいちょいハマってきた人間。
特撮はあれも大きな括りでは、「ドラマ」に属する。各作品ごとに例外はあれど基本映画も存在するわけだ。

けれども、「ドラマ」「映画」が好き。と言った時に特撮映像が真っ先に脳裏に浮かぶ人はまずいないと思う。
最近はシン…系のおかげでそっちの知名度はありそうだが。私はそこ触れてないので何とも言えない。

既に長い前置きになってきたのでぶった切る。
つまるところ、地上波放送の「ドラマ」をアンテナ張ってみるほど積極的には見ない人間だという自己紹介でした。
あ、でも来年の大河は見たいと思う。一話見逃さなければ…。

さて、本題。

2023年 木曜10時系列の秋ドラマ『いちばんすきな花』


の、最終回が昨日放映されました。お疲れ様でした!!!!!

始まりは、バンドリMyGO!!!!!の放送を終えてロスに打ちひしがれていた10月の初旬。
また余談なんですけど、私は秋生まれなのに秋から冬入りする頃の運気が毎年最悪に悪いんですよ。
ロスと最悪運気のせいでメンタルカスカスになってた頃、現在日曜朝に放送中のニチアサ番組の脚本家さんのツイートでこのドラマの感想をお見掛けしたのが、はじまりでした。
製作スタッフが去年秋に放送されて話題を呼んだ(らしい)『silent』と同じ?ということで注目されていたらしい。
私はそっち見てなかったので、そもそもどれに関してもノーチェック。
silentに関しては「あー耳聞こえないヤツ」(言葉選んでないですごめんなさい)ぐらいのミリシラ。
『いちばんすきな花』に関しても、演者さんもほぼほぼ「見たことはある」ぐらいの浅いあれ。
なんで見ようと思ったのか、は先述した通り脚本家さんが絶賛してたから。でしかないんだけど、別にその脚本家さんを特別視してるわけでもなんでもない。ただTLに居て声がでっかい(感覚)から気になったというだけ。しかも最近気づいたんだけど、朝放送時に実況することもあるせいだと思い込んで「やたら出てくる存在感のある人」って認識してた脚本家さんのアカウント、知らん間にフォローしてたから出てきてただけだったから、勝手にフォローしてそんな風に思っててすみませんってめっちゃ思いました。めっちゃごめん。外しといた。

多分放送開始から二週目~三週目の間にその絶賛ツイートを暇してる時に見かけて、暇だし、Tverも入れてるから見てみるか~ぐらいの感じで見始めたんですよ。

で、二話分放送されてて、最初はほんとに軽く流し見のつもりだったんです。
1話冒頭の部分も「あったあった。嫌だったなー」ぐらいのやつで、そのあとのファミレスシーン以降は全然よくわからなくて、でもわからないなりに失笑禁じ得なかったり、「ん?」ってなるポイントがちりばめられてはいて、「なるほどわからんがこういう感じのドラマなのね?」みたいな謎の上から目線で見始めたのに、最初のカラオケシーンのあたりにはもうすでに引き込まれてました。


私は感覚でしか物が話せないタイプの人間なので、「全体構造ガー」とか「カタルシス」とか「象徴~」みたいなことを作品の感想に持ち出されても「なに言ってんのかワカンネェ」ってなるんで、そういうことは言えないんですけど。だから感想が長くなるやつなんですけど。うまくまとめるのも苦手。

『「よそはよそ、うちはうち」をいい感じに言う人初めて見た。』

そう、1話のこのセリフ。このセリフがね、同じ目線。私も今、そういうこと感じた。という言葉や表現が絶妙に出てくる。

序盤は結構、「わかる」も「わからない」も同時に出てくるんですよね。

わかるのに、わからなくて、複雑で、めんどくさくて、ちょっと厄介で鬱陶しいとされる思考やマイノリティの存在感と空気(?)みたいなのが描かれてる感じがあるというか。

でもそれが、複雑で面倒くさい思考してて、厄介でマイナス思考な自分にめちゃくちゃ刺さった。

「ただの間違い探しじゃないの。丸かバツかじゃないの」

今思うとこの言葉がこのドラマと描かれた社会全体の「評価」についての物だったんだなぁと感じます。

私数学不得意とかいうレベルじゃなく苦手なのでうまいこと言えないけど。

世の中には「マナー」とか「常識」とか「普通」とかっていう良くも悪くも都合よく使える言葉があって、その中でそれを使う人に切り捨てられた「普通じゃない」価値観に苦しんだ人に寄り添う物語が序盤は描かれるんですけど、後半に向けてはでも「でも別にそれが不正解ってわけでもない」って風にも描かれている ように私は感じられて。

特別悪い人も出てこないし、かといって誰も悪くないわけでもなくて、誰も善人じゃないし誰も悪人じゃなくて。
ただこの生きづらい世界の中で生きてる人たちを特別感なく描かれている感じが私はとても好きだなって思った。
ドラマ性のあるドラマも好き。おもしろいものいっぱいある。
悪人がいて、複雑なトリックがあって、だれだれが犯人で、戦犯で、こいつがこうだったからこうなった!悪いのはこれ!!
みたいなわかりやすいの。そういうのが好きな人には、もしかしたら刺さらないのかもしれない。
主人公たちの抱えた気持ちや生きづらさ、呼吸のしにくさを「めんどくさ」って切り捨てられる人も多いと思う。
ただそういう苦しさを不特定多数の誰かから

「めんどくさっ」「そんな複雑なこと考えなくても」「気にしすぎ」「気にしなければいい」

って悪意じゃなく善意で言われること、そう言われることを知ってる人に見てもらえると、少しだけ心が軽くなる。

実際まったく「全然コイツ嫌いなんだけど!」「めっちゃやなやつじゃん!」って思う人がいないというわけではないと思う。私はいなかったけど。
なんだかんだ全員社会性があって社会生活の中にいて、人と交流を取れてる人たちを見るだけで苦しい人には向かないかもしれない。
私は社会生活そのものが現状また無理になってるから、こんな複雑な私がわかるものを抱えてるのに、それでも「ちゃんと」生きてる人たちばかりなの本当にすごいし、「さすがドラマ」ってところに落とし込むことで納得しないと溺れそうにはなるんですけど。これは私の問題なだけでドラマとは全く関係ないけど。でも見ててそういうことも感じてやめた人がいるなら、好きで見続けた私もそこには全く腑に落ちたわけではないよとは言いたい。
まあでも、このメンバーの誰かひとりでも引きこもりだったりしたら、作品の空気感とかメッセージ性が変わってくるだろうし、それはそれで別物になっちゃうだろうから。そこ言及しても仕方ないとこではある。

嫌いだけと使いがち。「仕方ない」「普通」「常識」「気にすんな」

「きにしてもしゃーない」言われると腹立つけど、そういうしかないことはある。
そういうのも作中のやり取りで出てきて、そういうところに「あ、そう思うのやっぱり私だけじゃなかった」って感じられて良かった。
まあ書いたのは脚本家さんなんだけど。でもオッケーが出てるってことはそういうこともあるって思う人がいるからだと思うし。
つまり私だけじゃないってことだし。

みたいな。
好きな回は全部で、好きなセリフ、いいシーン、ありすぎて挙げられないんですよ!!
ここがいい!みたいなの。
1話はここがいいし、2話はここもいいしあれもいいしあそこもいいんだよなー!!みたいなのがいっぱいあって、ありすぎて。困るんですよ。細かいとことかも。
誰かと語り合いたくて共有したくて、見始めた序盤はめちゃくちゃ感想漁ったりもしたんですけど、その気持ちは今も変わらないんだけど。

なんかこう、私個人が生きてきた人生の中で幾度となく感じた対人関係での溝やわだかまり、壁みたいなの。私が自分から張ったものも含めて、全部って言っちゃうと拡張表現だけど、ありったけ言葉と形にして提示してもらったって感じ。

全員が「あるある」の中にいて、正解はない。
誰の気持ちも「わかる」し、でも本当の意味で誰のことも「わからない」みたいな。
でもそういう気持ちに静かに寄り添って傍に咲いていてくれる花みたいに、いちばんすきな作品になってます。

書きたいこといっぱいあるのに一切まとまりそうにないから終わり!

シナリオブックの下巻楽しみだな!!!!!

よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!