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【究極の自己開示】オレは何度でも、蘇る【不死鳥伝説】

やあみんな!! こんにちは。
オレの名前は黒スプレー(Twitterではくろ[@black_spray55])。

信じられないと思うが、オレは2023年1月4日から2023年6月17日までの165日間、くろとしてのTwitter活動を休止していた。

noteではあまり書かれない「エッセイ」をオレはあえて書いた。
コンセプトは「究極の自己開示」

本当は表に出すのをためらいたいことも書きまくって、かなり身体張りましたwwww
書いた文字数は、ざっと「25,000文字以上」


基本構成として、第1章は、後の伏線となるために大きく遡ったときのことを書いています。

第2章~第11章までが、今回の無期限休止に至るまでの出来事をいろいろ書きました。無期限休止前もよく続いたなと思いましたよ。

第12章~第19章までが、オレの無期限休止中に、裏でやっていたことを書いてます。オレはおよそ5か月半長期休止していましたが、決してだららんと寝て過ごした訳じゃありませんwwwww

最終章は、オレが完全復活した後と、その後の展開について語っています。

「僕にはTwitterを長く続けられる自信がないよ」という人に、特に読んでほしい内容です。励みとなれば幸いです。

25,000文字を超える長編のため、興味あるところから読んでいただいて結構です。

それでは、黒スプレーワールドを存分にお楽しみください。

第1章 コンサルでTwitter爆伸びへ→しかしトラブルが・・・

自己流で伸び悩みのTwitter人生

オレはツイガチ元劣等生。

2020年8月17日、オレは元々持っていたTwitterアカウントで、ガチ運用デビュー。

時は2021年の年明け。ガチ運用当初は、フォロワー2000人まで"相互フォロー"で伸ばしていた。

当時のフォロワーさんとLINE通話でスポットコンサルしてもらい、相互フォローをやめるアドバイスをされて運用するも、フォロワーが2000人から思うように伸びない日々が続いたのであった。

その途中で、オレは21年4月中旬から6月中旬までTwitter人生初の「計画休止」を66日間したりもしていた(詳細はhttps://note.com/black_spray55/n/ne859b3c00763)。

後に復活し、2021年8月、「realize」というコミュニティが展開されるということで、飛びつくように入った。

コンサルとの出会い

「realize」での文字のやり取りや、Zoomミーティングは当時楽しかった。

あるメンバーの固定ツイートで、noteが貼られていたので見てみた。

noteの末尾で、「フォロワーを伸ばしたい人はDMを」と書かれていたため、DMした。
そしたらZoomでのお話に発展。

Zoomでお話すると、元々DMしたフォロワーさんとではなく、別の人とお話することになった。

そのときに、「コンテンツビジネス」というのを初めて聞いた。

コンテンツビジネスのメリット等をその場で教育され、自分のコンテンツを最終的には持つことになると説明。

まずは暫定的にこの紹介されたコンテンツをアフィリエイトで稼ぎ、売り方を先に覚えるという感じの流れ。売り方に慣れたら、自前のコンテンツを作成して、売って稼ぐという流れを説明された。

その一環でTwitterのアカウントを整え、フォロワーを増やしていくという感じだった。

そのときは、「フォロワーを増やしたかったけど、稼ぎたい気持ちもあるから、これはやってみたい」という思いだった。

そこでオレは誰にも相談せず、一念発起して家族に内緒でクレジット一括で決済して、コンサルを受けることを決断。

アカウント改造開始へ。しかし悲しい出来事が・・・

支払って数日後、コンサルのキックオフとなり、まずは「Twitterのアカウントを徹底的に作り込むこと」を指示された。

さあいざ着手しようと思った2021年9月22日、オレはちょうど休みで在宅中。
13時前、うちの母親から突然電話が来た。

「お父さんが自殺した」

オレは言葉が出なかった。「これからアカウントを改造するぞ」というタイミングだったから。
これが父親が亡くなったのを聞いた直後にツイートした内容。

翌日には父親が亡くなった旨を改めてツイート。

オレは北海道の室蘭生まれで大阪府在住。実家は隣町の登別。

うちの家庭は当時複雑だった。オレは前述のとおり大阪で離れて暮らしている。

弟は元々旭川の方にある上川の消防署で、救急救命士として働いていたが、大事故(第16章参照)で旭川の病院で入院生活を送っていた。

母は弟の面倒を見るつもりで、旭川に居を構えていた。しかし当時のコロナ騒動で面会不可な状況が続いていた。

父は働きながら登別の実家で一人で過ごしていた。ということで、父と母が別居状態であったが、それは決して夫婦仲が悪いという訳ではなかった。

父が亡くなるおよそ2か月前、ちょうど東京五輪の開催中に、オレと子供の二人で旭川に遊びに行った。旭川の真夏の暑さは、大阪と遜色なくてめっちゃビビった。

後半から父も旭川に来て合流。昼間に炎天下の中で旭山動物園を楽しみ、夜には焼肉を楽しんだ。

翌日、早朝に父と一緒に車で旭川を出発して、母とお別れ。新千歳空港へ向かった。空港の途中にある長沼という町の道の駅でソフトクリームを食べた。

空港に到着後は、フードコートで一緒に食事した。そして保安所で別れたのが生涯で最後になってしまったなんて・・・・・


父は風呂場で首を吊って自殺したそうだ。遺書は一切なく、自殺に至った真相は不明。

父が亡くなった翌日の9月23日にお通夜が開かれるため、失意の中北海道へ出発。実家に向かう途中オレはずっと泣いていた。

しかし、父が亡くなったからと言って何もしない訳にはいかない。

飛行機に乗っている間に、事前にスクリーンショットしていたプロフィールや肩書きをめっちゃ研究。

飛行機を降りた後に肩書きやプロフィールを実際に作って、当時のメンターに見てもらったりしていた。

登別の実家に到着してもオレは泣きっぱなし。昼飯食っているときも泣いていた。

有無を言わさずその日中にお通夜。葬儀場にて、棺桶に入った父と無言の対面。本当に亡くなったんだと実感。

2か月前には生きている姿を見ていただけに、目を覚まそうとしないのが不思議なくらいだった。

夜も、一人になってアカウントの改造に励んだ。

翌日9月24日は告別式。そして火葬。オレの父親は遺骨と化した。

葬儀が終わった後も、父親の身辺整理を行いつつ、アカウントの改造や、Twitterの伸ばし方の勉強を行い、新たなヘッダーも頼んだ。

旭川にある母の住みかはどうなるのかと疑問に思った。
弟と面会できる目途が立たなかったのもあり、オレが大阪に戻ってからしばらくして引き払い、登別の自宅に住むことになった。

オレは9月29日に大阪に帰ってきて、改造アカウントの大元が完成に至った。

帰宅直後改造アカウント解放→爆伸びからのトラブル

当時のメンターからは、2日かけてリプ周りを行うように指示された。

でも休みが簡単にとれない状況だったけど、無理を言ってシフト入れ替え成功。10月3日と10月4日の連続で休みがとれた。

そして2021年10月3日、新生くろすぷ(当時のHN)が運用開始。
念のため説明しますが、写真はアカウント改造前のヘッダーやプロフであることに注意。

父親が亡くなった直後に考えた肩書き、プロフィール、オーダーしたヘッダーを実装。コンテンツビジネスを発信テーマで運営することになった。

アカウントはめっちゃ盛況。リニューアルしたオレを見て驚きの声。今までと違ってアクティブ勢からの反応が上がった。

フォロワー数>>>フォロー数なアカウントの人が自ら何人もフォローしてくれたのは、今までになかった経験だったので嬉しすぎた。

反応上々でいい気になっていたら、「あること」をすっかり忘れていた

前述のとおり、コンサル料を「クレジット一括」で決済した。それはあくまで決済がクレジット一括のみ受付可能で、「あとで分割にしてください」と言われたうえで一括にしたためだ。

実際に決済した数日後にリボ払いに変更しようとした。父親が亡くなる前の段階で問い合わせしたら、まだ早すぎてリボ払いに変更できなかった。

その後の父親逝去によってバタバタした影響で、リボ払いへの変更をすっかり忘れていた。

慌てて気づいてリボの変更手続きをしようとしたが、変更できる期限が過ぎて青ざめた。

当時のメンターさんに相談するも、まともに取り合ってもらえず。結局は一括での支払いが確定。

オレの持っていたクレジットカードが使えなくなってしまった。

メンターさんとの関係が断絶。
伸ばし方は教えてもらったが、マネタイズに関しては教わらずじまい。

オレはそれらの事実を誰にも言えず、重い十字架を背負って生きていくことになった。

第2章 オレは発達障害

診断に至るまで

信じられる?
オレは幼いころから生きてて違和感があった。幼稚園に上がって、集団行動を強いられるようになってからオレのズレた考え方や行動が次第に露呈し、お騒がせぶりを発揮。

同級生とのコミュニケーションがうまくいかず、どうしても自分が出せず、心が開けない。度重なる奇行、提出物が期限通りになかなか出せないといったことが繰り返された。

社会人になってからは、コミュニケーションの食い違いにより、仕事がうまくいかないというのがより顕著に表れる。

「何でオレはこんなくだらないミスして怒られることが多いんだろう?」と疑問に思い続けていた。

2ちゃんねる(現5ちゃんねる)であるスレッドを見たときに、「アスペルガー症候群(のちにASDに改名)」という言葉を目にした。

それで「オレもしかしたらアスペルガー症候群に当てはまっているかも?」と疑うようになった。

しかし、どうやって診断してもらえばいいのか分からず、アスペルガー疑惑はずっと放置し続けていた。

その間もオレはいろいろ仕事を転々として過ごしていた。そのたびにコミュニケーション起因でトラブルが絶えなかった。

決め手となったのが2022年7月。
このときは仕事が緊急的に忙しい状況であった。

慣れないことに凡ミスを繰り返し、当時の管理者に追い詰められるように怒られて、答えようにも言葉が出せず、大きな違和感があった。

あまりのミス連発だったので、「辞めさせられるんじゃないか?」という恐怖と戦いながら、精神的に極限まで張りつめた状態で会社に向かっていた。

たまらず、2022年7月12日にTwitterを休止。

「まずい、このままだとオレのメンタルが本気で壊れる」と危機感を持った。
オレはネットでメンタルクリニックを調べた。

そしたら発達障害に関して診てもらうことができることを知る。「これでオレが発達障害であるかどうか知れるビッグチャンスだ」と思った。

いざ診断→その後

ネットでいざ、予約。
しかしその前に、予約段階でネット上で発達障害の診断テストの案内があり、いろいろ答えていった。

何だかオレに当てはまりそうなことばかり・・・・・。「これは確定っぽいな」と薄々分かりつつも答えていった。

予約後も精神状態がギリギリな状態で通院日まで何とか持ちこたえて、2022年7月15日に診てもらいに行ってきた。

病院の中に入ったら、めっちゃ混んでいた。待合中のミッションで、「木の絵」を書かされることも行った。

1時間ちょっと待ってやっとオレの出番と思ったら、カウンセラーの人とお話。概要を案内され、その後先生とお話。

診断結果は、ASD(自閉症スペクトラム障害)が重度、それだけじゃなく、ADHD(注意欠陥多動性障害)も併発しており重度(のちに中程度)。

正直なところ、「大方の予想通り」と言った感じ。でも、ADHDに関しては診断前の段階でマークしていなかった。

これで見えない恐怖と戦わなくてもよくなった。今までだったら訳も分からずやらかしていたって感じだったから。

後付けにはなるが、発達障害起因でやらかしていたんだなと分かるだけでもスッキリとした。

オレが発達障害であるのが分かったのを機に、自分の分家垢を2022年8月の復活と同時に設立。

それがクロ(@black_sprayASD)という発達障害をテーマに発信するアカウントである。
しかし、2022年10月以降は活動していない・・・。

発達障害の診断を受けてからの動向

ここだけ現在の話で進めていく。

オレは毎月一度、メンタルクリニックへ定期的に通っている。

病院に着いたら、ネットを使って何かしらの心理テストを受ける。診察ではお医者さんから、「最近はどうだ?」という感じで近況を聞かれて、そのまま薬が処方されるという流れ。

過去2回くらいかな? 血液検査も受けたことがある。

通院のたびに、「アトモキセチン」というADHD改善のための薬と、副作用で気持ち悪くなりやすくなるので、吐き気止めとして、「ドンペリドン」という薬を毎度処方してもらっている。

本当はASDを改善するためにカウンセリングが必要なんだけど、行けてない・・・・・。

23年の1月時点で、通院歴が半年を超えた。
そうなると、「精神障害者保険福祉手帳」というのを申請できるようになる。

23年初めは平日なかなか休めず、役所へ行けなかったこともあり、4月になってようやく動き出せた。

役所に行って、「精神障害者保険福祉手帳」を発行するための書面を受け取った。役所でオレは「ヘルプマーク」というのも手に入れた。

ヘルプマークというのは、例えばペースメーカーを装着している人、人工関節をつけている人、内臓疾患を持っている人、妊娠初期の人といった、見た目では分からないハンデを抱えていることを知らせるマークである。

発達障害に関してもヘルプマークの対象となるため、欲しかった。
オレはヘルプマークでこんな感じでアピールさせていただいている。

今は優先座席に座る正当な理由を得たので、優先座席に座ることが多くなった。
オレのヘルプマークを見て、過去3,4度電車で席を譲っていただけたことにすごい嬉しかったなあ。


メンタルクリニックの先生に診断書も書いてもらい、くろ復活後の23年6月21日に、「精神障害者保険福祉手帳」の申請が完了。

このままいけば、8~9月頃に手帳がオレのもとに届くことに。

そうなると、一部の公共交通機関で割引受けられるようになったり、公共の施設の入場料が無料になったりするようになるため、生活が楽になる見込み。

また、「自立支援医療」というのも同時に申請。

病院で診察受けると通常は、3割負担だけれど、申請すると精神に関する病に対しての医療負担が1割になるという制度。

自立支援医療が受けられる病院は1か所、調剤薬局は2か所指定できる。

23年7月以降の通院からは、診察代と薬代が1割負担で済むようになるため、費用が抑えられてめっちゃありがたい。

第3章 他人との比較に悩む

22年8月の復活以来、くろ(従来垢)とクロ(発達障害垢)を並行して活動。クロの方を売り出したかったので、あの手この手で認知を得ようとしていた。

9月に入り、テコ入れ策として、リプ周りをクロに全振り。

より効率的に認知されるため、よくリプが入る人にロックオンすべく、リプ周り用のリストもテコ入れした。しかしこの行動が仇となった

リプ周りすることによって、他人のツイートを否応なく見ることになる。リプがよく入る人たちなだけに、ツイート内容は秀逸。

それだけに自分が今までやっていなかったことに気づかされて悩むことになってしまい、精神的に病むことに。

第4章 Twitter突然の休止→引き寄せの法則を学ぶ

オレの破天荒さ発揮!!
オレはリプ周りするごとに他人と比較するようになり、メンタルが次第に追い詰められた。

そして22年9月18日、オレはTwitterから逃げるように突然抜けた。

でもこの後、実はすぐに立ち直れた。立ち直った後、オレは無為無策ではなかった。

実は抜ける直前に、まつちゃん(@Omaoma2140)が、「自己分析」についてツイートしていた。

それまでは自己開示ツイートのネタがなかなか思い浮かばず、悩みがちだった。

内容は、「過去のエピソード100個」と、「これからやりたいこと100個」書くということ。それらを立ち直った直後に書きまくった。

お休みしている間は、まつちゃん含め何人かのオンラインでのお話を何度も行っていた。

前述のまつちゃんはじめ、休止中スポットでツイートしていたんだけど、ゆつき(当時はユザカズ)ちゃん(@yuzakazu01)とめっちゃリプで盛り上がったことがきっかけで、当時表で活動していなかったのにお話が実現。

他にも何人かの人と休止期間中にオンラインでお話ができた。


話が変わり、実は活動休止直前にあるフォローしている人から「引き寄せメソッド」というのを伝授してもらった。

オレは「引き寄せの法則」に興味がある。引き寄せメソッドを行ううちに、引き寄せ力がみるみる上がっていった。

すると、ネットを徘徊していたら引き寄せの法則の本質がめっちゃ詳しく書かれたブログを発見。休止中は、見つけたブログで引き寄せの法則を独自にめっちゃ勉強していた。

引き寄せの法則は、今でもやり方やマインドを研究して、引き寄せの法則の発信している人からも、いろいろヒントにしている。


話は長くなったが、オレは22年10月21日に復活した。

第5章 Twitter復活と思ったらリアル家なき子に

経緯

これはオレにとって極力話したくない内容。
うちはオレ、カミさん、子供の3人暮らし。

詳細は割愛するが、働けど働けどお金が稼げずな状態。毎月の支払いが全然追いつけていなく、生活が破綻状態。

毎月の家賃も支払えていなかった。これも大きな声じゃ言えないけれど、親に家賃を出してもらったこともあった。

実際に家賃を支払う会社から電話が何度も来ていたが、怖くて出られなかった。

オレの知らぬ間に10月末で当時住んでいた家の強制退去が決まっていた。

突然の宣告→ガチで住みかを失う

10月の終わり際から、カミさんが誰かとやたら電話していて騒々しい感じだった。でも真相は怖くて聞けなかった。

22年10月30日カミさんから、「翌日(22年10月31日)業者が片付けに入って、退去されることになった」と突然告げられる。

オレは「ああついに起こりたくない現実が起こってしまった」と落胆。

30日の夜から家の片づけを徹夜で急遽開始。31日の仕事は休むことに。

家の中には不要品がありまくりで、捨てるのも一苦労。全然寝られない状態で翌朝を迎える。その日が今住んでいる家最後という感じはなかった。

昼前に業者がやって来た。段ボールが無数に組み立てられる。不用品は容赦なく廃棄。

どうしても残したいものだけを特定の段ボールにバシバシ入れるという感じで片付けが進んでいった。

これによって今まで愛用していたインターネットとお別れ。Twitter自体は携帯でできるので、超速攻の休止は免れた。

段ボールに入れられた荷物は、差し押さえとなった。最終的に、書面にいろいろ記入して手続き完了。子供が生まれた直後から住んでいた家があっさりと失った。

リアル家なき子→義実家で居候生活へ

昔「家なき子」というドラマがヒットしていたけど、まさかオレが本当に家なき子になるなんて思わなかった。

荷物はスーツケースに詰めたもののみになってしまった。差し押さえられた家財道具は、11月22日までに引き取らないとすべて処分されてしまうという状態。

そうなると、オレが今まで愛用していたパソコンが二度と使えなくなる事態となってしまう。

家をガチで失って、ホテルをとって泊まることに。

その日の夜、義実家から連絡があっていろいろ事情を話した。11/1の仕事終了後以降、ひとまずは義実家で居候させてもらえることに。

たまたまだけど、当時住んでいた家とカミさんの実家は歩いて10分くらいととても近い。

そのため、かつて住んでいた家からは遜色ない生活環境が確保されたのがありがたかった。

第6章 義実家で度重なる修羅場

借金が膨れる

義実家で居候となり、オレの義両親と否応なく接することに。新居を探してもらうことになった。しかし新居探しは、以下のことによって難航を極めた。

うちのカミさんがオレの金と言わんばかりにクレジットカードでいろいろ使っていた。オレの知らない隙に、クレカの支払い代行に手を出しかけていた。

それが義両親のもとに通知されて発覚。このお金は義両親の立て替えによって事なきを得た。

序盤で書いたオレのクレカ未払いの負債も義両親にバレて、義実家が修羅場と化した。

家賃滞納の未払いや、クレカの滞納だけじゃなく、市府税の滞納もある。
めっちゃ膿を出されて、これらは月ごとに少しずつ返していくことで話がついた。

これらのことがあって、新居の審査はなかなか通らなかったが、何とか通ることに成功。

あとは敷金礼金の支払いや、引っ越しの代金も自力で払えない。そのため、こちらも義両親からお金を借りることになった。

いろいろお金を借りることになり、借金の総額が100万を超えることに。

仲のいいフォロワーさんとオンラインでお話して、「自殺しないでください」となだめられたりもした。

正直オレは打ちひしがれて、借金返そうという力が出なかった。でもオレには知恵があった。

「義実家からの借金100万円を返済したいけど、返す気になれない」というジレンマに対して自問自答を繰り返した。

そこでオレは「魂の目的」が明らかになった。それは、

「感謝されること」を黄金律に生きる

である。10月末から11月前半にかけては修羅場の連続だった。しかし、この出来事があったからこそ人生の目的が見つかったと思っている。

引っ越しに向けてと思ったらコロナ騒動の受難

新しい家は何とか確保できた。新しい家の鍵ももらった。

「これで差し押さえられた家財道具が奪還できる。」と喜ぶのは早かった。義実家で新型コロナが蔓延った。

まずは義父が新型コロナになり、数日部屋にこもりっきりの状態。

義理の弟もいるんだけど、義弟の様子がおかしくなった。そしたら新型コロナの陽性で、同じく部屋に数日間こもりっきりを強いられた。

極めつけはうちの子供だ。生まれて以来熱を一度も出すことがなかった。新型コロナが人生初の発熱となり、うちの子も数日間部屋にこもらざるを得ない状態になった。

これによって、引っ越しの日程調整が難航を極めることに。

ちなみにオレは、騒動の半年前22年5月下旬に新型コロナに巻き込まれた。そのときの免疫があったのか分からないが、オレは巻き込まれずに済んだ。

引っ越しできるのか?というピンチを乗り越え、差し押さえられた家財道具を引き取る日が決まった。

当日オレはいたって健康な状態で、差し押さえ先の倉庫に向かうことになった。

引っ越し→片付け

22年11月20日、差し押さえ先の倉庫に到着。倉庫の中に差し押さえられていたうちの家財道具が確かにあった。

他所の家のものの家財道具もいろいろ預けられていた。何とか保管期限ギリギリのタイミングで引き取れて助かった。

そして引っ越し業者が倉庫にやって来た。かなりの荷物の量だったけど、トラックにすべて積み込めた。トラックは新居に向けて出発。

ちなみに新居は、前の家から歩いて2分ほどの距離。子供の学校を転校する必要がなく、なおかつオレが通勤で利用する駅も家を失う前と変わらない。

だから新しい家を見つけてくれて本当にありがたかった。

夜になって、差し押さえられていた家財道具が到着、無数の段ボールが新居に搬入。

という訳で、荷物が搬入されて即入居開始という訳じゃなく、片付けが終わるまでは義実家での居候生活がまだ続いた。

荷物は強制退去時にかなり捨てられたとはいえ、義両親からの指導が入り、必要じゃないものは徹底的に捨てられた。

その中には、オレが大事にしているものまで容赦なく捨てられた。でもパソコン関係は死守。

引っ越しによる片付けでもすったもんだがあったが、22年12月3日、居候先の義実家から新居に住みかが正式に変わった。

第7章 無事新居で新生活→万垢への施策

無事に引っ越せた。めっちゃ嬉しかった。
新居に引っ越して、インターネットが1か月ぶりに復活。パソコンでTwitterやるのがオレの性に合っている。

携帯やタブレットだと操作が面倒くてしょうがなかったからね。オレのパソコンがロストされなくて本当に良かったと思っている。

居候中のときに遡るが、主に夜の時間帯でいろいろ考えることができた。

10月に復活してからフォロワーが思うように伸びていなく、また他人との比較モードに入ってしまって苦しかった。

フォロワーは11月入った当時で8499人。ここから形勢逆転するための「万垢への施策」をいろいろ考えていた。

・スタエフ復活
・1日10ツイートチャレンジ
・フォロワーさんとお話
・Twitter無料コンサル
・サロン加入
・ココナラにチャレンジ

引っ越してネットができるようになったことによって、ついに実行が始まった。

第8章 サロン加入→オンラインミーティングで大きな影響

オレはとにかくフォロワー数1万人に近づきたかった。
この施策は、あるフォロワーさんの無料noteがきっかけだった。その中に「サロンに入る」というのが書かれていた。

で、DMで直談判したら、サロンを紹介していただけた。オレは12月の半ばにサロン加入。

そのとき初めて出席したミーティングで、1か月でフォロワーが1万人以上増えたという凄腕の方が、どうやって伸ばすことができたのかという貴重なお話が聞けた。

そこで得られたのが、

・発信軸
・伝え方

特に発信軸の部分が響いた。そのときに学んだのが、

・好きなこと
・得意なこと
・需要あること(儲かること)

が全て重なったことが「真の発信軸」になるんだということだ。

そのとき思った。「オレ万垢近いけど、フォロワー伸ばすためには発信軸の抜本的改革が必要だ」と。

1か月だけでフォロワーが1万人以上増やすことができるというのが、オレにとってパラダイムシフトとなった。

オレの目指したいフォロワー数は、万垢にとどまらず、10万垢を目指したいと決心した。

第9章 真の発信軸探しへ→ストレングスファインダーで資質診断

後日オレはその方に真の発信軸を探すための極意をDMで直談判した。そのときに回答をいただけた。

自分の強みを理解するために、「ストレングスファインダー」というのをやってみたとのこと。

ざっと説明すると、才能を34の資質に分類し、177個の設問に答えることでどの資質が自分にとって活かせる傾向が強いのかというのが分かるテストである。

オレは自己投資してでもやりたいなと思った。そしたら書籍があった。

だがこの方法は診断結果が全34資質中の上位5つまでしか把握できないことが分かった。せっかくなら詳細に知りたかった。

提供元のギャラップ社のホームページ上で申し込めば、全34資質が何位であるかを完全に把握することができることが分かった。

いざ、診断。回答方法は、"答えA"と"答えB"があって、「Aに強くあてはまる」、「Aに若干当てはまる」、「どちらでもない」、「Bに若干当てはまる」、「Bに強くあてはまる」の五択に答えていく。

ただし、1問にかけられる時間は"20秒以内"。つまり直感的に答えなければいけない。177問答えるのに40分くらいかかったかな? 診断結果はこんな感じに。

第10章 マネタイズしたかった→ココナラを検討

義実家で居候していたときに、念書を書かされた。その際にローンを組んで自己投資することを禁じられた。義父は副業に否定的な考えだ。

こんなんじゃ借金完済に7,8年くらいもかかってやってられない。隠れて稼げばいいだけだ。

第1章で書いたコンテンツビジネスのコンサルがポシャって道が見えなくなったかのように見えたが、今までに有料のnoteやBrainをたくさん買っている。

つまりはノウハウコレクター(笑)。でもこんなにリソースがあるならば、使わない手はない。

オレが持っているBrainの中で、自動収益で稼ぐ方法が書かれたBrainがある。

その中で書かれたアイデアの中に「ココナラ」があった。ココナラのすごいところは、知名度が高いところ。

なのでアカウントをきっちり作ったうえで商品やサービスを提供すれば、Twitter上でBrainをプロモーションするようなことをしなくても、検索によってオファーが入りやすくなることが書かれていた。

そこでオレは書かれていたBrainで勧められていた「ある商品」を作って、ココナラ上で商品を提供していこうと考えた。

そしてこれもBrainで書かれていたことだったが、無料noteで記事を書いてGoogle検索でアクセスを集めて、有料noteで半自動的に収益を得る方法も知った。

そこで、ココナラ販売で得られたノウハウを有料noteで提供して、さらに収益を得て、義実家の借金を少しでも早く返そうと思ったのだ。

第11章 3度目の計画休止へ

計画休止決定に至るまで

オレのTwitterは10月に復帰以来、オレの想像通りに伸びなかった。
ぶっちゃけ「あれっ」という思いだった。
オレはどうにもならず、とあるインフルエンサーにDMで相談。

伸ばし方のコツを改めて教えてもらって、以前に近い感じでフォロワーが集まるようになった。

そしてオレのフォロワー数は、ついに9000人台に入った。

しかし、悩みの種があった。前述の真の発信軸探しや、ココナラ準備がツイート作りやリプ返しに追われて、全然進む気しなかった。

そこで年末にオレは一大決心した。「正月が終わったらココナラ準備と真の発信軸探しを行うために、3度目の計画休止を1~3週間行おう」と。

運命の1.3→計画休止スタート

オレは22年12月31日から23年1月3日まで4日間休みだった。したがって、この4日間はTwitterがやりまくれる期間だった。

で、相変わらず休み中もTwitter活動に追われていて、ココナラ準備や真の発信軸探しは進められなかった。

くろとしてのTwitter活動最後の日となる23年1月3日が訪れた。

12月に入ってからの毎週火曜日は、1日10ツイート上げる日で、3日は火曜日だった。

そのため10ツイート上げる準備は既にできていた。

この日に関しては休みだったので、ツイートが次々とぶっ放される様子がリアルタイムで見られた。

この日の夕方頃、オレは土壇場で運命の出会いをする。

みのりんさん(@minori_kikuhito)という方です。後述の活動休止中にめっちゃお世話になることとなる(第15章参照)。

23時、最後の10ツイ目がアップ。これまでめっちゃ盛り上がっていた中で、Twitter人生3回目の計画休止の声明をこんな感じで上げた。

これでくろとしてのTwitter活動は、2023年の幕開けとともにいきなり休止となった。

第12章 休止中はオンラインでバリバリお話やセミナー受講

という訳で、23年の1月4日からツイートはぱったりと辞めて、隠居生活に入った。

ただし、感想オファーなどの特別な事情によって、スポットで何度かツイートしていた。

今回の休止は、SNS断食が目的ではないため、普通に裏でTwitterを見ていて、サブ垢でめっちゃ裏活動していたwwwww

なので、休止直後にTwitter Blueが導入されたりとか、2月以降大量の凍結処分(「凍結祭り」という表現は使いたくない)が行われたり、ChatGPTが流行る様子もオレは普通に知っていた。

活動休止初期は、購入したBrainを攻略したり、仲のいいフォロワーさんとZoomやDiscordでお話して、オレがいたって元気であることをアピール。

また、オンラインセミナーにも何度か黒スプレー名義で参加。一部のスペースにも、くろのアカウントでしれっと参加していたりしていた。

Twitterを休止したけれど、スタエフは続行。毎週1回の音声配信でいろんな裏話を話していた。

第13章 オンラインのお話で致命的欠点発覚→無期限休止へ

スキルが必要と実感

オレは1月の半ばにある方とZoomでお話した。オレの考えとしては、コンテンツ販売によって稼いでいくつもりだった。

だがそのときのお話で、コンテンツ販売はあくまで"手段"で、安定して稼ぐには「スキル」が必要と説かれた。スキルを得るためのサロンも紹介。

で、そのスキルを得るためにどうすればいいかの概要とか費用を説明された。

オレは正直なところ「ええっ、オレ今こんな大量のお金払えねーんだけど」と思いながら聞いていた。

さあここで混乱ですよ。「やっぱ稼ぐには大量の自己投資が必要なのか?」と。もしそうならばオレは”詰む”ことになる。

現状打開のため、オレは二人にお話のオファーを入れたのであった。

ゆうきさんとのZoom

それから数日後、オレはゆうきさん(@YukiSubsc)とお話をした。

22年の末頃にフォロワーが爆伸びされたことがどうしても気になって質問したりもした。

で、オレには"スキルがない"という悩みもゆうきさんに話した。

そしたら、「くろさんにはTwitter運営やファンを作るスキルがあるじゃない」と教えられて、「オレにも実はスキルがあったんだ」と安心した。

Twitterが伸びない人に自分が伸びなかったときのアドバイスをすれば役に立てられるといったことも教えていただけた。

致命的な自己理解不足

ゆうきさんとお話した数日後、別の方とGoogle Meetでお話した。

その方はフリーランス転向が目前で、どうやってフリーランス転向の目途が立ったのかすごい気になっていた。

実際にお話していき、「どんな手段で稼ごうとしているか?」とか「何のために本当に稼いでいきたいか?」と言ったことを聞かれ、オレはおぼろげながらも答えた。

そこでオレに向かって言ってきたのが、「くろさんは自己理解が足りていない」ということ。

ビジネスをやっている人は、徹底的な自己分析を行ったうえで取り組んでいる旨を言われた。

オレは未熟さを思い知らされた。今のオレには自己理解していくことが急務だなとそのとき思った。

そのために自己理解をするために時間をかけなければならないと強く思った訳だ。

第14章 Twitter人生初の無期限休止

失意の中"shelter"との出会い

オレはまた打ちひしがれた。計画休止時にしようとしていたことがご破算になったんだからね。

自己理解から見直すために、計画休止を撤回して、史上初の「無期限休止」に切り替えることを決心。スタエフの更新も辞めた。オレはTwitterで再び声明した。

無期限休止を行う前に、オレはサブ垢での裏活動中、まなかさん(@manaka_cspt)のツイートをたまたま発見した。

Youtubeに「インプットした内容を覚えるコツ」がテーマの動画が上がっているのを見て、オレはすごい共感した。

過去に上げていた動画を遡り、「人と関わること」に関する動画もオレにすごい響いた。

そこでオレはくろのアカウントでまなかさんに感想のDMを送り、まなかさんに感激された。

オレのDM内容を後日まなかさんがシェアされたほど。そして、まなかさんと相互フォローの関係となった。

その後もDMで何度かやり取り。LINEでまなかさん運営の「shelter」というサロンを知り、オレは加入した。

相談できる人ができたことがオレには大きかった

LINEではまなかさん提唱の自己理解方法として、「自分史を作ること」を教わる。オレには追い風要素があった。それは、第4章で書いたように、「過去エピソード100個」を既に書いていた。

オレは10歳ごとの年表に振り分けて作成。振り返ればいろんな歴史があるなと再認識した。

後日Zoomでまなかさんとのお話が実現。ココナラで稼いでいくロードマップをオレに示してくれたりした。

自己理解の救世主

自分史を作ったりしていたが、他に自己理解していく具体的方法がなかなか見つからなかった。

いろいろネットを周り、名前を上げるんだけど、八木仁平さんのTwitterアカウントを発見。LINEにも入った。

そこで「自己理解プログラム」という存在を知った。LINE加入によっていただけた資料や、八木さんがアップしたYoutubeを見まくった。

ちょっとネタばらしするんだけど、選択基準には「外側の選択基準」と「内側の選択基準」がある。

大切なのは、自分の内側にある選択基準に従って選ぶこと。そして、自分を理解するために必要なことは、

・大事なこと
・得意なこと
・好きなこと

をそれぞれ理解して、本当にやりたいことを見つけていくという感じ。オレがワークで見つけたことを下記にシェアする。

【大事なこと】
実現に向けて行動させる、愛・癒しを与える

【得意なこと】
パソコンやネットを用いて作業する、文字を書く行動する、相手の感情をポジティブにさせる、好きなもの・興味あるものと向き合う

【好きなこと】
鉄道・地理・旅行、SNS・PC操作、引き寄せの法則・自己啓発、お金

第15章 無期限休止後にみのりんさん、まっちんさんとの直接対面、ゆうきさんと再びZoom

みのりんさんとお会いするまで

第11章で書いたとおり、無期限休止1日前にオレはみのりんさんとつながった。

休止後、みのりんさんがLINEのオープンチャットを設立。

LINEから時々インスタライブが開催されるお知らせを見たので、死に垢と化しているインスタに珍しくログインして、みのりんさんのインスタライブに出席。

みのりんさんが活動されているのは、オレと同じ関西。ということでオンラインでお話ではなく、直接お会いしたいなとめっちゃ思った。

だがみのりんさんは、東京とか札幌とか福岡とか全国いろいろ周られる方で、3月にも東京の大崎で集まりを開いたくらい。

インスタライブ後に、TwitterのDMでみのりんさんに感想を送った。

会ってお話したい旨をダメ元で伝えたら、話が進んで、みのりんさんのビジネスパートナーであるまっちんさん(@macchin69)と同席でお会いできる約束が実現。

ついに対面

23年2月19日、某所まで出向き、某大型ショッピングセンター内のスタバでみのりんさん、まっちんさんと直接対面できて感無量。

オレは第1章で書いたコンテンツビジネスのコンサルがポシャって、トラウマレベルに感じて、多額の自己投資が経済的に困難なことを話したりした。

そのうえでみのりんさんやまっちんさんも、オレのTwitterスキルのことを羨ましがられたのである。

インスタライブで「最上志向」という言葉が出たので、ストレングスファインダーのことを突っ込んでみた。

そしたらまさにビンゴで、オレのストレングスファインダーの結果をみのりんさん、まっちんさんにシェアした。

また、自己理解プログラムによって見出された結果をもとに、新たな発信軸でやっていこうという考えもみのりんさんに伝えてみた。

結果的には、今発信軸を大きく変えると、今までついて来てくれた人が離れてしまう恐れがあるということと、みのりんさんもゆうきさんと同様に今まで通りの発信軸で、Twitterスキルを販売するのがいいと勧められた。

会って後半の方では、フロントエンドでコンテンツを薄利多売するのではなく、いきなりTwitter運営についてまずは無料で継続的にコンサル。または格安で企業に運用代行を請け負うのがいいのではとの金言をいただいた。

他、どうしていいかの具体的方法なども、かなり詳しく教わることができてめっちゃ感謝。

ファンを惹きつけるために、「ヒーローズ・ジャーニー形式」で無料noteを書くのを勧められた。それが本書であるwww

これで今後の方向性が大元で固まった。

今回みのりんさん、まっちんさんとお会いした際の大きな気づきは、「マネタイズ」の方向に舵を切って、実績を残していくことを頑張ろうと思えるようになったこと。

それによって、フォロワー数に強くこだわる呪縛が解けた。これは後に頻発する大量凍結処分にも屈しなくなった。

また、この先やっていきたい方向性がはっきりしたことによって、他人との比較病からも解放された

したがって、フォロワー数10万人目指そうと思ったことや、真の発信軸探しに関しては、ここで撤回。

みのりんさん、まっちんさんと別れた後、オレはお会いしたことをスポットでツイートした。

有益ツイートじゃないのに、インプがおよそ2400もいったのにオレは驚いた。

再びゆうきさんとのZoom実現

みのりんさん、まっちんさんとお会いしたことを受けて、オレは再びゆうきさんにお話するオファーを入れた。

23年2月23日、すぐにZoomでお話が実現。

オレは先日みのりんさん、まっちんさんとお会いして、前回ゆうきさんとお話したことと一緒のことを勧められた内容をゆうきさんに報告。

オレはTwitterコンサルでやっていくことを決めたうえで、ゆうきさんがコンサル生を募集するアイデアをいただけたりした。

今回のZoomによって、オレはくろ復活に向けて本格的に動き出すことを決めた。

第16章 復活へのカウントダウンと思ったらまた受難

母親から突然の連絡→今度は我が弟死す

みのりんさん、まっちんさんとの対話、ゆうきさんのZoomがきっかけとなって、本書を作り始めた。

つまりくろ復活のカウントダウンが始まった。
だがここでまたしてもくろ一家に激震が走った。

2023年2月27日夜、この日はスペース聴くことを楽しもうとしていた。

20時半ころ、母親から「連絡ちょうだい」とLINEが入った。訳も分からず母親に連絡すると、

「旭川の病院に来ていて、弟の先が長くない。いつ連絡があってもいいように覚悟してね」という内容。

オレの弟を改めて紹介する。
弟はオレの5歳下。オレと違って生まれてずっと北海道民だった。

彼は救急救命士兼消防士で、旭川近郊の上川町の消防署で仕事していた。弟も結婚していて、うちの子供と歳が近い甥っ子とさらに2歳下の甥っ子がいる。

5年近く前の2018年6月18日、"大阪北部地震”が発生して、家の中が激しく揺れた。

震源に近く、震度6弱の地震を生まれて初めて体感した。
しかし、わずか5日後の23日には、くろ一家独自に激震が走った。

オレが休日出かけていた帰り、父親からLINEで「至急連絡くれ」と入り、電話した。

そしたら弟が救助中に10m上の崖から転落して、意識不明の重体と一報。まさに言葉を失った。後日実家に帰った際に切り抜いた記事を載せる。

この出来事は、Yahooニュースのトップページにも載った。

ヤフコメには「救急隊員(弟のこと)の命が助かることを心から願います」というようなコメントが多く並んだ。

数日間、親から訃報が入ることを覚悟しながら過ごした。だが、危険な状態は脱し、すぐに亡くなる可能性がなくなって安心した。

翌7月に入り、入院先の旭川の病院まで飛んでいって、ICUで意識不明の弟と対面。

側には千羽鶴が飾られていたり、友人からのエールも飾られていた。甥っ子が描いた絵や、義妹が代筆のメッセージも飾られていて、愛されている弟に号泣。

オレが見舞いに向かった後日、弟の意識は回復。だが片目が見えない状態で、口もきけない状態だったという。

弟は社会復帰に向けてリハビリに励むようになる。時折母親から弟がリハビリに励んでいる動画をくれたりもした。

母は弟の面倒を定期的に見るために、第1章で書いたように旭川に独自の住みかを用意した。時折甥っ子たちが遊びに来ていたりもしたようだった。

しかし、2020年初頭、新型コロナウイルスが蔓延。病院は近親者も含めて面会を禁止。

なのでオレが第1章で書いたように、旭川にやって来たときも、面会NGで弟に残念ながら会えず。

弟の様子は、近くに住む弟家族、母親ですら分からず、くろ一家に情報が入りようがなかった。


話は戻り、23年2月27日の午前中、病院から母親に連絡が入ったとのこと。急遽登別から入院先の旭川に飛んで行ったそうだ。

母親は弟と会うことができ、弟の腸が壊死した状態に身体が衰弱し、手術もできない状態と聞く。

母が弟と対面したときは、意識がまだあったようで、母親とアイコンタクトで認識できていたようだった。母曰く、弟の身体はこの時点で冷たくなっていた。

オレが母と連絡して2時間弱後、母親から電話が来た。弟が永眠した。

オレは稼いだ暁に北海道に出戻って、母および弟家族の元で過ごそうと思っていた。

弟の生きている姿も見たかったからね。だがその願いも叶わず。

事故が起きたばかりで、意識不明の姿を見たのが、生前最後の対面だった。

元気だったころを遡れば、うちの子供が0歳のときに実家に帰ったついでで旭川に遊びに行った際に、まだ甥っ子も0歳だったときの弟家族と会えたのが最後かな。

弟が40歳にならずして生涯を閉じたのが本当に残念でならない。

下の甥っ子に至っては、生後8か月のときに事故が発生して、父親として元気な姿が全く知らぬまま亡くなってしまったことが残念だ。

弟の葬儀出席でまた不本意の帰郷→土壇場でカミングアウト

弟が亡くなった翌日23年2月28日は、気丈に振る舞って仕事をこなした。

翌々日3月1日、早朝から旭川に向けて出発した。14時ころ葬儀場に到着。

着いたときには納棺されようとしているところだった。

ここで我が弟と無言の対面。もう本当に生きていないんだなという姿に涙。1年半前の父親の葬儀のときと被る。

親戚たちとは父親の葬儀以来の再会も、複雑な気持ち。

日が暮れてお通夜が開催。何十人もの消防関係者が出席されていた。

甥っ子たちは、自分の父親が幼くして亡くなったことがどれだけ重大なことかあまり分かってなさげではあったが、健気な様子にほっこりするところもあった。

翌朝3月2日は告別式。お経後別れの言葉をかけるときには皆号泣。

棺桶が火葬場に運ばれるため、一旦バスで移動。焼かれる前に、我が弟へ最後の言葉をかけ、本当に最後の姿をオレの記憶に焼き付けた。

およそ2時間後、父親の葬儀のときのように、弟も遺骨と化した。

また葬儀場に戻り、葬式は昼過ぎに完全に終了。親戚たちとはここでお別れ。

オレと母親は、新千歳空港の途中にある恵庭に叔母さんの家があり、泊めてもらった。

翌日3月3日、恵庭駅で叔母さんとお別れ。母は新千歳空港からバスで登別で帰ることになっていて、新千歳空港まで同行。

オレには母親にどうしても伝えたいことがあった。昨年22年夏にオレが発達障害と診断されたことが未だに言えてなかった。

空港に向かう途中で言うつもりだったが、車内が混んでて言えない。

空港に着いて、バスが発車するまで時間があり、母が食事もしたが、ここでも言えなかった。バス乗り場の近くまで到着。

発車15分くらい前だったかな、ここでオレはようやく涙ながらに発達障害であることをカミングアウト。

母親に理解してもらえて、肩の荷が下りた。母親が乗ったバスが出発。

別れた後、オレは今まで言えなかったわだかまりを乗り越えられたことに安堵し、しばらく号泣していた。

オレも飛行機に乗って大阪に帰還。中断していた復活への行動が再開される。ちなみに、最長休止記録の期間を当時分かってなくて誤記していた。本当は66日。

第17章 復活へのカウントダウンリスタート?

まこちゃんとお話実現→さらなる自己理解へ

オレは北海道から帰還して、本書の作成を再開。

と、ここで時は遡る。サブ垢で裏活動していて、まこちゃん(@maakomoto)という方と知り合った。

彼女は、くろとしては既に無期限休止に切り替わった後の1月30日にガチ運用開始。売りは、『できる武器』から理想を叶えさせます

オレはまこちゃんのツイートがめちゃ響き、オレが送るリプにもすごい喜んでくれて、めっちゃ仲が良くなっていった。

オレが北海道からの帰還後に、まこちゃんとお話したくなって、オファーを入れたら快諾。23年3月13日にZoomでお話が実現。

オレにはなかなか解消されない悩みがある。

・完璧主義傾向が強い
・失敗する自分が許せない
・無駄なプライドが強め
・自分自身が好きになりきれていない
・できない自分が許せない etc

実際にまこちゃんとお話していき、オレの悩みをたくさん聞いてくれた。ここで一番得られたことは、

達成感を感じていく→弱みを受け入れる→できることを増やしていく→「できる武器」を見つける

というロードマップを得られた。つまり、まこちゃんから新たな自己理解方法を教わることができた。

くろ復活後、「できる武器作りの基礎になる」とオレは思った。

まこちゃんとお話して以来、小さな成功ができそうなことを見つけて、1日あたり10~15くらいの小さな成功を重ね、自信が積み上がりつつある。

自己理解をスムーズに→変革へのカギは「コーチング」

23年3月21日に、オレはらぼーるさん(@shisanupgood)とZoom対談が実現。

本当はもっと早くに実現の予定だったけど、第16章の件でそれどころじゃなくなったり、先方都合もあったりで、実現が伸びに伸びた。

この時のお話は、お悩み相談ということで、まこちゃんとのお話の際にも出た悩みを打ち明けたりした。するとらぼーるさんが、

・すごく生きづらいように見える
・自分で自分を追い込んでいる
・現在地と理想地が離れすぎて、理想が高い
・先が遠すぎるうえにハードルが高いため、やる気が出にくい状態になっている

という感じに言われ、まさに図星。
そこでオレへのアドバイスとして、

・考え方を根本から変えなければならない
・気楽に生きられるようになった方がいい
・現在地と理想地を把握すること

という結論に至る。その際に、今までの自分の考え方を壊すのにいい方法が、「コーチング」であると教えられた。

それを聞いて、「どうやってコーチングすればいいのかな?」って思った。
埒が開きそうになかったので、オレはこんな本を購入。

後日オレはPCのメモ帳を用いて自分自身とめっちゃ対話した。そしたら「できないことに不寛容」だという自分を改めて認識。

オレはそれを受けて、「できないことはあっても構わない」という考えに改めることができた。
ゆえに、「コーチングスゲー」と思った瞬間だった。

オレはセルフコーチングを武器に、この先も心の奥深くの自分を探りにいっている最中だ。

みちぽさんとお話実現→復活へのさらなる後押し

翌々日となる23年3月23日、今度はみちぽさん(@michipo5)とのお話が実現。企画によるものとはいえ、3万フォロワーもいらっしゃる方とのお話は初めてだ。

きっかけとなったのは、みちぽさんのフォロワー3万人達成記念企画。

そのときに提供された「スキルマーケティング×ファン化ツイート」という短期間限定で見れた動画があったんだけど、オレは食い入るように見ていた。

オレはこんな感じで感想ツイートした。

動画の最後に、コンサルできる特典が用意されており、オレはLINEで参加したい旨を書いて、お話が実現した。

30分ばかりのお話だったが、オレが本書を書いている旨に関したりとか、この先のマネタイズ計画を練っていることに同意してもらえてうれしかった。

そのうえで、伸びるツイートを書くコツや、テーマ選定をアドバイスされたり、Twitterコンサルでできるようになった方がいいことなどを教えてもらえたりできた。

ココナラ準備を行うが・・・・・

ここで本題に入る前に、くろの復活条件を述べる。

①自己理解を深めること
②マネタイズ問題を解決すること

自己理解を深めることに正直放置気味だった・・・。
当時のオレには、マネタイズ問題解決が急務だったから。
「そのためにはココナラだ」という思いが強かった。

オレはBrainを使ってココナラ構想を進めようとした。
しかし、Twitter裏活動が癖になっていた。

そのため、ココナラ構想が進まず、季節が冬から春になっていった・・・
本書の作成は、この章の作りかけでずっと止まってしまった。

第18章 復活へ進むと思ったら迷走

引き寄せの法則を再学習

話は若干寄り道する。

オレは価値観型(天命追求型)の人間。第9章でストレングスファインダーの診断したように、オレは適応性が最上位の資質の人間。
そのため、目標を立てて実現させようとするやり方はすごい苦手。

オレは引き寄せの法則をいろいろ学んでいるが、思うように叶えられずにいた。

しかしある日、とある引き寄せの法則を発信軸とした人を知った。
LINEに登録して、引き寄せの法則の極意を、無料でこれでもかと説明していただけてありがたかった。

引き寄せの法則って、スピリチュアルを前面に押し出す傾向が強めだが、この方はスピリチュアルとは無縁。

実用的な観点で引き寄せの法則を説明されていた。
そこでオレが目から鱗だったのが、

・叶えるのを遠回りさせてしまう知識が多いということ
・意図する→タイムラグ→叶うというフェーズに分かれる
・やれることは全てやるという考え方
・本質部分だけを徹底的に覚えて、繰り返し実行

というところった。


オレはさらなる出会いが実現する。なかまるさん(@pojimaru1901)という方のツイートを知ることになる。

この方も同様に、実用的な観点で引き寄せの法則を駆使され、様々な人生を好転された。
思わず深夜中なかまるさんのツイートを見まくったこともあった。

オレが驚いたのは、

・目標と計画を立てて行動されたニュアンスが全くなく成功されている。
・意図したことから、潜在意識がものを拾うようにアイデアを引き寄せ、顕在意識が的確な判断で行動していったこと
・潜在意識を魔法と思ってはいけないこと
・意図したこととつじつまの合う行動しなければ、願望が叶わないこと

ということだ。
オレはなかまるさんのLINE登録がきっかけでnoteやブログを提供してもらって見まくったり、動画も見まくった。

23年4月12日、なかまるさんとZoomでスポットコンサルが実現。
なかまるさんが引き寄せで成功された詳細なエピソードや、引き寄せを働かせるための「内面磨き」のやり方を教わった。

これらの出来事によってオレは、顕在意識や潜在意識の扱い方が変わっていった。

eduGateとの存在を知る

時は遡る。
2023年が明けてしばらくして、もんぐち社長がコンテンツのプレゼントを大々的にやっていた。

そこでセミナーが開催されるということで、参加させていただいた。

テーマは「Twitterを用いて稼ぐにはどうすればいいか?」という内容。
若干詳しく書くと、「高単価ビジネスで稼いでいくにはどうすればいいか?」という内容。

ラストでは、もんぐち社長が主宰されている「eduGate」というサロンを紹介された。

だが予算が合わず、あえなく入会を見送りせざるを得なかった。

4月になって思い出した。
「eduGateって確かコンサルのやり方をみっちりと教えてくれるはず。どんな概要かできればもう一度聞きたいなあ」と。

そしたらチャンスがまた巡ってきた。
オレは改めてeduGateの概要を聞けた。

「これならテストコンサル生を集めようとするよりも、ここでみっちり学んでから展開した方が良さそうだ」と思った。

改めて入会金を確認。
「オレが頑張ってココナラで稼げたら、次なるステップとして、eduGateで勉強しよう」という感じで、ココナラ開発への動機づけにしようとしたのだった。

ココナラ構想それでも進まず

しかし現実はそうはいかなかった。

オレの持っているBrainから、オレには何ができそうかテンプレを埋めていった。

テンプレ入力は進み、リサーチの段階まできた。しかし、リサーチの時点で事件が起こった。

リサーチしていくと、リサーチ相手の実績が素晴らしすぎた。それに対し、オレには実績たるものでアピールできるものがない。

「ココナラの商品として展開しようとすることが、オレに務まるのか?」という不安に襲われた。

ココナラ構想がどうしても進まず、頓挫した。これでは復活条件②が解決できない。

厳密にいえば、復活自体は即できても、当時4か月くらいも休んでいて、戻れる顔がとてもなかったという方が正しいかな。

「この出来事は、マネタイズしたいオレの思いに対してどんな意味があるんだろうか?」と、引き寄せの意味で考えた。

行き詰ったかのように見えた状態から、「そうだ、"あの方"に連絡しよう!」と思い、実行に踏みきったのであった。

第19章 今度こそ復活へガチのカウントダウン

思っている以上の他人軸行動にショック→正していく

これはTwitter裏活動していたときの話。
オレはゆみさん(@Yumi_counselor)という新米カウンセラーと裏垢でつながった。

オレはゆみさんにリプで「生きてて本気で辛いことがあったとしたら、ゆみさんに勇気持って相談するかもしれないです」と語ったことがある。

まさかこんなきっかけでゆみさんに直談判することになろうとは思わなかった。
ゆみさんにDMでコンタクトを取り、詳細はLINEで相談していくことになった。

オレはゆみさんに、ココナラ開発を行ううちに自分に弱気になって、自ら卑下してしまっている状態を打ち明けた。

オレの現状の生活状況とか、副業で稼ぎたい理由も述べていった。

ゆみさんとLINEしていくうちに明るみに出たのが、オレが「他人軸」で行動していたこと。

例えば、他人に気を使って言いたいことが言えない、周りの人が自分をどう思っているのか気になって仕方ない、批判や否定されるのが怖い、周りを失望させるのが怖い、本当の自分の姿がバレたらきっと人に嫌われると思うなど、当時全てオレに当てはまった。

ありがたかったのが、ゆみさんがフォロワー1000人達成企画の一環で、LINEチャットカウンセリングが5月末まで無料だったこと。

ゆみさんといろいろLINEさせていただき、ゆみさんには、本書の作りかけを特別に提供したりもした。

ゆみさんからnoteを提供され、「自己肯定感チェックリスト」というのを解いてみた。「200点満点中111点」と低めの自己肯定感にショック。

noteを読んで気になったのが、ラストの方で、「メンタルブロック解除!思い通りの人生を生きるための12のワーク」というもの。

ゆみさんとのZoom面談を実施したうえで受けられることに。23年5月16日、ゆみさんとZoomでお話が実現。

「12のワーク」というのは、ゆみさん自身も受けられて、自己肯定感が上がるきっかけとなったもの。

オレは何としてでも変わりたいと思ったので、意を決して挑戦したい旨をゆみさんに伝えた。

ゆみさんから「12のワーク」が書かれたnoteを提供してくれて、順々に解くことに。

解く前の段階では、己の心の弱さに直面した。己のダークな部分が明るみにもなっていった。まるで昔の自分に退化しているんじゃないかという錯覚も感じた。

ワーク解き初めの段階では、設問に対して胸張って答えられないという感覚があり、ゆみさんにLINEで弱音を吐いたりもした。

ゆみさんからは、「胸張って答えられないという考え方も他人軸」とのことだった。

ゆみさんから、「こんな答えでいいのかな? でもいい。あとで書き加えればいい」とアドバイスされた。

12のワークを解く途中で、さらに自分と向き合っていった。

解いていくうちに、自分の意見がないわけではなく、言いたくても言えなかったんだなということ。つまり、自分の軸がない訳じゃないことに気づく。

これまで偏った見方しかできていなかったことに気づき、オレは思わず号泣。

過去忌まわしいと思った記憶がたくさんあった。別の切り口で見ることもできるようになって、過去起因の恐怖心が次第に消えていった。

その後、オレの中でトラウマに思っていることや、偏屈になっている考え方に向き合っていった。

当時の過去記憶を思い出していき、無駄なプライドを持たなくなる考え方や、失敗に対するイメージを書き換えたりすることに成功した。

ゆみさんへの直談判がきっかけで、ようやく自分自身を理解することができるきっかけとなった。これで復活条件の①がクリアとなった。

新たに設立されたオンラインサロンとの出会い

オレはくろを無期限休止しても、毎月7のつく日に開催される「まつがズバリ教えちゃうんダもん」というスペースを、原則的に毎回くろのアカウントで聴いていた。

これはあくまでもオレが完全に辞めている訳じゃないというアピールも兼ねていた。

23年5月27日のスペースで、オレにとって朗報な出来事が引き寄せられた。

あまり詳しくは語れないが、もんさん(@marke_advertise)、まつちゃんの共同主宰で新たな有料サロンが設立されたという内容。

オレにとってありがたかったのが、このサロンからマネタイズができるということ。

楽して稼げると決して甘く考えてはいけないが、真剣に頑張って努力すれば、オレも稼げるという期待感があった。

オレはスペース翌日に加入。
しばらくサロンの雰囲気を楽しみ、23年6月8日に、サロン概要を説明するセミナーが開かれた。

話を一通り聞き、「オレが本腰入れて考え方とか変えたりして努力していけば稼げそう」と思い、すごいチャンスを得ることができた。

「この内容なら、eduGateに入らなくてもいろいろ学んで、稼げる考え方が得られそうだ」と確信。

オレは新たなサロンで本気で稼ぐことを決意。

①の自己理解問題を解決し、②のマネタイズ問題も解決の目途が立ったので、くろのアカウントをついに復活することを決めた。

復活する日は、オレが休みである23年6月18日とした。

くろ復活へ真のカウントダウン開始

サロンのセミナー受講をきっかけに、くろ復活のカウントダウンがついにガチで始まった。

うかうかしていられない。復活に向けてすべきことが無数にあったから。
復活までの猶予は10日間

ざっと考えただけでも、すべきことがこんなにあった。

・アナリティクスのスプレッドシート編集
・奇襲リプ相手選抜。リストアップしたスプレッドシート作成
・復活ツイート作成
・復活ツイートの声明文作成
・復活ツイートで休止中にお世話になった人をお礼のメンションする人リストアップ
・偏愛マップ作成
・復活後の自己開示ツイート作成
・プロフィール刷新
・忘れてはいけないのが、本書の執筆再開、サムネ作成

いくつか補足しよう。
オレがTwitterの休止から復活するときは、「奇襲リプ」すると相場が決まっている。

まさかオレがリプに向かうはずないと思うだろうからねwwwww
これがオレ流のサプライズだ。

オレの常連さんをメインに、裏活動で仲良くなった人も奇襲リプの対象としてリストアップした。


「偏愛マップ」って何かというと、斎藤孝さんが考案された、自分の好きなものをとことん書いたものをA4の紙で自己紹介するというもの。

先のゆみさんがアカウント設立当初に作成されていて、ゆみさんがCanvaで作成されたというのをオレも倣って、Canvaで作成したのだ。
オレが作った偏愛マップをここでも載せちゃうwwww

こうして、10日間のカウントダウンは、くろの完全復活準備でてんやわんやだった。

最終章 オレの不死鳥ぶりをナメんな、これから・・・

166日ぶりにくろ復活

運命の23年6月18日。ついにこの日が来た。


この日は気合入れて4時台に起きたかな?
奇襲リプ開始は9時から。

奇襲開始まで、誰にリプ送ろうかとか、今までの暫定プロフィールを通常仕様に刷新するなど、最終調整が行われた。


だが、直前でちょっとしたハプニング発生。 オレは復活とともに、Twitter Blueに入る気満々だった。

オレが再開しようとするのが極力バレないようにするために、復活直前でTwitter Blueに入る算段だった。

休止中の肩書きも暫定的なもので、復活30分前で本来の肩書きに戻した(つまりはHN変更)のだが、この行動が仇となって、Twitter Blue加入が認められなかった(悲)。

結局入れたのは、復活した日から3日後。 しかもBlueのバッジ付かなくても、Blueの機能が即使えるようになるんだね。


そして午前9時、くろ復活の歴史的瞬間がやってきた。


リプ送ること自体は、サブ垢で散々裏活動していたので、ブランクは全くない。でもすごい緊張したね。
だって、いきなりリプが来た相手の反応がどうなるか未知数だったから。

リプを送ってしばらくして、リプ返しがオレに次第に返ってきた。

オレの復活に驚いた人、オレの復活をめっちゃ喜んでくれた人などが様々いて嬉しかった。

裏活動によって仲良くなった人に対しても、くろのアカウントで突撃しまくった。

裏垢の正体がオレであることは知る由もない。それでもアカウント内容を見て、即フォローいただいた人が続出したのは嬉しかった。


6月18日という歴史的な1日は、朝から夜までほぼリプ周り尽くしだった。
オレが復活したツイートを以下に載せる。

無期限休止中のまとめ

オレが166日間Twitterを休んで得られたことを振り返る。


休止当初は、10万垢目指す気満々で、「真の発信軸」を探そうとしていた。

みのりんさんとお会いしたことがきっかけで、「マネタイズしていきたいんだ」という思いが定まり、他人との比較をしなくなった。

また、フォロワー数至上主義な考え方を正すことができた。その後凍結騒動が何度も発生したが、別段ガッカリしていない。


オレが休止している間に、我が弟が亡くなったことは、非常に悲しかった。

また、ゆみさんの12のワークによって、いろんな過去記憶を思い出して、悲しい記憶がいろいろ蘇った。

悲しみを乗り越える経験して心が強くなり、夢叶える動機付けとなった。


引き寄せの法則の本質部分を学び、オレは願っただけで叶えられると勘違いした状態だったのを直すきっかけとなった。

やれることを自ら行動していき、つじつま合わせることによって、不安や怖いことでも逃げずに行動していく必要があることを学んだ。


そしてTwitterの腕自体は、裏活動のおかげで落ちていない。むしろくろでやっていたときよりも、インプを稼げたことに驚いた。

この状況がもしくろのアカウントでやってたとしたら、ツイートがどこまで伸びていたんだろうか? というポテンシャルを感じた。

復活後の展開

まずはオレが休止してしばらくして「Twitter Blue」が登場したからね。

サブ垢での裏活動ではTwitter Blueが使えない状態でやってきたから。これでTwitter Blueにやっと入れたよ。

ようやく本来の力でTwitterと向き合えるようになる。長文ツイートや、ブクマのフォルダ分け楽しみだ。


オレは共感ツイートよりも、有益ツイートの方が得意。有益ツイートで主に勝負して、今後いろんな人にツイートを見てもらえるようにしていく。

そのため、図解ツイートや動画ツイートに挑戦していくことになるだろう。

と思ったけど、まずはインプ稼げるようになることが急務だな。
Twitter Blueを味方に、どうしたら1ツイートで1万インプ以上コンスタントに稼げるようになるかをサロン内で相談しながら解決していく。

オレが今までできなかったマネタイズは、新たに加入したサロンで精力的に活動しながら稼いでいく。
これはオレのフォロワー数が1万人を突破してからサロン内で相談しながら形にしていく。

サロン内で勉強して、コンサルのノウハウや、有料コンテンツを開発するノウハウを教わり、個人でのマネタイズ確立に向けて行動していく。

余談ですが、オレが新たに入ったサロンがどんな感じか興味ある人は、オレにDMいただくか、このnoteのリンクを貼ったツイートでリプいただければ、紹介します。


これからのオレは、とにかく実績積み上げ。
実績が上がることに応じて、次第にフォロー率向上が期待できると思っている。

そうなれば、意識的にフォロワー数を増やそうともがかなくても、結果的にフォロワー数が増えていくと思っている。


という訳で、25,000文字を超える半端じゃなく長いnoteを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

読んで記憶に残った部分を、リプでシェアいただければ嬉しいですね。

締めの言葉を伝えます。
オレの人生の目的を突き詰めると、生涯が終わる直前に、後悔したくないということです。

不死鳥伝説は、これからがもっと面白くなる。
新生黒スプレー(Twitterではくろ)の応援よろしくお願いします。

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