Twitter休止した66日間の軌跡を語る[Twitter自分史も紹介]

やあみんな、こんにちヘルツ!
オレの名前は黒スプレー(Twitterではくろスプ)。

オレは4月16日から6月20日の夕方前までTwitter活動を一旦辞めて、誰のツイートも一切見ず、リプライも一切しない生活を送っていた。

休止期間が満了して予定通りTwitter復帰後、オレはどんなことをやって、どのように変わっていったかを2週間にわたりツイートしてきた。

今回のnoteでは、

・オレがTwitterを開設したときから、ガチり始めようとするまでの歴史
・ガチってからの大まかな歴史と、2か月にわたって休止しようと思った経緯
・復帰後にツイートした内容の補足
・この先どのように活動していくか

以上を中心に詳細を語っていくつもりだ!!

1.序章 ~ 66日間のTwitter活動休止まで

1.1 Twitterアカウント開設からガチに至るまで

オレにとってのTwitterは、元々mixiの延長みたいなものだった。

当初のHNは、mixiのHNに倣って「Nao」。
アイコンもmixiのトップ写真に倣ってオレの大好きなリラックマにしていた。
ヘッダーは東京駅の東北・上越・長野(後に北陸)新幹線の広告にしていた。

アカウント歴は9年にも及ぶが、最初の6年間はほとんどツイートもリプもいいねもせずに放置していた死に垢だった。

オレはB.LEAGUEが大好きで、初年度2016-17シーズンから大阪エヴェッサを支持し続けている。
2017年の冬頃からmixiとの差別化で、B.LEAGUEに関する話題や観戦しに行ったことなどを当時北海道弁を使ってよくツイートしていた。

だがオレには今もだが大きな悩みがある。
それは「お金が少なくて困っていること」だ。

2020年7月ころにYoutubeを見てて、マナブさんという方が副業に関して話されていた。
そこでやろうと思ったのが「ブログ挑戦」である。

そして、2020年8月17日、オレのオリジナルブログ「黒スプレー's ブログ(https://black-spray55.net/)」を開設。
それに伴って、少しでも多くの人にブログを読んでもらいたいと思うべく、「Twitterガチ化」を決意。

HNを黒スプレー(当時)に変え、アイコンやヘッダーも当時ブログで使っていた画像に変え、オレの趣味丸出しから荒削りではあったがビジネス仕様に変えた。

発言内容もB.LEAGUEに関することを突如やめて、人間力を高めるような内容に変わった。

そして、自分からフォローしまくって、フォロワー集めにも躍起になった。

1.2 ガチ活動するも度重なるTwitter活動休止

フォロワー1000人は、自分からフォローしまくることでおよそ1か月くらいで比較的楽に達成。
しかし「何か変だ」と薄々感じた。
「フォロワー数の割に反応薄過ぎない?」って感じ。

さらにフォロワー数が増えるにつれて、いろんなアカウントの存在を知り、他人の経歴や実績の輝かしさやツイート内容の素晴らしさを否応なく目にするようになる。
そのせいで自分が劣っているかのような感じに陥り、初めて活動レベルを落とすようになった。

前述でお金がないことを書いたが、お金がない生活に自暴自棄になり、12月初めころだったかな? 初めてTwitterから1週間くらいドロン。
クリスマス辺りには人と比較して劣っている自分に耐えられなくなりまた4日ほどドロン。

2021年に入り、「年末年始チャレンジ」と銘打って、自分からフォローしまくってフォロワー2000人を達成したが、自己投資できない自分に絶望し、新年早々フォロワー2000人を達成した直後に2週間弱ドロン。
2月中旬にはまた稼げない自分に八方塞がりになり、何もかもやる気を無くして5日くらいドロン。

「お前は善逸か?」と突っ込まれそうなヘタレぶりを当時は発揮していた。

1.3 ターニングポイント → 立て直しへ一大決意

オレは「自分自身を受け入れることができてねーな」と悩んでいて、そのせいで自己肯定感がすごく低く、失敗に対しても異常に恐怖心を抱いていた。

「自分を受け入れられるようになるにはどうすればいいですか?」と、あるフォロワーさんにDMで相談。
これがビッグターニングポイントのきっかけとなった。

そのとき紹介されたのが、Happyちゃんという方が物理学者の松丸先生と対談した量子力学を交えた自己受容に関する対談のYoutube動画のリンクだった。
ちなみにHappyちゃんは元々知っていたが、それまでは本気で学ぼうとまでは思っていなかった。

オレはYoutubeをダウンロード(以下DL)できるソフトを持っているんで、即DLし、オフラインな状況でもタブレットで繰り返し視聴しまくった。
で、「他にどんなHappyちゃんに関する動画があるんだろう?」とYoutubeを漁るようになった。

Happyちゃんの動画を漁っていくと、オレは「会心の一撃」を繰り出した。
「世界は自分で創る 完全版」という、Happyちゃんが当時どんな生活をしていて、どうやって引き寄せの法則に出会い、人生を好転させるためにどんな行動をしていたかを話された動画を発見。

そのとき、記憶に残ったのが、
「気分が良くなることをしなさい」
というエイブラハムの教えだった。

Happyちゃんは、「自分天国化計画」と銘打って、気分を良くするための行動を重ねていった。

この日を境に、オレもそっくりそのまま倣うような感じで、気分が良くなるようなことを本気で求めるようになり、「黒スプレー版自分天国化計画」を実行しようと決めた。

Happyちゃんに関するYoutube動画を漁り続けたら、HTL(Happy Theory Labo;Happy理論研究所)の存在を知った。
HTLの詳細は、2章で後述する。

HTLの「キックオフミーティング」というオリエンテーション動画を見た際に、
「SNSを見なさんな」
というのが流れた。

その真意は、「60日外部との情報をシャットアウトすることで、真実の音が聞こえるようになるから」と説明されていた。

オレはそれを見て、HTLの会員では決してないが、「忠実にやってみたら変われるかも」という思いにかけて、「やる」決断をした。

こうしてオレは2021年4月16日から6月20日の16時までTwitterを見ること(DM届いているかと通知の確認と自分のツイートのリプライ返しは例外)および、いいね、ツイート、リプライを禁じ、外部情報を一切遮断して、Twitterの表舞台からきれいさっぱりと消えた。

2.Twitter休止中にオレが日々学んだこと

HTL(Happy Theory Labo;Happy理論研究所)は、ざっくり言うとHappyちゃんがエイブラハムの教えを実践したことをベースとした宇宙の法則が教われる有料のサロン。

募集は期間限定で行っているものの、希望者はものすごく殺到し、キャンセル待ちが絶えないという。
現在は第3期である。

オレは当然部外者で、本来だったらHTLにおいてのHappyちゃんの教えを知ることは、本来なら不可能。
だが、Happyちゃんお墨付きという条件で、HTL会員の人々がHTL音声をYoutubeに普通にアップしているのである。
それでオレはHTL音声を死ぬほどたくさん聴くことを可能としていたのである。

前述のキックオフミーティングでの動画でHappyちゃんが仰っていた「SNSを見なさんな」以外には、

・瞑想や深呼吸を通じて頭の中のツッコミを無くしていく
・望むトレーニング(通称 望トレ)を行う
・毎朝毎晩お気に入りのシーンをピックアップする

というのが、2か月間で実践することとして紹介された。

オレは以上の内容を実践しつつ、暇さえあればYoutubeでHTL動画を漁りまくって、即DLし、新しい情報を耳からたくさんインプットした。
そして、「面白そう」と思った内容に対して自然と行動するようになっていった。

オレは2か月間オレ独自の「気分が良くなるための行動」を行い続け、自分の心の中がみるみるうちに変わっていったのだ。

3.Twitter休止中に主に行動したこと

オレは前述の「気分が良くなるための行動」を66日間行動し続けた。
行動した内容をTwitter復帰直後にシェアを実施。

その中で記憶に残った出来事を選抜し、秘話を含めた詳細なことを語ろうと思う。

3.1 【Youtube閲覧三昧】

オレが在宅中においてTwitterに充てていた時間の大半をYoutubeに費やしたと言ってもいい。

メインはHappyちゃんによるHTL動画の閲覧だが、オレは興味ありそうな動画も片っ端から見ていた。
後述する行動してきたことも、Youtube閲覧がきっかけでやろうと決めたことが多い。

HTL以外でよく見ていたのは、オレが大好きな鉄道に関する動画。Youtuber動画でゆでたまチャンネルや散歩するアンドロイド、B.LEAGUEやプロ野球やサッカー雑学の動画。あとは日常のハプニングをカメラに収めていた海外の動画。

Twitterにも書いたが、ジャッキー・チェンの動画を見たときは特にしびれた。
おかげで「人を楽しませようとする」という考え方がオレにとって影響を受けた。

3.2 【暗峠チャレンジ】 → 【近鉄三昧】

活動休止してまだ1週間後の出来事。

暗峠とは、大阪府と奈良県にまたがる生駒山地の峠。
東大阪市を東に進むにつれて山の壁が迫ってくるのが印象的。
オレが通う会社の窓から生駒山地の山々が見えるため、「いつか行ってみたいなあ」とは思っていた。

オレは前述の「散歩するアンドロイド」の動画で、暗峠を徒歩で上ろうとしている動画を見たのがきっかけで現地に行きたくなった。
で、峠を下りたあとは「近鉄に乗って、最後は特急に乗って帰るぞ」という動機付けして臨んだ。

結論からいうと、過酷だった。
でも、自分で決めたことをやりきったんで、ものすごく楽しめた企画だった。

最初近鉄奈良線に乗って額田という駅で下りた時点で、麓ではなく山を上る途中の段階。
本番が始まった時点で10%を超える急坂で、全然まともには歩けず、いつもの半分以下の歩く速度で地道に上っていった。

ちなみにこの道は車1台分しか通れないすごく細い道なのに、「国道」である。
俗にいう「酷道」

自然の中を歩く感じで、小川のせせらぎが聴こえた。
季節は春だったので常にウグイスの鳴き声が聞こえていた。

都合1時間半くらいかけて峠到達。
峠で食事したかったけど、当時平日で開いているお店が全くなくて、昼食が生駒駅に着くまでお預けで辛かった。

生駒の方に1時間くらいかけて峠を下りた。
峠から生駒の麓の光景は最高だったなあ。
奈良側は途中まで道幅が広かった。

暗峠チャレンジは、「近鉄に乗る」というニンジンのおかげで何とか完遂。
この時点で脚がパンパンだった。

生駒で食事してからは、ご褒美の近鉄三昧。
生駒から急行に乗って大和西大寺へ。

大和西大寺は、京都線と橿原線の分岐駅で、橿原線側には車両基地もあるため、ポイントがものすごく複雑に配置されている。
巧みなポイントさばきで、近鉄奈良方面と橿原神宮前方面(または車庫への回送)の同時発車ができるようになっている。

橿原線に乗り換えて大和八木まで乗車。
大和八木では大阪線を走る列車にたくさん遭遇。
ひのとりの通過を2回見れたし、2編成しかないアーバンライナーnextが見れた。

帰りは前述のように特急に乗るつもりだった。
ひのとりや伊勢志摩ライナーやしまかぜは時間帯的にNG。
アーバンライナーはありきたりなので今回は避けたかった。

目をつけたのが、ビスタEX
二階建て車両で、高みの見物をしたかった。

しかし、大和八木駅ホームの指定席券売機で特急券を買おうとしたが、任意の号車指定ができなそうだった。
嫌な予感しつつ購入したら二階建てじゃない車両が一方的に指定された。
「電動車を楽しむのも乙だな」と思いつつ、ビスタEXで帰還。

オレの脚はめっちゃ悲鳴上げていた。
今までに感じたことない筋肉痛に悶絶。
まだ明るい時間帯だったので、本来だったらカフェにでも行こうと思っていたが、あまりの疲労に直帰することにした。

帰宅したらサロンパスのお世話になり、オレは即寝た。
でも、めっちゃ楽しかったなと思い、「また近鉄に乗りたい」という布石になった。

3.3 【ピアスチャレンジ】

GWが終わった頃、Youtubeのおすすめでピアスを開けようとしている動画がなぜかあったので見てみた。

ピアス開けるのって何も知らなかったらすごく怖いじゃないですか?
勇猛果敢にピアスを開けようとしているさまを見て、「オレもピアスを開けるのに挑戦したくなったぞ」と決意。

だからオレの場合は、カッコつけたいとか、モテたいとか、誰かに注目されたいという理由ではなく、「自分自身に挑戦したい」と思い、ピアスを開けたかった。

「どこで買えるのかな?」とリサーチして、ドンキで変えることが判明し、ピアッサーを迷わず購入。
この時点で「オレにもピアスが開くんだ」とスゲーワクワクモード。

で、「いざピアス開けるぞー」と意気込んだけど、そうはいかなかった。

それは、開けるのが怖いからという理由じゃなく、鏡見ながら着けようとしたので、オレの開けたいところになかなか合わなかったことと、鏡で見た感じだとどう見てもまっすぐじゃない角度になっていて、調整を繰り返したため、開けるまでにすごく時間がかかった。

で、ピアッサーをいざプーーーッシュ!!
オレの左の耳たぶにピアスがついに開いた。

開けた瞬間、
「うおーーーー、死ぬほど痛てーーーよ!!」
というのは冗談で、実際には左耳がジンジン痛かった程度で、我慢できない痛さじゃない。

オレの左耳にピアスが開いて、めっちゃセルフイメージが上がった。
この件がきっかけで、オレはセルフイメージの感覚をつかむコツが分かった。

ピアスチャレンジ以来、すれ違う人を見るたびに、ピアスが着いているかどうかをめっちゃ気にするようになった。

余談だが、ピアスホールが安定するであろう8月上旬以降に、(セルフイメージをさらに高くする)セカンドピアスを買おうとしている。
オレの誕生日の誕生日石であるサファイアが入ったピアスにしようかなと思って、今からめっちゃワクワクしている。

3.4 【アイコン、ヘッダーをオファー】

オレはTwitterを休止した直後くらいから、「復活の暁にアイコンを変えたいなあ」と思っていた。

5月下旬頃に、復帰後はどのような感じで発信していこうか考えていた。
従来のヘッダーでは新たな運営方針と矛盾してしまうため、ヘッダーもセットで変えることを決意。

5月末、ココナラでいざオファー。
と思ったら何と他のお客のオファーで立て込んでいたためまさかの却下
泣く泣く退散をすることに。

そこで急遽、今のアイコンを続投したうえでヘッダーのみをオファーするか、別の絵師に新しいイラストを作ってもらおうかを自分自身に相談した。

「今のイラストもいいけど、新調してもらった方がよりいい気分でいられそう」と思い、続投しないことをこの時点で決めた。

問題は誰に頼むか?
予算はある程度決まっている。
有名絵師だったら1万超えてしまってさすがにアウト。
ココナラでいろんな方を探すも、オレが納得できそうな絵師がなかなか見つからない。

色々検索して、実績はそれほどある方ではないが、絵のタッチがオレ好みな絵師を発見。
オファーを入れて無事交渉成立。

元々は先にアイコン用イラストを作ってもらい、後日ヘッダーを別の方に頼むつもりだったが、相談したらヘッダーも同時に作ってもらえることとなり、統一感あるアイコン用イラストとヘッダーが同時にできてすごく大満足。

復帰までに新たなアイコン用イラストとヘッダーを余裕もって準備完了することができ、復帰へのワクワク感が高まった。

3.5 【さらなる近鉄三昧】 → 【F1好きのオレが鈴鹿サーキットへ】、【四日市あすなろう鉄道を楽しむ】

この企画はオレがTwitterを復活する6/20に行われた。

本当は6/5に実施予定だったが、直前で左足の薬指に大きな水ぶくれができてまともに歩けず、急遽病院に行って処置してもらった。
予定外の出費となったために致し方なく延期となり、休止中に行けそうな日が6/20のみだった。

実は決行前に大阪難波駅に行ってひのとりを間近で見てみたり、大阪上本町まで乗車したりして、近鉄電車の感覚を事前に体感して、気分を上げたりしていた。

また、Youtubeで近鉄名古屋に向かうひのとりの全面展望を見て、大阪線や名古屋線がどんな風景かを事前に確認して、当日に備えたりもしていた。

6/15辺りから、そろそろTwitterで発言できるワクワク感、近鉄にたくさん乗れる楽しみな感じで待ち遠しかった。

いざ6/20がやって来て、鶴橋で以前に乗ったビスタEXや帰りに乗る予定のひのとりが見れて、行きの電車に乗る前にもてなされた気分。

行きは名張まで急行に乗り、名張から津までアーバンライナーに乗車。
移動中がもう至福。

津に到着。この日は風が強かった。
津で伊勢鉄道に乗り換え。
しかし、発車までに30分弱時間があり、ちょっとだけ街を歩く。
伊勢鉄道乗り換え直前でJR東海の快速みえを拝めたりもして気分上々。

伊勢鉄道で鈴鹿サーキット稲生駅まで乗車。
駅を降りてから、鈴鹿サーキット(モートピア)へ徒歩で向かう。

駅からの道のりが長かったが、途中から観覧車やサーキットのスタンドと思しきところが目にできたため、ウキウキ感が半端じゃなかった。

モートピアに入場したら、ホンダ一色。
レッドブルおよびアルファタウリというチームのマシンおよびレーサーが猛プッシュされて、日本人F1レーサーの角田裕毅選手が特に目立った。

サーキットに行けるのかなと思って歩いたら、何だか入れそうな感じに意外さを感じる。
何とメインスタンドに料金払わずに入ることができて、そこではホンダのシビックによるカーレースをやってて、シビックの爆音や速さを感じれた。

バスで白子(しろこ)駅に向かい、白子から急行で近鉄四日市へ。
近鉄四日市に着いて、タイトなタイミングで四日市あすなろう鉄道に何とか乗り換え。

四日市あすなろう鉄道といえば、「ナローゲージ」という線路幅。
762mmというJRの在来線よりも狭いレール幅を初めて見た感覚は、単純に「狭い」。車体の幅も狭かった。

目的地は内部(うつべ)。
終点までたっぷり乗りたかったため。
いざ乗ってみたら、レール幅が狭いためか、低速なのにめっちゃ揺れたという印象。

あすなろう四日市駅に戻ろうとするタイミングで16時が過ぎ、ここでTwitter活動を復帰。

帰路は久しぶりのリプをしながら帰った。
本当は近鉄四日市から津まで贅沢に特急に乗りたかったけど、ダイヤが合わなかったので、代わりに急行に乗った。
そして、津から鶴橋までは待望のひのとりに乗車。

ひのとりはすごく快適で良かった。
背面テーブルがあり、Wi-Fiサービスもあったんで、タブレットとキーボードを置いて鶴橋に着くまで鬼リプして帰った。

まさに最後を締め括るにふさわしい企画だったなと回顧。
ここでの思い出は、今もオレの気分を上げるためのネタになっている。

3.7 その他ダイジェスト

オレが行動してたことをフルで紹介すると、とてつもなく長いnoteになってしまうので、見出しとTwitterのURL紹介にとどめる。
どの内容も、オレにとって心地良くなる行動となり、いい思い出だった。

【好きな音楽聴きまくり】

【ダーツ復活】

【阪神乗車、尼崎中央商店街をお散歩】

【足ツボマッサージチャレンジ】

【ブラジリアンワックス脱毛】

【新大阪で新幹線見物】

【ミルフィーユパンケーキでウマウマ】

【大回り乗車で滋賀・三重・奈良を通る】

4.休止中の行動がきっかけで主に変わっていったこと

オレは6/20にTwitterに復帰して、日付変わる直前で高らかに宣言した。

上記のようにいろいろ行動した結果、「厳しい修行をしてきたぞ」って訳ではなく、傍から見れば遊んでばかりであるかのように見えるのに自分でも驚くくらい心の中が変化していった。

どのように変革したかをTwitter復帰後にツイートしていたが、その中の一部を抜粋して、より詳細に語ろうと思う。

4.1 【気分いいかどうかを気にするようになった】、【気分を良くするためにお金をかけるようになった】、【エネルギー、ヘルツを気にするようになった】、【自分の感情に敏感になった】

これは、Happyちゃんの動画を漁った初期に知ったエイブラハムの「気分のいいことをしなさい」という教えがベースとなっている。

今までは生活を切り詰めるために極力お金を使わないようにしていた考え方から、己の気分を良くするために、休止中以来お金を惜しまず使うようになっていった。
Youtube閲覧三昧以外のほとんどの行動で何かしらのお金をかけて行動したものばかりである。

いい気分を求めて行動していった結果、リアルタイムの感情にめっちゃ頓着するようになった。
万が一悪い気分になってしまったときも見て見ぬふりせず、即いい気分に振り戻そうと行動するようになった。

4.2 【めっちゃ深呼吸するようになった】

気分を良くするために最もやりやすい行動なのが、「深呼吸」である。
深呼吸といえば、それまでラジオ体操くらいのイメージでしかなかった。

しかしHappyちゃんから学んで以来、寝る前後はもちろん、駅に向かって歩く途中とか、仕事中自由でいられるときとか、気分が落ちてヤバいと気づいたときに緊急で使うなど、使用頻度は格段に上がった。

後述するように心が安定していき、様々な副次的効果が表れた。

4.3 【マイナス思考で心が荒れなくなった】

みんなそうなのか分からないけど、何かしらの気分悪くなるきっかけで、マイナス思考にめっちゃ支配され、判断力が恐ろしく下がることがあった。

心が荒れてしまうと、当時はGoogleで何とかしたい問題点に関して必死で調べようとしたりとか、正常じゃない心の状態でとんちんかんなリプライを平気で行って、ご迷惑をおかけすることもあったりした。

だが今は大半の状況で己のメンタルをいい状態に保つことができるようになった。
万が一メンタルがヤバいときにも、前述のように深呼吸などの気分良くなる行動を緊急的に行うのが当たり前になったため、今は心が荒れてしまうことがなくなった。

4.4 【失敗することに寛容になった】、【不安や恐怖に屈しにくくなった】、【自分を責めなくなった】

オレは元々失敗することを過度に恐れていた。
これは序章で書いたように、失敗に対するマイナスイメージに囚われ過ぎていたためである。

そのせいで、「失敗する訳にはいかない」という感じで不安や恐怖を常々感じていた。
そして、いざ失敗したら「こんなんじゃ話にならねーだろうがっ!!」と厳しく責めていた。
今思うと恐ろしいことをしていたんだなと感じる。

後の内容にも被るが、気分いい行動を重ねていき、自己肯定されていった。

実際に失敗体験がTwitter休止期間中の行動にいくつもあったが、失敗に対して思ったほどの精神的ダメージを感じないことが分かった。

おかげで失敗してしまっても責めることがなくなり、今は「まいっか」とか「あっ、やっちゃった」程度にいなすことが可能となった。

また、自分を責めなくなったおかげで、失敗してしまったシチュエーションを中立的なマインドで振り返られるようになり、改善点も見い出しやすくなった。

4.5 【自分軸がしっかりし、主体的になった】、【自然体に生きれるようになった】

オレがTwitterを封印したことで、HTL以外の外部の情報が絶たれたために、自ずと自己判断で行動を決める必要が出てきた。

今までは「本当にこれでいいんだろうか?」という不安が付きまとい、色々ググって裏付けを求めることが多々あった。

だが、自己判断で行動を決めたことによって、自分で選んだ行動に対する責任感が増し、「主体的に行動しているんだ」という実感が湧いた。

また、自分で決めて行動していったことは、誰の判断にも委ねられていないので「これが自分軸の行動なのか」という確信も湧いた。

以上の行動は、オレにとって無理のない感情で選んでいった行動である。
なので「これが自然体の行動なんだ」という確信もあったのが大きな気付きだった。

4.6 【セルフイメージの高さが実感できるようになった】、【たくさんの成功体験を得られた】、【自己肯定感が高くなった】

オレが気分良くなる行動を積み重ねていくにつれて、セルフイメージが高くなっていくのを実感していった。
これはピアスチャレンジの項で紹介した通りである。

2か月間Twitterを休んで行動したことに対して後から気づいたのが、「成功体験を積み重ねたこと」である。
オレは今まで「成功体験に乏しい」というのがコンプレックスだった。
しかし、2か月間で多くの成功体験を積み重ねることができた。

その結果、長年自分に自信がなく、セルフイメージも著しく低くて困っていたが、確固たる自信を得られた。
色々行動を行って、「自分は自分のままでいいんだ」という自己肯定感も得て、オレはTwitterに帰ってくることができたのだ。

4.7 その他ダイジェスト

【自分の見えている現実に捉われなくなった】

【人にどう思われるのかを気にしなくなった】

【他人と比較しても落ち込まなくなった】

【ダメな自分に寛容になった】

【無いものにフォーカスしなくなった】

【自分自身に挑戦する意欲が湧いた】

【自分の望みが見えるようになった】

5.これからのツイート活動予定

Twitter復帰から3週間弱経過して、正直なところ2か月間のTwitter休止で得られた高いエネルギーが減りつつある実感がとても気になった。

なので毎月15日前後と月末月初前後のタイミングに、1日だけTwitter活動を休み、2か月間の休止の頃と同じようなことをまたしようと思った。

話が変わり、Twitter復活から2週間にわたり、第3章の2か月間の軌跡ツイートと、第4章の2か月間の行動によってどのように変われたかというシェアツイートをしてきた。

シェアツイートが一通り終わり、当note公開まではリツイートでつないでいたが、これで終わるはずがない。
ここまではあくまで本題への前フリに過ぎない。

当note公開以降は本題として、Happy流宇宙の法則をオレの体験談および独自の考えをベースに、基礎的なことをメインにツイートしていく考え。

オレのこの先のツイートがきっかけで、一人でも多くの人の自己否定感を払拭したり、安定した心を取り戻せるようになれることをアシストしていく考えだ。

ものすごく長い内容になったけど、最後まで読んでくれてありがとう!!

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