【Helck】レベルの概念の考察

はじめに

 今回の考察内容はHelck世界のレベルの概念についての考察です。
 既読者はご存知の通りHelck世界には戦闘レベルやら事務レベルやら演技レベルなどレベルの概念が存在しているようです。
 しかし、Helckの読み返しと、ヴェルンディオを読み進めていてこんな疑問が浮かびました。
”帝国以外でレベルの概念が全く出てこなくないか?”と。
 ということで、Helck世界のレベルの概念が"Helck世界特有のもの"なわけではなく、帝国内で用いられている基準としてのレベルなのではないかと予想し検証していきたいと思います。

①帝国外のレベルの出現量

 はじめにとだいぶ被りますが、ヴァミリオとヘルクが旅した道のりと人間国、ヴェルンディオ世界では全くレベルという概念が出てきません。
 ヴァミリオとヘルクの旅でレベルの概念が出てきたのは(私の記憶が正しければ)ヘルクの過去編で初めて出会った新世界生物に勝利したヘルクの語りにヴァミリオが「育っていないやつでもレベル50が4人がかりでようやく倒せるんだぞ」とツッコんだ時とハルピィの紹介に捜索レベルが書かれていた時だけだと思います。
 人間国でもレベルを言及している人物は一切いません。1000年は生きているであろうミカロスも洗脳クレスとヘルクとの戦いで「今のクレスの強さはヘルク以上」としか表現していません。
 ヴェルンディオに至ってはそもそもレベルの概念が作中に一切出てきていません。

②キャラクター達のレベル

 作中のキャラクター達の各種レベルは都合よくまとめてある記事があったのでこちらをクリックしてご覧ください。
 キャラクター達のレベルを見ていただいてわかるようにレベルが判明しているキャラクターの大部分は帝国側のキャラクター達です。
 そして、レベルの概念が帝国特有のものではないかと思った一番の要因はヘルクとヴァミリオが帝国に帰るための旅路とヘルクの過去編での魔物や敵はおろか、ミカロスやラファエド、人間王にもレベルが全く割り振られていないことです。(アウギスは例外的にレベルが90程度であることが分かっていますが、それも本編ではなくおまけで判明した事実です。)
 さらに、そういった強敵達にレベルが割り振られていないのに対して、エディルやゼル、翼の兵士にはレベルが割り振られています。
 ここからは、予想となりますがレベルの概念は帝国が定めた基準であり、”これだけのことができたらレベル○○”といった形で評価するためのものなのではないかということです。そのため、事務レベルやスパイレベル、演技レベルといったものも存在し、それに応じて評価をしたり、仕事を選んだりしているのではないかと考えられます。
 そして、戦闘については基準を設けることで勝つ見込みを上げることに繋がります。ですが、相手側のレベルもわからなければこの基準は意味を成しません。
 そのため、翼の兵士たちは帝国の魔王城に攻め込みに来ているため、その基準を適用し評価をされたため作中でレベルが判明したと考えることができます。

Helck4巻より引用

 しかし、記憶力の良い方ならこう思った人もいるのではないでしょうか、「ミカロスも一回魔王城に攻めてきてたじゃん」と。
 ですが、上に引用した画像のように、レベルの測定結果が出るまでにはある程度時間がかかっていること、奇襲を受けていた状況のため測定するためのデータを取ることが難しかった可能性が高いことを考えるとレベルを測定できなかったのは不自然ではありません。

③「評価」や「結果」という発言

 ②と被っている部分ですが、キャラクター達の発言から"レベル"は目に見えるものではなく評価、測定するものであると言えます。
 ②の画像のようにイスタは翼の兵士達のレベルを測定した結果を伝えています。昨今よく見る「ステータスオープン!」のようなものではなくしっかりとデータを測定し、それを元に評価を下していると考えられます。
 そしてアスタは次のように発言しています。

Helck81話より引用

 この発言から、"武器を持っているか否か"で戦闘レベルが変化すること、「戦闘レベル42って評価なんだ」と受け身の表現であることが読み取ることができます。
 つまり、戦闘レベルは成長の有無に関わらず一定であるとは限らないことと戦闘レベルが自分でわかるものではなく他者によって評価される指標であることの証左であると言えます。
 また、アズドラの戦闘レベルが90代から70代に下がっているのも評価によるものだからで説明がつきます。

④一欠片の反証?

 ここまで揃っているならもう確実だなと私は思っていましたが、読み返していて一つだけこの考察を揺るがす発言を見つけてしまいました。
 

Helck59話より引用

 それがこの「レベリング」発言です。レベルの概念がなければレベリングという言葉は出てきません。ここだけが今までの内容と矛盾してしまっています。
 しかし、この発言以外の一貫性の高さを考えると、解釈の仕方次第で整合性が取れるはずです。

解釈1.人間兵と帝国兵の先頭による交流の影響

 マンガワンのちょい足しを見ればわかりますが、戦闘中にも関わらず人間兵と帝国兵は当然のように会話しています(戦いながら)。
 そのため、戦闘を何度もしていく過程でレベルの概念を知り、強くなることをレベリングと呼ぶと知ったとしてもおかしくありません。

解釈2.過去の人間国との交流の影響

 アズドラの発言から帝国と人間国はかつて交流があったことは判明しています。しかし、人間国にはその交流の記録は残っていません。
 ですが、交流のあった国の文化が完全に消滅して残っていないというのは消すための政策がなければなかなかあり得ません。
 そこに目を向けると、交流があった時にレベルの概念は持ち込まれたが、交流の消失により正確なレベルの測定ができなくなったためにレベルの概念自体はゆっくりと消失したが、レベリングという強くなる行為というのを端的に表現できる言葉は便利であったために生き残ったという解釈ができます。

結論

 作品内の証拠だけではレベルの概念が帝国特有のものであると証明が完全にできないが、解釈の仕方で一貫性を保つことが可能な説であると言えます。
 
 この説の可能性に気づいて証拠を集めている最中は凄まじく気持ちよかったですが、ゼルのあの発言を見つけた時はもうお通夜のような気分になりましたね。
 ただ、上でも書いたように表現の一貫性が非常に高かく完成度も高かったこともあり、これをボツにするのももったいないと思い解釈を付け加えるという形で一貫性を保ち公開しました。
 結果的にですが、自分でも納得できるような解釈になったので良かったです。
 それでは。

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